閉じこもり生活のさ中は日がなTVドラマや映画でダラダラ・・・と、一年も経つとさすがに食傷気味、スマートテレビ?と言うのかネット動画Chに切り替えYoutube等をサーフィンするのが一番の暇つぶしになって、話題も豊富だし余程興味が湧く。そのYouTubeを閲覧中にふと目に留まったタイトルが”Myホームページ”や”ブログ”作りのUp動画、これは面白そうだと”目が点”に、そして作り始めたのが「老い楽日記」である。暇に飽かせ取説を見ながらの作業を続けた。二年ほど経ちコロナが収束し、以前の日常が戻ってくると、このMyHPはもうお役御免である。興味も薄れてそのまま放置したままだったが、あれから又二年、MyHP「老い楽日記」、ひょんな事から、久しぶりに”メインテナンス”を思いつく。コロナ禍ではサークルの閉鎖や解散の憂き目にもあったがそれなりの収穫もあった・・・それがこの”ブログ”作りだ。古いソフトIBMの”HPビルダー”から始めてこのGoogleサイトへとたどり着く”HTML”や”FFFTP”等を気にしなくて済む。使い方も激変、雲泥の差だ・・・以前から利用できたらしいが残念ながら私にその知識がなかっただけ、久しぶりに「MyHP」を開き、再構築作業に取り組んでいる今、歳を重ねて今年は82歳に・・・そろそろ体力も気力も落ち加減でではあるが、・・・”なんだこらこんな坂”(^^♪・・・まあ、このテーマは老化防止にも役立ちそうだし、そしてなによりも私の遊び心”好奇心”を呼び覚ましてくれている。
昨年末”HGC”が解散となり、さてこれから、と思案していたころ、近く(といっても車で10分~15分)にギター・アンサンブルの会を見つけ、入会させていただいた。”アンサンブル・フォンティーニュ”である。先日の練習終了時、演奏リーダーの”N”さんが次年度の練習曲の話をされたが楽譜のストックが5年分ほどあると・・・そういえば私のストックもいつの間にか・・・溜り続け整理しなければと考えていたところだ。このサークルの全体構成が見えていないので何ともしがたいが、公開してメンバーに選んでもらったら一番手っ取り早い、早速リストを・・・とEXELにデーターをぶち込むことにした。PCに添付されていた2010年製のEXELを再インストールして使い始めてまもなく使用法を思い出すのに四苦八苦・・・これも認知症の防止に少しは役立つだろうと昔の参考書を引っ張り出し・・・
2年ぶりの”プログ”メインテナンスである、手をつけるには何かきっかけが必要だ。MyHP「老い楽日記」は一部の友人やサークル、家族にのみ限定公開していた。容量の限界で一旦は終了したが、その後見つけたのがこの”無料のGoogleサイト”であった。無料のドメインで限定公開リンクを知らなければアクセスのしようもないから( ^ω^)それも、むしろ気楽である。今度はどのような構成で、と考えながら・・・
暇にあかせ”ダラダラ”と書き綴った「老い楽日記」から趣味のギターや音楽に関するテーマだけを分離、転載、「Guitarの傍らで」として新しいプログを公開する事にした。興味をもたれたら・・・↓
令和4年5月13日
細田氏は10日、自民党議員のパーティーで「1人当たり月額100万円未満であるような手取りの議員を多少増やしても、罰は当たらない」などと発言した。日本維新の会の馬場伸幸共同代表は12日、「絶対に罰が当たる」と猛反発。立憲民主党の泉健太代表も13日の記者会見で「定数を増やして罰が当たらないと言うのであれば、自民党の参院選の公約に載せて罰が当たるかどうか確かめていただければよいのではないか」と皮肉るなど、野党から批判が上がっていた。 一方、自民党の世耕弘成参院幹事長は13日の記者会見で「国会議員の増員は視野に入れてもいいとの指摘もあることは申し上げておきたい」と述べ、細田氏の発言を擁護した。【畠山嵩、樋口淳也】
令和4年4月5日
世界で今起こっていること、そして日本で今行われていること・・・見えてくるのは政治家と称する人の欺瞞である。もうすぐ参議院議員の選挙が始まる、 そろそろ”バラマキ戦術”・・・高齢者に”¥5000を配付・・・これはさすがに見え見えですぐに廃案、今度は「定数是正」は何時ものとうり「10減10増」
衆議院の細田博之議長は5日、衆議院の小選挙区の定数を10増10減することについて、「もうちょっと考えたらどうか」と述べ、見直すべきとの考えを示しました。衆議院の細田議長は5日、都内で開かれた自民党議員の会合で、1票の格差是正のため衆議院の小選挙区の定数を「10増10減」することについて、「地方いじめのような、都会だけ増やすようなことは、もうちょっと考えたらどうか」と述べ、見直すべきとの考えを示しました。その上で、細田議長は、自民党が夏の参議院選挙の公約に定数削減をやめることを掲げるべきとの考えも明らかにしました。国会では現在、選挙制度改革に関する協議会の立ち上げに向け与野党の間で調整が行われていますが、細田議長の異例の発言に野党からは早くも反発の声が出ていて、調整は難航も予想されます。 議員生命末期によく云いだす・・・もっと元気な時に実行してくれれば・・・「定数削減」又かけ声だけでおわりだろう・・・既得権益の構図はいずこも同じ・・・傘寿の心が又しぼむ
スパイ出身のプーチン大統領、ウクライナのNATO加盟を恐れる理由 「ただそもそもNATOは…」 4/5(火) 7:00配信
日々、事態が刻々と変化するウクライナ情勢。10代から「そもそも」の疑問を募ると、実は見落としていたかもしれない根本的な
疑問が集まりました。「ウクライナがNATOに入るとなぜ困る?」。元モスクワ支局長の、駒木明義論説委員が答えます。
(withnews編集部・金澤ひかり)
