ゲニザ文書とは

ゲニザ文書とは


「ゲニザの紹介文」              

ゲニザ(Genizah)とは、ヘブライ文字の書かれた文書や儀礼用具のうち、既に使用されなくなったものを保管しておくためにシナゴーグなどの建物に併設された廃書蔵を指すヘブライ語である。中世のユダヤ社会では、ヘブライ文字で「神」や神名の書かれた紙を破棄しないよう、使用済みの大量の紙がゲニザに貯えられて保存された。この中で、特に19世紀末にエジプトのフスタート(カイロ旧市街)のパレスチナ系ベン・エズラ・シナゴーグのゲニザから、建物の建て替え中に発見された大量の文書が「カイロ・ゲニザ」と呼ばれ、通常「ゲニザ文書」と言えばこれを指す。

●全体で40万枚以上にもなるゲニザ文書の原本は、現在イギリス、アメリカ、フランス、ハンガリー、ロシア、イスラエルなどを中心とする世界各地の70以上の図書館及び個人によって分散して所有されているが、大半はケンブリッジ大学図書館及びオクスフォード大学のボードリアン図書館に所蔵されている。因みに、エルサレムのヘブライ大学ギヴァット・ラム・キャンパス内の大学図書館では、多くのゲニザ文書がマイクロフィルム化されて閲覧できるようになっているのに加えて、2000年頃以降はネット上にて整理分類済のほぼ全てのゲニザ文書の原本が閲覧可能になっている。

ゲニザに使用済みの紙を貯蔵する習慣は、エジプトでは19世紀に至るまで継続されてきたため、発見された文書の書かれた年代の幅は9世紀から19世紀までと広いが、その大部分は10世紀半ばから13世紀半ばに集中している。そしてこれらの文書が書かれた場所は、西はイベリア半島から東はインドにまで及ぶ。40万枚余りの紙の内訳は、礼拝用の詩、宗教書の断片などに代表される「文学的文書」と、ユダヤ共同体の日常生活について書かれた「記録文書」に大別されるが、「記録文書」は全て合わせても(今のところ)4万枚余りである。「記録文書」の約半数は、公私両面にわたる手紙、商業上の往復書簡であり、以下種々の契約書や婚姻・離婚証書、ラビ法廷の裁判記録、帳簿、計算書などと続く。「文学的文書」の大部分がヘブライ語で書かれているのに対し、「記録文書」の大半はアラビア語及びヘブライ文字表記のユダヤ・アラビア語(Judeo-Arabic)で書かれている。


ゲニザ文書は、中世ユダヤ社会及びイスラーム世界、また当時の東西交易の様子を解明しようとする社会経済史の分野に大きく貢献する史料としても、今後の更なる研究の進展が待たれている[1]。その理由は、前近代のイスラーム世界に関しては、写本や古文書などが豊富に存在しているため、歴史研究者が比較的研究を行いやすい状況にあるが、こうした膨大な史料群に、商業に関する公私の文書や商人の記録類がこれまでほぼ皆無であったため、この地域の商業史と商人達の生活史に関する研究が滞りがちであったのに対して、ゲニザ文書は、まさにこの空白を埋めるのに打って付けの史料であったからである。従って、中世盛期の地中海とインド洋における一般史(イスラーム史)に関心のある研究者にとっても有益であると思われる。更に、ゲニザにはこうしたイスラーム世界の中で盛んに行われた知的活動の遺産も数多く含まれているため、ユダヤ思想のみならずイスラーム思想について関心のある研究者にとってもやはり有益である。【嶋田英晴】


[1] ゲニザ文書及び、それを縦横無尽に利用して書かれたS. D. ゴイテインによる代表的な研究書である『一つの地中海社会』に関しては、嶋田英晴『ユダヤ教徒に見る生き残り戦略』(2015)晃洋書房、421頁の簡潔な紹介文を参照。