マラシー・クリシュナサミー(シンガポール 南洋理工大学国立教育研究所)
ジャスミン・B・Y・シム(シンガポール 南洋理工大学国立教育研究所)
シュイィ・チュア(シンガポール 南洋理工大学国立教育研究所)
この定性的研究では、シンガポールにおける民族的多様性、増大した豊かさや社会政治的な制約の下で、7名の社会科教師によって批判的再帰性がどのようにして現れ行動に移されているのかを検討する。各事例は、批判的再帰性を有した教師が深い自己理解や自身の周りにある制度的な不平等に対する感性を深める上で、自身の経験による強い影響を受けていることを示している。批判的再帰性は連続したものとして提示され、ほとんどの教師が自身の教え方を通じて不公正に対する生徒の批判的思考や意識を高めようと努めている一方で、中には身の回りのコミュニティに変化をもたらすような個人的な変革の道を歩み出す者もいる。研究結果からは、批判的再帰性が見られる姿勢の背景にある動機に関する洞察が得られるとともに、批判的再帰性のさらなる発展を阻害する要因も指摘している。筆者らは、教育における実践を強化するために、クレレなどのプログラムを通じて教師の批判的再帰性を伴う姿勢を醸成できることを提案する。また、研究結果からは、アジアの文脈における市民権の価値の性質に関するニュアンスも強調され、批判的再帰性には小さく繊細な変革の行動や教師や実践者の主体性が関わっていることも示唆された。
池野範男(日本体育大学)
本研究では教科教育学におけるガバナンス構造の観点から、市民・社会科教育に関する疑問について検討する。イングランドと日本における学校のカリキュラムを調べ、その差を明らかにし、教科教育学における価値関係性の効果を検討し、教科教育学としての市民・社会科教育のガバナンス構造について考察する。市民・社会科教育における三つの過程を統合することでパラドックス構造が生まれるが、螺旋を通じてそのような構造から弁証法的に脱出できる方法があることを明らかにした。
ワシノ・ワシノ(インドネシア スマラン州立大学)
ハリ・ウルジャント(インドネシア中部ジャワ州教育文化局)
インドネシアにおけるナショナリズムは、その内容について国内の政治エリートの間で合意されているイデオロギーである。イデオロギーは、特に教育を通じて複数の方法で全てのインドネシア人の中で内面化されている。ナショナリズムはスハルト時代の終わりまで非常に強く、教育における全てのレベルにおいて生徒たちが学んでいた。国家の観点からナショナリズムのイデオロギーを強要した主な教科は歴史と公民教育であった。「新秩序」体制が崩壊(1998)した後、公民と歴史は学校における主要な教科ではなくなっていた。複数回にわたり、インドネシアの生徒たちの間でナショナリズムの劣化が見られた。2013年以来、インドネシアの教育文化省は小学校から高校に至るまで生徒間におけるナショナリズムを高めるために「品格教育」を導入している。問題は、実施の方法が悪かった点である。そのため、本研究では、事実教育法の弱点を考慮し、小学校で生徒にナショナリズムを教えるための新たなモデルの構築を試みた。結果からは、小学校においてナショナリズムを教えるための品格教育は多様で標準化されていないことが明らかになった。ナショナリズムに基づいた小学校における品格教育は、学校経営の一環として適切に管理されていなかった。加えて、研究結果からは生とによるナショナリズムの内面化は文化化管理モデルの有効性によって決まっていることも明らかになった。さらに、本研究の結果は文化化の過程を通じてインドネシアにおける生徒のナショナリズムを醸成するために応用し発展させていくことが考えられる。この過程は、学校環境におけるそのような習慣化の適用に学校の経営者が関わった後に成功する。
エリック・キングマン・チョン(中国 香港教育大学)
本論文では、1997年から2017年にかけて、中華人民共和国香港特別行政区における公民教育の発展と課題についてレビューする。公民教育は、イギリスによる植民地時代が移行期に入った1980年代半ばに権利や義務を導入し始めた。香港に対する中国の統治権が1997年に再開する直前に、香港の生徒が1997年以降の国家生活に参加し、中国への民主的な復帰に関わらせるために権利意識や民主的な理想に触れさせるよう公民教育を支持する声が全国的に上がった。