NATOに入るとなぜ困る? ウクライナがNATOに入ったらどうして困るのでしょうか。(この春高校を卒業した18歳、森木花歩さん)そもそも「NATOは必要ない」プーチン大統領はNATOについて、「ソ連はもうなくなったのだから、(旧ソ連の支配から逃れようと加盟する国もあった)NATOはもう必要ない」と考えています。それなのに、かつてソ連だった国がどんどんNATOに加盟し、NATOがロシアに近づいていると感じています。それを「NATOはロシアを攻めようとしている、あるいは弱らせようとしている」と捉え、許せないと考えています。要するに自分の「身内」であるウクライナがNATOにいっちゃうのが耐えがたいんですね。「ロシアはNATOから嫌がらせを受けていて、耐え続けてきたけど、もう我慢ができない。だからウクライナを攻めた」と考えています。弱体化させられることを恐れているただ、そもそも、NATOはロシアを攻めるつもりはありません。なぜかというと、NATOもロシアも核兵器を持っているからです。もしNATOがロシアを攻めた場合は核戦争になり世界が滅びます。したがって、正面切った戦争はできないのです。でも、プーチン大統領は、正面切った戦争ではないにしても内側から弱体化させられることも恐れています。プーチン大統領はスパイの出身なので、そういう攻め方を自分はしてきたし、自分がその標的になる可能性も考えています。ウクライナがNATOに行こうとしているのも、欧米がスパイや工作員の力を借りて国民を扇動したりしているのではないかと考えています。「本当は彼らもロシアと一緒にいたいはずなのに、無理やり引きはがされている」。プーチン大統領にはそう見えています。そして、同じようなやり方をロシア国内でもやられるのではないかということも恐れています。確かに、アメリカはロシアにもっと民主的な国になってほしい、もっと下品な言い方をすればアメリカにとって都合のよい国になってほしいという意図はあるでしょう。ですが、それはNGOなどを通じた動きであり、世界の取り決めとして悪いことをしているわけではありません。
戦争末期の様相を呈してきた”ウクライナ、ロシア戦争”、はたしてこの”戦争”を”犯罪”を誰が裁けるのだろうか?国連安保理は何の役目も果たせないまま、国連改革と弱小国がいくらさけんでも、常任理事国は動こうともしない・・・「アメリカ」も「中国」もコレまで似たような事をやってきただけに・・・既得権を手放そうとしないだろう・・・・今回、ゼレンスキーが国連で演説するという・・・どれだけの国が耳を傾けるのだろうか
無能な元政治家達 令和4年3月2日
世界が驚愕した「ロシア」の ”ウクライナ侵攻” 今の時代に、まさに堂々と起こした紛れもない侵略戦争だ。日々報道される凄惨な悲劇に涙し、切歯扼腕する人も多いはずだ、しかるに、このタイミングで”ツイッター”か、なんか知らないが、我が身の危険を承知で危機に直面している祖国のために先頭に立つ「英雄」に対し「無能なリーダー」とは、全く何という言いぐさであろう、これが我が国の”元総理大臣”であり、そして”元東京都知事”だ、この方々の恥ずかしい言動にいつもがっかりする、どちらも鉄面皮だ、何を言われようと”屁のかっぱ”どこえでもノコノコ顔をだす、韓国で土下座したり、TVに未だノコノコ顔を出す。呼ぶ方も呼ぶ方だが、しかしこんな人間を選んだのも国民であり都民なのだ、このコメンテーター達がしたり顔で「英雄」を「無能」とか「失政」とか、こき下ろす、相手の状況や立場、当事者がどういう局面に絶たされているかを全く理解しないのだ、こう言うリーダーを仰いだ国民は哀れだ、危機に直面したとたんに多分・・・若者よ政治に関心を持て”小手先”口だけ”の政治家を見抜け
社会主義体制、あるいは共産主義体制、いづれにしても中央集権的体制を維持しないと立ちゆかない。民衆が平等に分配を享受し満足して居る内は安泰である。しかしその均衡が崩れたとたんに不満が爆発する。その不満のはけ口を民衆から逸らすために軍事力を誇示したり戦争を引き起こしたりする。一方で、民衆には不安を抱かせないよう、反体制的言論を抑圧し情報統制して権力の集中を企る・・・独裁政権で無ければこんな乱暴な事は出来ないだろう。・・・外から見るとやりたい放題のように見える独裁国家、不満さえ抱かなければ生涯を保証されるからこの体制の中でいつの間にか無思考に、考え方によっては安心なのかもしれない。中国の一統独裁、ロシアのプーチンの独裁政権、北朝鮮の金一族、世界にはこの種の独裁政権はまだまだある。国民が不満を抱いてはならない国だ・・・ この「ウクライナ」戦争、どう見ても「ロシアの戦力」が数段上である、然るに、「アメリカ」も「NATO」も協力はするが参戦はしない、ましてやあの無力の「国連」、今更言っても無駄だが、「非難決議」は常任理事国の一票で簡単に否決されてしまった。何故?戦争当事国の「ロシア」の一票で「否決」されなければならないのだろうか?どの国も口を塞がれ、国連の存在意義すら疑われる。第二次世界大戦の戦勝国が常任理事国だ、その中の一国が「核」を振りかざして他国を恫喝し、今回はそれが軍事力による侵略にまで足を踏み入れてしまった・・・”何と理不尽な”と世界は非難はするが、何処かに”落としどころが”、というコメント迄だ、その間の犠牲者が痛ましい。日本の「北方領土」「竹島」実効支配されてしまったらもうお終いである「二十一世紀のこの世の中」現実的には軍事的解決など思いも及ばない・・・今時の対抗措置「経済制裁」が、どこまで機能するのか、もちろん「プーチン」は百も承知の決断に違いない、充分にその備えをしているはずだが・・・しかし国民もバカではないだろう、ジワジワと情報がが漏れだす、反戦デモが広がり、体制に対しての不信がわき上がって・・・「プーチン」はのその恐怖から逃れるためにさらなる狂気に走る?・・・果たしてあの「独裁者」「アドルフ・ヒットラー」のように儚い夢で終るのか、その末路は近いように思えてならない
無法な大国の不条理がまかり通る拒否権はその非民主的な性質から批判されている。安保理の多数派の行動を一国で妨げることができるからである。例えばアメリカはイスラエルを批判する決議に対して単独で拒否権を行使している[40]。また、それぞれの常任理事国は自らの行動を批判する決議に対しても拒否権を行使する。2014年にロシアによるクリミアの併合を非難する決議に対してロシアが拒否権を行使した。アムネスティ・インターナショナルは、安保理常任理事国の拒否権の行使は、民間人保護の利益よりも政治的な自己利益や地政学的な利益の促進のためだと主張した[41]。
安保理常任理事国に拒否権があることは時代錯誤であり、不正であり、逆効果であるという批判もある。ピーター・ナディン(英語版)は、「拒否権は時代錯誤である。21世紀になって拒否権は不釣り合いな力であり、危機に対する信頼できる国際的な行動を阻害するものだとほとんど全ての人が考えるようになった」と書いている[42]。「拒否権の巨大な影響力」は、大量虐殺、暴力、人権侵害の防止や対応において、国連が無力となる原因として挙げられている[43]。非同盟運動やアフリカ連合など、常任理事国以外の様々な国が拒否権の制限を提案している[44]。安保理改革の中に拒否権の改革も含まれることが多い。
総会で平和のための結集決議(A/RES/377 A)が採択され、その結果として慣習国際法となった総会の権限の解釈を考えれば、安保理の拒否権の問題は乗り越えられると主張されてきた[45]。 平和のための結集決議は1950年11月3日に国際連合加盟国の3分の2以上の賛成により採択された。この決議は国際連合憲章に基づき、安保理が平和維持の「主たる責任」を果たせなかった場合は総会が国際的な平和と安全を回復するために必要なあらゆる行動を取ることを安保理常任理事国は妨げることはできないし、妨げるべきではないという宣言である。このような解釈では、国際連合憲章によって総会は国際的な平和と安全に関する問題についての「二次的責任」ではなく、「最終的責任」を与えられていると考えられる。国際連合の様々な公式・準公式の報告書では、平和のための結集決議は安保理の拒否権を無効にする仕組みを総会に提供するものであると明確に言及している[46][47][48][49]。そのため総会の3分の2が行動の必要性を認めた場合、拒否権の行使は国際連合の行動を遅らせることにしかならない。
拒否権の支持者は、拒否権は国際関係における重要なセーフガードであると考えている。トーマス・G・ワイス(英語版)とGiovanna Kueleは、この拒否権を「ヒポクラテスの誓いのようなものであり、国際連合の決定には害があってはならない」としている[50]。ロシアのプーチン大統領は、国際連合創設者の「深い知恵」を称賛し、拒否権が国際的な安定の支えになっていると言及した[2]。中国の王毅外交部長は、「戦争の本能を抑制する重要な役割を果たしている」と評価した[3]。
もう戦争など起きないだろうと思っていた。東欧,西欧,そしてアメリカにロシア、どちらの情報を信じてよいのか解らない中に、こうもあっさりと、世界中が驚愕する事件が勃発してしまうとは、情報が溢れる中、たまたま前後してTVの特番「浅間山荘事件」を見た。逮捕され16年の刑を終えて出所後、農業に従事、実名で自らの行動を振り返るドキュメンタリ番組に偶然に出あった。あの「赤軍派事件」武装蜂起を企て、未来の理想郷「国際根拠地」を建設する目的で、行き詰まった挙げ句の「よど号ハイジャック事件」、それらの当時”若者”は日本共産党から除名され、もしくは離党したメンバーが合流して超過激派組織になったのだ。表面上、毛沢東を信奉し、「反米、愛国」をスローガンに掲げ、「銃のみが政権を生み出す」といったエセ”毛沢東理論”に迎合、民主主義、資本主義思想は世の中を駄目にする、社会主義、共産主義への革命を起こさなければならないと詭弁を労した。これを盲信して純粋な若者もこの闘争に加わった・・・懺悔の念を述べる年老いたその人の目は、必死に何かに耐えるかの様に見開いていて・・・いずれにせよ社会主義、共産主義とはいったい何者なのか、善悪は別にして、今の若者たちがこのような、政治思想や理念に興味を持って論じる事があるのかどうかも心配だ、ここ数十年、感じたことが無い、いやこれは若者だけの責任ではない、教育にも、政治にも、特に政治家の責任の軽さは目に余る。高邁な理念で身を投じる(昔も居たかどうか?)政治家なぞ日本にはもう・・・しかしウクライナの「ゼレンスキー」大統領は改めて見直した。ロシアの脅しに屈せず首都キエフに留まって居る、国民の支持率が十数パーセントに落ちていたとか、しかし政治家の使命感はこういった時に現れる。コメディアンから戦時下の大統領に、世界は「ゼレンスキー」さんを注目している・・・頑張れ・・・ワシャ何も出来ないけれど
2月24(木)摂取券がようやく届きました。しかし近くに(戸塚区)接種できる医療機関ゼロにビックリ、コレじゃ・・・高齢者の方々、予約に時間が掛かって、という嘆きがよくわかった。私目はと言うと一,二回目は入院中で家族が予約してくれ、少し遅めの接種になったのは止むをえなかった。が、しかし、今回は先ず摂取券が届かない、これでは予約のしょうが無い、ここら辺の仕組み?腹を立てる前に先ずは予約である、添付されていた接種会場リストから、保土ヶ谷区の大規模接種会場(ラーニングセンター)25日分、ネットで予約ができた。当日はモデルナ製のみの接種日とある。情報では副作用が云々と聞いていたが早く終らせて置きたかった。 接種の翌日、何時ものように早々と目が覚めて、時間つぶしにPCに向かっていると、腕も痛いが、頭痛が・・・これはまずいと再度寝床に戻ったが・・・そのご頭痛と微熱が続き一日中炬燵(我が家は炬燵派)でまどろむ事に・・・これが副作用と言うやつか、しかしまあこれで一安心である
オミクロン株の蔓延状況がようやく頭打ち?どうやらこのまま沈静化にと思いきや・・・一日当たりの死者は日増しに増えている。相変わらずの政府の反応の鈍さに腹が立つ、出来るだけ早く接種して欲しいと”のたまう”国や地方の行政、何が事実なのかさっぱりわからない、感染症専門医をうたい文句に前市長に代わって当選した山中市長、接種券をとにかく早く発送したら”ドウナンカイ” 私が2回目を接種したのが昨年の7月25日、この頃の接種者、ご丁寧に三回目までの間隔(予定では2月21日発送とか)を遵守して発送を”待っている”らしい”これじゃあ早くと言われても打てないんだよ、この”バカモノドモめ”・・・TVに出突っ張りで忙しい、宇都宮のあの勇ましいDrのような言葉もつい・・・官僚(厚労省)、お役人様は画一的で経験的事務処理を好むそうである(この方が自分達が”安心、安全”だから)今、まさに国会の真っ最中、おまけに、あのズルーとした岸田さんの答弁も頼りない・・・国民の”命の安心、安全”を最優先に・・・近づく選挙を前に虚ろな言葉だけが交差する。国の根幹を担う国や地方の行政機関、”金権議員”や”老権議員?”ばかり目立ち、魅力も薄くなったか、官僚を目指す学生が少なくなってきているらしい
体調管理のために通っているスポーツジム、寒い日、雨の日、つい今日は、と背を向けたくなる、その気配をすばやく察知して家内が”ググッ”とその背を押す、”シブシブ”ながら家をでる。もうこんな生活が三年も続いているが、健康、体力維持の為にも欠かせない日課になった。その通っているクラブで昨年、小規模乍らクラスターが発生、二週間ほど休会した事がある。その後は保健所の指導もあってか感染予防対策にもしっかりと対応、以後のクラスターは起きていない。そろそろ感染拡大のピークは過ぎたかなと報じられている矢先、今度は感染力が一段と強い”オミクロン株”BA1とかBA2とか言うらしいが新たな変異種”ステルスオミクロン株”の登場だ、とにかく予断は許されない状況が続いている。まあ、既に視力の衰えている老人達には最初から眼に入っていないのだし、”どこ吹く風”のようである・・・一時期より場内の混雑感は薄れたやに見えるが、いやいや、ロッカールームは相変わらずの混雑ぶり、要介護にならないために、何とも健気な老人達が、多分私と同じように背中を押されて・・・今日も開館時間を待ち兼ね、ジムの前に行列を作りながら立ち並んでいる・・・この方々は3回目の接種を終えているのかな~・・・我が家には未だ接種券が届かない・・・