しかし、2000年代に入ると、生徒による情報技術を活用する能力の強化、学ぶための読解能力などについてホリスティックな教育改革の必要性が新たな義務とともに浮上し、道徳・公民教育は重要な学習タスクとして見なされるようになった。国家アイデンティティやグローバル・シティズンシップなどの公民教育のテーマは、この2000年代初期の教育改革時代に、学校のガバナンス、教育経営、カリキュラム、教育学などを対象とした一連の教育改革を背景に浮かび上がった。生徒による中国の理解を深めるというナショナリストな必要性に対する公的な圧力が高まるとともに、香港特別行政区政府は高校性や中学生、ならびに小学校高学年による中国への修学旅行を組み始めるようになった。コミュニティの探索、中国の国家アイデンティティ、道徳および価値観の教育、環境教育に関する学校を基盤とした公民・道徳教育プログラムもこの時期に栄えた。一方で、香港特別行政区の統治に対する社会的な不満も増し、香港人のアイデンティティと政治改革や民主主義の発展に向けた取り組みに影響をおよぼした。
2012年の市民社会による反国家教育運動や2014年の雨傘運動は地域の価値観を守り、香港のアイデンティティを主張し、民主的な発展を推すという強い願望をさらに示すものであり、中国の国家アイデンティティを受け入れることとは相反することであった。これは、中国の国家アイデンティティを醸成することを主目的とした国家教育の義務的な実施が2012年に失敗に終わったことを示している。運動も2014年以降は膠着状態に陥っており、香港社会が香港特別行政区政府と北京にある中央人民政府の両方と衝突した後は公民教育も行く場所を失っていた。
金鍾成(広島大学教育学研究科)
トーマス・ミスコ(アメリカ合衆国 マイアミ大学教育健康社会学部)
草原和博(広島大学教育学研究科)
桑原敏典(岡山大学大学院教育学研究科)
小川正人(環太平洋大学次世代教育学部国際教育学科)
本論文では、日本の社会科教師がどのようにして論争問題に対処するためのフレームワークを採用できるのかについて検討する。本フレームワークでは教室、コミュニティ、社会を含むカリキュラムや指導に関する意思決定について複数かつ重複している文脈があることを認識している。また、タブー視されているもの、沈黙により生徒に知られていないもの、論争の的となっているもの、自由な議論や審議が行われているもの、異論がほとんどまたは全くなく解決されているもの、という五つのレベルにテーマの状態を分類する。最後に、赴任前および現役の教師、教員教育部門、教育政策立案者に対し、論争醸す問題について教えるための必須かつ民主的な規範的な任務を踏まえ、論争問題についての考え方を改めて概念化する提言を提出する。
両角達平(文教大学)
本研究では、ポストモダンの文脈で若者参画を再構築し、スウェーデンと日本の社会科教育を対象とした比較研究により何らかの意味合いを抽出することを試みる。
本論文の冒頭では若者参画の定義と、ロジャー・ハートの「参加のはしご」などの若者参画に関する理論の概要を、ポスト構造主義の視点に基づいた批判的な視点を添えて述べる。第二部では、スウェーデンと日本の若者政策の歴史的な発展において、若者参画に関する政策や実践がどのように進化したのかを調査したMorozumi (2017) が行った実証研究から得られた結果を紹介する。これらの結果を踏まえて、結論の部では若者参画に関する社会科教育について洞察を見出している。影響力を参加の目的として設定し、若者参画に向けたリソースの観点を導入し、参加の流動性と多様性を認識することが、全体的な研究から導出された調査の意義として示唆される。
ワシノ・ワシノ(インドネシア スマラン州立大学)
シティ・ズライチャ(インドネシア スマラン州立大学)
フィトリ・アマリア・シンタシウィ(インドネシア スマラン州立大学)
本研究の目的は、主にDunnの理論による政策分析を伴う公立中等教育学校に関する複数のデータに基づいて、教育における親の関与に関する教育公共政策の実施について記述することである。政策分析は知的な活動であり政策の過程と知識の創出、評価、コミュニケーションを実践することであるというDunnの考えに基づいている。本研究では事例研究モデルを伴う定性的な手法を用いた。結果からは、政策を実施する上で、公立中等教育学校は政府によるアジェンダ、政策の策定、実施、実績というステップを踏んでいることが明らかになった。支持要因はコミュニケーションや財務資源、気質、官僚的な構造によるものであった。しかし、政策の実施に対する障壁の一部は、それを実現するプログラムを設けていない下位の機関によるものであった。唯一の施策は、政策をスローガンとして掲げ壁に貼り付けることだけであった。加えて、報酬も懲罰もなかったため、コミュニティはそれを支援する術を知らなかった。