4月21日
今日はスポーツジム通いの休息日、部屋の掃除やら衣替え、気を紛らわせながら一日を過ごす。”教養を身につける”を老後のギャグで先輩が”今日用を見つける”とかいっていたが、ようやくこの言葉の意味がわかってきた。
4月10日
年齢を重ねるにつけ物忘れも多くなってくる、約束した日や予定など、壁のあちこちにメモを貼り付けてみたり、カレンダーに印をつけたりしておかないとすぐに忘れる。”賀状納め”の原因の一つがプリンターの故障だった。コレがひとつの区切りかなと覚悟を決めたのだ。なにせ百枚近い賀状を手書き?もう諦めた、そうすることで相当気分も楽になって・・・故障プリンターを”ハードオフ”にと思いつつ一月二月と、粗大ゴミで、と思う物の電話や帳票の手続きも面倒・・・いつの間にか頭から消失、もう四ヶ月が過ぎようとしている。
歳のせいか「終活」という言葉がやたら目や耳に入ってくる。これはどうも、某葬儀社のTVのコマーシャルのせいだ。出演している役者さんも ”ソロソロ逝きそうな方”が主役、気がつくとその主役がいつの間にか入れ代わっていて、この交代が微妙である。狙いはそこかと、妙に納得し乍ら広告の標的にされている”老人”としては苦笑いするしかない。 幸い始末しなければならない資産や財産などとは無縁であるから「終活」への思いや積み残しも無い。ただ、”古い本”や”写真帳”使わなくなった電化製品”
の類いが物置を塞いでいて、どうにかしたいとは思っているが面倒な事はどうも先送り・・・寿命もついでに先送りにできたらなあ~・・・
今日も早々と目が覚めてしまった、時間つぶしにパソコンに向かい年初に戴いた「年賀状」の”お年玉当選番号”と照らし合わせてみる。そういえば一度二等賞(腕時計)に当たったことがあった、もう四、五十年も前の話だ、その後は三等賞(切手セット)のみ、しかし毎年大概は1~2枚は当たっていて切手、普通葉書等買ったことが無い。今年の当たりは”2枚”だったが多い年は7枚も、と今でもこの大当たりを記憶している。
年の暮れ、訃報が届く度に侘しくなり、年が明け「賀状終い」や「賀状納め」の言葉が届くようになってくるとなおさらだ、まだ元気だと思いつつも体力や気力の衰えは隠せない。これでは不味いとスポーツジムに通い、趣味のギタークラブに通ってはみるものの、どうやら集中力もきれかかっている。そして年の瀬の年賀状書きである、書くべき”トピック”も無いから段々と億劫になってくる。さ~”ソロソロ自分も”の、思いが過ぎり始め、当年80歳「傘寿」を迎えるこれを期に、今年をもって年賀状納めとさせていただこうと・・・
”年賀状書き”は新年を迎える定例行事のようなもので、一枚一枚手書きの時代が懐かしく思えたりもするが長く生きていれば付き合いも増え賀状の枚数も多くなって来る。人にもよろうが、これも段々とストレスに変わってきて今年でもう止めにしようかと思った時もしばしばあった。しかし、この「年賀状」一枚だけでつながる僅かな”縁”を全く絶ってしまうのも、これはこれで又寂しいモノであるが・・・かくして”令和四年”、いよいよ「傘寿」・・・体力を減じながらも未だご厚誼を重ねていただいている”諸先輩、友人を差し置いて、甚だ勝手ながら、この賀状を以て・・・云々”・・・断腸の思いで「年賀状納め」とさせていただいたのだ。この”年賀状交換”の文化も年々変わりつつあるようだ、若い人にとってはもう化石のような存在らしい、電子メール、SNS Line スマホ この頃は老人?でさえ乗り物、待合室、”座り”さえすれば”スマホ”に見入っている。時代は変わった・・・これが良いのか悪いのか・・・
昨日は、一日中この作業に熱中、悪戦苦闘していたが、未だ巧く行っていない。おかげで時間の経つのも忘れ、おまけにHGCメンバーの”O”さんに誘われていた ”クラシックギターの演奏会”もスッカリ忘れてしまって・・・今頃思い出してももう遅い、老いのせいと勘弁していただくしかない。何かに夢中になると他に思いが回らなくなるのもしかたがない、脳が老いて”ワーキング・スペース”なんとやらがだんだん狭くなってくるかららしいがそれはさておき、興味のつきない”無償版”のプログサイト”の立ち上げだ、問題は”保存してある動画や音源などをメンバーと共有する為の”外部リンク”の設定方法が解らず四苦八苦している。途中”メンバーに”グループライン”や”掲示版”で確認してみるが応答はまばら、反応が鈍い(失礼)かくして対処にも時間がかかるし・・・大体こんな事に関わり合うほど呑気で閑な人間は居ないのかも知れない。 ”オンライン・ストレイジ”の利用では”セキュリティー”が多少気になる、勉強中の目にもしばしば触れる”kyeワード”だ。一般公開か?限定公開か?プライベート、しかも初心者のお遊びプログに一般公開など思いも寄らない、限定公開にきまっているが、アクセスの都度”PWを入力”はさすがにやっかいで、”PW”が多すぎて何時も右往左往する。何せこのブログの対称は私を含めほとんどが高齢者、面倒な操作は望めない・・・はたしてこのブログ、日の目を見ることがあるのかしらん・・・先の事は気にしない、再び気を取り直しPCの画面に目を向ける・・・
”H.T”さんが呼びかけたYAMAHA の「SYNCROOM=SR」の参加メンバーは現在六名程、その一人”K”さんは現在、ブラジルのギター音楽に夢中らしい。その方面?の知識は豊富である。メンバー”R.K”さんの提案で途中から始めた”GroupLine”に”様々な情報を寄せてくれた。中でも、ブラジルのギタリスト”Dilermando Reis”の作品下記が耳に残っている。曽て知人から戴いた楽譜にもReisの「もしも彼女が尋ねたら」があり、クラシック曲としてはあまり聞いた事の無いメロディーが印象的だった。Reisで知っている曲といえばこの一曲だけだが、”K"さんから紹介していただいた他の作品もやはりReis独特な曲調で雰囲気が大体似ている。演奏するには一寸難しそうかな、と思っても、指板を追っている中に成る程、と頷いてしまう。さすがにギターをよくしっている人の作品だと納得する。
現在下記3曲を練習中
1. 遥かなる郷愁 エテルナ・サウダージ Eterna Saudade
2. 二つの運命 ドイス・デスチノス Dois Destinos
もう少しユックリト弾いてもよかったが・・・・
3. 一つのワルツと二つの愛 Uma Valsa e Dois Amores
「ウマ・ワルサ・イ・ドイス・アモーレス」
曲の題名は何を物語っているのか意味不明であるが直訳の語意をを勝手に解釈
して練習に励んでいる
音楽評論家のアラミス・ミラルシ(Aramis Millarch 1943-1992)は「ジレルマンドのギターはクラシック・ギターの演奏方法に似、幾分饒舌であるが彼自身はMPBには見向きもせず自分独自の1930年台のスタイルを変えなかった」と書いている。リオでは町の先輩ボンフィーリョ・デ・オリベイラに音楽理論を
学んでいます。
*MPB:ムージカ・ポプラール・ブラズィレイラ(葡: Música Popular Brasileira, MPB (エミ・ペー・ベー))
とは、ブラジルの音楽形式(ジャンル)の1つで、英語的に言うと「ブラジリアン・ポピュラー・ミュージック」の意。主に、1960年代後半、ボサノヴァ誕生以降の、ブラジルのポピュラー音楽をさす。 Wikipediaから
昨年11月、HGCの練習を再開した。なにせ高齢者集団である。心配もあったが2回目のワクチン接種はメンバー全員が完了 デルタ株の1日の感染者も 大分減ってきている。幹事との話し合いで再開する事にした。久方ぶりの合奏は何となくぎこちなかったが、皆元気な顔で再会できた事が嬉しい。休会からもう2年余り、本来なら練習終了後は”じゃあ何処かで一杯”と声をかけるところだったが・・・
休会の間、巣籠もり生活の中で見つけたのがYAMAHAが運営する”SYNCROOM”なるリモート演奏サイトだ。以前、知人から教えてもらった”クラシックギター合奏曲の楽譜棚”今も事あらば覗かせてもらっている。合奏楽譜の宝庫だ、その”註記”に”リモート演奏に参加募集”の文言が目にとまる。Net duet=SYNCROOM 恐る々メールをだしてみた。毎週木曜日、AM 9:30~11:00 常時Openサイトで自由に参加来るとのこと、HGC再開までの間、様々な知識や譜面などをいただき、”開設者のH.Tさん”始め””すばらしい演奏をYoutubeに披露しているY.Mさん””楽譜やラテン音楽のWikipediaみたいな人、”K"さん””関西から参加、リモート中にゴミ収集車の音楽がのどかに流れる”O"さん””コーラス、ギターとまだまだお若い、唯一女性メンバーの"R.K"さん”この方のSNSの広範な知識にはメンバー全員が助けられていました。そして今年「傘寿」を迎えた老い先短き”老爺”も・・・11月のクラブ練習再開を機に”SR”を卒業させていただいたが、その間、会話とセッションに加えていただき良い経験をさせていただきました・・・感謝・感謝
”オミクロン株”なる新たな変異ウイルスの脅威は日に日に増して・・・
長く生きていれば、良いことにも悪いことにも出くわしてしまう、これも輪廻と言うやつか、年が明けていつの間にか齢は80を数えている。この三年間、世界中が”ウイルス”に翻弄されてきた。まだこれからも・・・大事な余生を誠に以てもったいない。ワクチンのブースター接種がじれったいほど進まない、国力か?政治の貧困か?今日、いよいよ一都三県、「蔓延防止措置法」が適用となる。
自粛生活を余儀なくされた”COVIT19”初期の頃、時間つぶしにと思い立ったのが自前の”ホームページ”作りだった。元々興味があって、もう14~5年前に入手したIBMの“ホームページビルダー” が未だ手つかずのまま残っていた。これがWin10でも使えれば面白いと、試しにインストールしてみる。インストールは成功したが問題は使い方だ、幸い、所属しているギタークラブ”HG”のメンバーに知識豊富な”Kさん”がいた。メールのやり取り、その後の指導のおかげで目から鱗、HPの仕組みを”それなり”に理解することが・・・”さ~いよいよ”実践である。当マンションの”契約プロバイダー”が無償で提供してくれるサーバードメインがあって、容量は50MB、 大した事は出来ないと思うがプロバイダーからの指導も仰げて実験するにはもってこいの環境だった。様々な試みで「MyHP」をどうにかこうにか立ち上げることが出来た。しかし容量僅か”50MB”では動画をストックするとすぐ パンクする。外部(youtube)とリンクさせたり、画像を削除したり容量を倹約する方法を教えてもらったが、今ではほとんど満杯、作業もだんだんと面倒になって、ここで実験は終了、もう一年程放置している。本格的に目指せば有料のレンタルサーバーと言う手もあるらしいが、そこまでのめり込むつもりも無い、たどり着いたのが、「JIMDO」やら「Wix」「Googleサイト」etc 無料の”ホームページサーバー”だ。広告もないし、結構見栄えも良い、「FFFTP」での変換作業が不要、直接入力で完了する・・・”ワタシャコレデヨイノダ”・・・いくつかの”無料サイト”を試したが現在は「Jimdo」と「Googleサイト」に落ち着いた。 コロナ禍で始まったこのクリエートな世界、様々なコンテンツを試しながら、この「Cyberな世界」を楽しんでいる。しかし、いつもの伝で多分すぐ飽きが来る、このモチベーションをいつまで保てるか些か心許ないが、興味をなくさないのが元気の秘訣、”継続は力なり”と昔の上司によく聴かされたものだが・・・
ふと気が付くと窓の外では木々が揺れていて風が強そうだ。今夜、故郷の新潟は雪が降るらしい・・・黄昏時は何をするにも”老いを感じるが・・・”三途の川”を目の当たりに・・・はやもう「傘寿」の変わり目に迄足を踏み入れている。しかし、まだまだ”ワシャ”元気ジャ、こうして呑気に巣籠もり生活、会話も乏しくなって口の回りも怪しくなってきたが、人生、これから、「傘寿」も”又楽しからずや”と気を取り直す
(註)「FFFTP」:エディター(ホームページ・ビルダーや、WordPress等)で創ったデーターをネットー上のサーバーに転送するための翻訳機(フリーソフト)のようなもの、 と私は勝手に理解している・・・旧)HPはこのプロセスでUPしている
昨年、3月11日は最後の勤めの日、東北大震災のその日に偶然にも重なった。後に思うのだが本来、人間のみならず、あらゆる動物にとっても糧を追うことは生きるための本能であり、それは死ぬまで続く。それが生活であり”仕事”なのだが、人間には仕事から”リタイア”するという最後の難関が残る。被災者に対し誠に不遜ではあるが私にとっての”リタイア”は今回の大災害、それにもましての生涯の大事件のようにも思えて・・・
さて、仕事を離れたその日から、毎日が日曜日という正に書いて字の如く楽しく?も、侘びしい“老後の人生”が、はじまった。今年は誕生日を迎えて満70歳、「古希」である。人にもよるが体力や気力の衰えを感じ始めるころだ。“風習”行事”祝い事”にはもともと無頓着で人生の節目として「還暦」「喜寿」などの言葉は知っているが、見聞きしたとしても大概はスルーだ、「古希」-(こき。原文の表記は古稀。「稀」は常用漢字にはないので現在では古「希」と書くことが多い)唐の詩人杜甫の詩・曲江
(きょっこう)「酒債は尋常行く処に有り 人生70古来、稀なり」(酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。(しかし)70年生きる人は古くから稀である)に由来する云々・・・Wikipediaにはこうある。
昔はいざ知らず、この位の老人?町中に“ウジャ”“ウジャ”と闊歩していて、まだまだ元気だ。そして、それが幸か不幸か?申し訳ない様な気もするが、この世代はこれからもまだまだふえ続けそうだ。若い世代は減る一方、おまけに、なにやら痩せ細った軟弱な若者ばかりが目立つ、”草食系“とか”ナンタラ、カンタラ”言うらしいが““バンカラ”が“オトコ”であった時代が懐かしい。これでは、新興国のあのバイタリティ溢れる若い世代にとって代わられても仕方がない。こんな情けない“バカモノ”?いや“若者”ばかりだけでは無かろうが、ついつい“老婆心”ならぬ“老爺心”乍らと そこら辺に“タムロ”している若いヤツラに“ハッパ”の一つも、かけてやりたい心境になる・・・ウム・・・しかしその気力も早、失せて・・・
昨今、街に溢れている“喋りまくっているような歌”や、”踊りまくりながら歌うジャリンコ歌手“、あの、“ナンタラ、カンタラ”も、解らない。情緒もヘッタクレも無いと「ブツ、ブツ」とボヤイテは見るが、これも所詮、老爺?なるが故の“やっかみ”か・・どんどんと、時代から取り残されていく気がしてならない・・・それにしても結婚しない男女が多い、結婚しても子供を産まない夫婦も多い。この世の中、全くどうかしている。「出生率」が減るから当然「老人比率」が増える。出産が「古希」に代わり「希有」の事になってしまっては大変な事だ。この先、「年金問題」も、どうなることやらと、我が子、孫の将来を慮るこの頃だが・・・
今や「年金」は我が老夫婦の生活の糧である。お仕えの義務を果たした上での廻り持ちであるからして遠慮はしない。とは言え、この生活もそう長くはないのだから、何とか・・・と、老人が手を併せなければならない制度に成り下がろうとしている。この責任は?等といってももう遅い。行く末はどうなる?政府、そして政治家の責任は重い。
はて、さて、この残された老後すら危うい世の中、さほど寒くもない朝に一振り、“ブルル”と身を震わせる。何が起こるか解らない昨今である。地震に津波、原発事故とくると、もう何が来てもおかしくない。「人間万事塞翁が馬」他に目をくれず余生を楽しむしかないだろうと腹を括る。たまには気の合った「老人仲間」と酒を食らい、世の中の不条理に憤慨し、政治家達の無能さを論じあって慨嘆する。よく言えば「晩春、万歳」の一時を楽しむ・・・
驚くこと無かれ、最近の居酒屋は老婆、老爺達の喧声から始まる、当然だがこの世代、時間を持て余している。一見、このエネルギーたるや・・・という風には見えるのだが、如何せん閑があっても(多分年金生活者が大半)金銭的余裕は?したがって出費も“そこそこ”は忘れていない風だ、オーダーの仕方でよくわかる。一方、普段の何気ない家ですごす一時がその日、一日を満たしてくれる事もある。
日差しが北西に傾き居間に深く入り込む、「日々之好日」と老夫婦、病院の世話にならぬようにと会話は“体に良いこと”ばかりだ。
聴いても、聴かずともお互いに気にしない、ゆっくりと・・・お茶を飲み、TVの音がながれ、コックリと居眠りする内に時間は足音も立てずゆっくりと過ぎ去ってくれる・・・
愚痴をこぼしてもなんにもならないが、さて、この頃は毎日が閑だ。晩酌をいくら重ねても朝は早く目が覚める。夜も床につくまで、時間が余る。家内から横目で“濡れ落葉”と疎んじられているようで、だんだんと気になってくる。言わば被害妄想というヤツだが、
そんな日々に、追い立てられるが如く昨年から「古希の記念、ギター演奏集」の”CD作り”に取り組んでいる。取説と首っ引の
作業だか、元々こういった事が好きで一旦手を付けると夢中になってしまう、行きつ戻りつ、それでも何とか目鼻がついてきた。
演奏収録曲はこれまで様々な録音媒体で残していたもの、他には気になってはいたがなかなか弾きこなせなかった曲等々・・・
”ギター楽曲集”の何冊かに、価格¥200、や¥400、のものがある。発行年度は1961年、1965年と、相当古いもので別に古本屋から買ってきた訳ではない。結婚、転勤、引っ越し等でいろいろなものが雲散霧消していった中でも手元に残り続け、家内や既に嫁いでいった三人の娘達よりも付き合いが長い、私にとっては離し難い曲集だ。「GUITAR JUKE BOX」「伊豆 豊」編_SUISEI-SHA版・・・大分傷みが目立つ、この曲集はたぶん昭和37~8年頃に購入したものでB5サイズ、71頁、価格200円とある。購入した当時のレベルでは弾きこなせなかった曲が何曲か残っていて・・・「荒城の月変奏曲」や「シュウベルトのセレナーデ」が頭に浮かぶ
私の演奏は全くの我流、仕事を離れギターをもう一度と思い立った頃は、ただ好きな曲を弾いて単なる暇つぶし程度の軽い気持ち、ひとさまに聞いてもらおう等、微塵も思わなかった。暇を持て余し「DYE」「楽器の手作り」「カラオケ」あれやこれやと趣味をひろげてみるものの、どれもこれも中途半端、行き着くところはやっぱり、ギターかなと仲間を求めて、所属したのが、アンサンブルクラブだった。独奏と違ってギター十数台の合奏は演奏曲の幅も広がり、スケール、音量も違ってそれがアンサンブルの魅力である。結果、演奏する機会も多くなり、加齢も重なってか人前での演奏にも少しは慣れてきた。現在は三カ所の俱楽部に所属して練習、と演奏会(ボランティア)で結構忙しい。合奏はリズムやテンポをいい加減に出来ない為全体練習が欠かせない、老後の暇つぶしなど言っていられないほど今ではもっぱらギター中心で過ごしている。さて、さて・・・光陰矢のごとし、「還暦」「古希」「喜寿」あっという間に歳を重ねて76歳「古希」の記念にと"演奏CD第一集"を作ってからもう七年が過ぎ「平成」、それも、もうまもなく終わろうとしてる。第一集、拙作を喜んでくれた仲間や先輩も、もう幾人かが他界、いずれ我が身もと思いながらもこうしてギター三昧の生活を送れる健康に感謝、感謝・・・今回収録した曲は多重録音以外、全て演奏会、発表会、等で演奏した曲目である。
1. KLEINE ROMANZE「小さなロマンス」は、1910生まれのLuise Walkerルイゼ・ワルカーと いうオーストリアのウィーン国立音楽大学の教授も勤めた女性ギタリストが作ったギターのための 小品で、後半部に「禁じられた遊び」を思い出させるようなアルペジオが入り小品ですがきれいな 曲
2. Canco del Lladre「盗賊の唄」カタールニャ地方の民謡を、ミゲール・リョベートがギター独奏曲 として編曲し、
「10のカタルーニャ民謡」として出版された中の第2曲目、「アメリアの遺言」と並んで大変美しい曲。囚われた盗賊
が二度と戻れない故郷を思い
浮かべて牢獄の窓に向かい朗々と歌う ”レオナ・ボイド”の演奏集に収められていて
女性ソプラノ歌手の歌声がギターの音色に乗って・・・感動した一曲である
3. Triste Santuario「悲しみの礼拝堂」ビセンテ・ゴメス(Vicente Gomez)作曲。大変きれいな曲 原曲楽譜には、・・亡き父に捧ぐ
と、添え書きがあるそうで、題名どおりの悲しみ込めた美しい曲
4. Sons De Carrllhoes(Choro)「鐘の音」ショウロ 19世紀にリオ・デ・ジャネイロで成立した音楽のスタイルの一つ、”ショーロ”
はアメリカではブラジルのジャズと称され、即興を重視した音楽としてはジャズよりも歴史が古いとも書かれている。
5. Un Dia De Noviember「11月のある日」 知る人ぞ知る、現代ギターの名曲です。
レオ・ブローウェル(Leo Brouwer) キューバの作曲家、映画音楽にも使われたようで所在ない秋の日の午後、どことなく
憂鬱で、何となく耳に残ってしまう・・・
6. Lagrimas De Mae「母の涙」: J.O.ケイロス作曲 少し情調過ぎる感じのメロディーの中に、感情的なリズムを挿入する事で
うまく収まった一寸素敵 な感じの曲、結婚式の披露宴等によく演奏されるようですが私の好きな曲のひとつ
7. Nesta Rua「我が道」作曲:サビオ:とてもきれいなブラジル民謡の変奏曲、自らの人生の歩みを思い起こしながら歌う、そんな
感じが漂う曲です。民謡をアレンジしたとはとても思えない、哀愁の漂うすばらしい曲、シナトラの「MAY WAY」を思い
うかべてしまう・・・
8. Estrellita「エストレリータ」(小さな星): 20世紀のメキシコの作曲家、ポンセの作詞、哀調を帯びたメロディーが素晴ら
しい・・・ バイオリン、サックス、ギターなど、様々なインストゥルメンタルで数多く演奏されている。
9. Love Story「ある愛の詩」 フランシス・レイとアンディ・ウイリアムスが1971年に発表したシングル楽曲。あまりにも有名、
日本でも岩谷時子の訳詞で馴染みのある曲
10.Sunflower 「ひまわり」Henry Mancini、1970年、公開のイタリア・フランス・ソ連の合作映画のテーマ曲。主演はソフィア
・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ、音楽担当は、ヘンリー・マンシーニ。映画ではこのメロディが効果的に流れて
感動的だった、さすがは、ハリウッド映画音楽界の第一人者美しいメロディーが心にひびくものがあったが、さて私めの
ギター演奏の方は・・・これは?後日録音しなおしだな・・・
11. El día que me quieras「想いの届く日」とは、カルロス・ガルデル(Carlos Gardel)が作曲したタンゴの楽曲。国内ではNHKテレ ビのスペイン語会話エンディングテーマに採用されたこともあるよし、また、森山良子によるカバー(歌詞は森山による和訳)が2013年1月から3月にかけてNHKラジオ深夜便で『深夜便の歌』としてオンエアされ、同時期に森山のアルバムRyoko Classics』にも収録されているようだ。
12. 「悲しい酒」 古賀政男の作曲、言わずもがな、美空ひばりの大ヒット曲
13. 「乱れ髪」 昨年なくなった作詞:星野哲郎、作曲:船村 徹、唄:美空ひばり・・・以上の二曲は日本人には説明不要の演歌の
名曲・・・
14. Se Ela Perguntar「もしも彼女が尋ねたら」 ギター曲でもあり男性ボーカルの曲でもある。ゆっくりしたワルツでメロディが
とても綺麗で特徴的な曲・・・私にとっては青天霹靂、今までまるで馴染みのない曲調、)ラジルのギタリスト
「Dilermand Reis(1916-1977)」の作品
15. Smoke Gets In Your Eyes「煙が目にしみる」 1946年にナット・キング・コールがカバーして大ヒットしたこの曲も元々は
1933年に ミュージカルの挿入歌としてジェローム・カーン が作曲。1989年公開、スティーブン・スピルバーグ監督作品
の「ALWAYS」の挿入歌で J.D.サウザーが歌っている。本家はプラターズですが サウザー のアルトヴォイスも映画の切なさ
を引き立たせていた。ギターでは6弦をDに調弦・・・開放弦の響きが心地良い
16. Stardust「スターダスト」ホーギー・カーマイケル(Hoagy Carmichael, 作曲、言わずとしれた ジャズ・スタンダード・ナンバー
17.「北の国から」作曲・編曲とも”さだまさし”自身による楽曲で基本は歌詞のないインストゥルメント”さだ”自身がインタビュー取材やコンサートのトークで「僕が作った曲の中で一番素晴らしいのは『北の国から〜遥かなる大地より〜』です。なにしろ、すべての詩が『あ』と『ん』だけで表現されてますからこんなに楽で完成度の高い曲はもう一生書けないでしょうね」と、しばしば自虐ネタとして披露している。今回の演奏はDuo楽譜を自身で多重録音したもの・・・多少のづれが気になるが・・・”マルチトラックレコーダー”による多重録音に挑戦中だった頃の一曲
18. UNO マリアーノ・モーレス作曲の1943年に発表のタンゴ。ウノ(Uno)とは「人は~する」の「人は~」という意味だそうで?エンリケ・サントス・ディセポロの歌詞がついていて、歌つきで演奏されることが多い。アンサンブル仲間の”S”さんがギターDuoに編曲した楽譜を頂き、今回MIDIと重ねて演奏してみた・・・もう少しうまく演奏できそうだが?エイ、ヤー・・今後の宿題曲・・・
19. ARRIVEDERCI, ROMA「アリベデルチ・ローマ」は映画「刑事」の挿入歌の1つとして使われた曲、唄ったのはアメリカの人気
テノール歌手のマリオ・ランツァ(Mario Lanza)で、この名唱によって「アリベデルチ・ローマ」は世界的に広まって行った
という。この歌は日本では岸洋子が唄い、岡崎友紀、ザ・ピーナッツもカヴァーしていて、英語版ではディーン・マーティ
ン(Dean Martin)のものが大ヒットした。Soloの楽譜だがメロディーラインの美しい旋律を活かすためにMIDIの伴奏をつけて
演奏してみた。不満足な出来だが雰囲気はでている?
この曲が気に入って手に入れたギター楽譜曲集から、弾いてはみたが曲中のVariationⅡのトレモロで躓き、途中で放り出してしまった。しかし、傍らにあれば何となく曲集に手を出してみる。今ではそれらしく弾きこなしている。慣れか、練習の賜か? 年齢とは余り関係ないらしい、当時より運指がスムーズになっているのも楽しくなってくる所以だ。”VariationⅡ”のトレモロは「アルハンブラの想い出」の練習で、暗譜しているほどもう3年近くも続けていいるが、まるで自己流、それにもまして問題は未だ“ツブ”が不揃い、人様に聴いていただくには冷や汗ものである。“姿勢”も“運指”も我流に馴染みすぎた。複雑な運指ほど譜面指示どうりに指を運ばなければ弾きこなせない。我流ではなかなか上手く行かないのだ。重ねて言うがあくまでも我流である。収録したいずれの曲も完璧とは言い難い。EFECTをかけて少々の誤魔化しが無ければとても聴くに堪えない。
その2,「セレナーデ:F・.シュウーベルト作曲」「エレジー:マスネー作曲」も気に入っていて、この三曲を先ず“モノ”にしたいと、昨年の夏以来、練習を続けてきた。「セレナーデ」はバイオリンやピアノの演奏で何度か聴いてはいた。しかしギターの演奏となると全くと言うほど耳にしたことがない。レコード、テープ、CD等、手持ちのコレクションを探ってみたが不思議に一曲も見つからない。昨今、話題に上る“ユーチュウーブ”で視聴するまで、これほど多くのギター愛好家が「セレナーデ」を取り上げていたとは知らなかった。この曲の持つ旋律と物憂さは弦楽器にマッチしている。「エレジー:マスネー作曲」に至ってはあまりに情緒的で聴いていうちにどうかなりそうな曲調でヴァイオリンのメロディーが切々と・・・心にしみてくる・・・現代はネットの時代「YouTube」を通じ、様々な演奏を簡単に視聴できる。随分と便利になったものである。「我流、ギター演奏集」のCDを作るに当たって、収録曲の曲調をつかむ為、何回も聴き直した。
この曲集には他に、日本のメロデー編として何曲かが収録されている。「六段の調」は「さくら、さくら」や「花嫁人形」など私の好きな“日本調”で、正月等にはあちこちから聞こえて来る“箏曲”「八橋 検校 作曲」が原曲だ。掲載されているのは、その前段部のみだが、“琴の響き”をギターの弦音で上手く表現している。演奏技術は大していらないが、ゆっくり弾くほど、一音、一音、が大事になる事を実感した曲である。“琴の音”を連想しながら、弾いていても心地よい上手い編曲である。「宵待草」は「大正浪漫」を代表する画家、詩人である「竹下夢二」によって創られた詩歌・・・「待てど暮らせど来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬさうな・・・」ここでお浚いなどしなくとも誰もが知っている。「多 忠亮(おおのただすけ)」が曲をつけ、一世を風靡した歌だ。
“このギター曲集”とは全く関係のない曲である。収録曲の中にこの演奏を入れる事にしたには“ワケ”が
ある。「ロス・インディオス・タバハラス」演奏で1964年、全米で大ヒットした曲だ。ラテン系のこの曲は自分の好みでもあるのだがDuoにしろこんな弾き方はとても無理だろうとおもっていた。会社のOBには音楽好きの仲間が数人いる。昨年6月、久しぶりにOB会に出席した。たまたま、この「マリア・エレーナ:Los Indios Tabajaras」が酒の肴になり、大いに盛り上がった挙げ句、二次会まで流れてしまった。古い“ソロの楽譜”は持っていたが、“Duoの楽譜”はない。何か参考になるものを、と、“ユウチューブ”で検索してみた。素人の方の演奏だったが、本家「ロス・インディオス・タバハラス」にかなり近い「投稿動画」を見つけた。“Duo”の相方が見えないのは自ら録音した伴奏を使っての演奏とみえる。早速“Download”した「MP3」を愛用の[8Track_Digital_Recordar:BOSS製]に移し“Slow再生”しながら「耳コピ」に挑戦してみた。初めての経験である。真夏の二ヶ月間、窓を開け放し(勿論節電の為)頭にかぶったイヤホーンと顔の隙間から汗が噴き出るのも、“モノ”ともせず、悪戦苦闘の末、取り敢えずは完成域?に、迄こぎ着けた。好きだからと言ってしまえば其れまでだが朝から晩まで飽きもせず良くやったものである。家内はあきれ果て、そのうち口も、顔も、出さなくなってしまった。「耳コピー・・・“認知症防止”の為には丁度良い・・・」と自嘲気味につぶやく・・・。馬鹿馬鹿しい作業のせめてもの言い訳だ。演奏の左側に聞こえるパートが私のコピー演奏で右側の“伴奏部”がDown.loadした「MP3」だ。譜面なしの“コラボ演奏”である。ところどころトチッテはいるが、あくまでも我流、これが限界だ。
「MIDI」で、伴奏パートを作成、マルチトラック・レコーダーで再生しながら“コラボ演奏”で録音したものである。1966年頃の「クロード・チエアリー」の哀愁に満ちたギター演奏で大ヒット、青春時代の懐かしい、一曲である。後にCDを送った先輩(北陸営業所時代のハワイアンクラブのリーダー)I氏から”メロディーラインがリズムから一部外れている”と厳しいご指摘?をうけた・・・何時か又再挑戦・・・
ギターソロでは余り面白くないとアクセントに“VOCAL”をいれた。パーカッションは「MIDI」、他は全て自前の多重録音である。唄も自前でハモッテいるが、聞き直してみると(カラオケは大体エコーがかかっている)生真面目すぎて最初は気持ち悪く感じたものだが・・・何回か聴いている内になれてくる・・・ふ・ふ・ふ・コーラスで鍛た?からか、高音部が良く出るようになったみたい・・・
勝手に評価し選曲したもので、ご試聴いただく方にも是非慣れていただきたいものである
ギターを弾いた事がある人なら、誰もが知っている名曲だ。「禁じられた遊び」で知られているが、元々原題は「愛のロマンス
(Romance de Amor)」スペインの民謡である。高校時代にこの曲を聴いてギターに夢中になった。多分千回は弾いている?しか
しこれはという演奏が出来たためしがない。簡単そうでなかなか難しい曲だ。この曲さえ弾ければもう充分、とにかくこの曲を弾きたい一心で、ギターを手に入れ、アルペジオの練習に励んできたのだ。ギターを手にとれば今でも必ず爪弾いている。何度聴いても飽きがこない、多分ギターの名曲中の名曲である、と勝手に信じていて・・・しかし後にこれは初心者としての感動?感覚?力量、知識の差が錯覚?なんでもよいがこの世界を知らなかっただけ・・・クラシックギター・・・なかなか奥が深い
ラテン系の曲で、いろいろな演奏スタイルがあって、編曲により曲調がかなり変ってくる。「斉藤松男:編曲」であるが結構多くの
ギター愛好者がこのスタイルで演奏していた。(ユウ・チューブで何回も視聴した。)
R4.03.21 ウイズコロナ三年目・・・又、春がきた
桜が芽吹いてきた・・・
散歩道の梅が・・・梅は咲いたか?桜はまだかいな・・♩♫
こぶしの花?