研究室の運営方針


澤井研究室では、他の研究室(とくに歴史学をはじめとする人文社会科学系)とは異なる特徴として、①半「ラボ」・半「個人」的な運営、多様性の尊重・心理的安全性の重視、研究の「質」の追求、の3つの方針を掲げています。


◉半「ラボ」・半「個人」的な運営


・自然科学、とくに理工系の研究室では、教員の研究テーマに院生が参加したり、教員から院生に研究テーマを与えたりすることが多いように思われます。研究活動は集団的になり、教員をトップとする組織的な階層構造が生じることもあります。

 このような運営方法の長所として、資金面で比較的潤沢(院生の雇用・研究費など)であり、またグループ内での切磋琢磨によって研究室の質が担保されることが挙げられます。他方、短所としては、院生個人の意思や関心が尊重されにくいこと、上下関係からハラスメントなどが生じやすいこと、柔軟さやテーマの多様性に欠けることなどが考えられます。


・他方、多くの人文社会科学系の学問分野では、院生が自身の興味関心から研究テーマを選び、教員が可能な範囲で指導・助言を与えることが多いです(例外もあります)。私自身も、そのような環境の下で院生生活を送りました。

 このような運営方法の長所として、個人の意思や関心を研究テーマに反映しやすいこと、様々な関心を持つ院生と交流できることなどが挙げられます。他方、短所としては、資金面に乏しいこと(院生が自腹を切ったりアルバイトで疲弊することもあります)、互いの研究関心が異なるので有意義な議論にならないこと、などが考えられます。


・本学は理工系が中心の大学であることもあり、研究室の運営(とくに資金面や学生室のあり方など)で、自然科学的ないわゆる「ラボ」を前提として制度設計されている部分が多いです。
 その一方で、完全に「ラボ」的な運営は、少なくとも私が知る歴史学の研究には馴染まない部分もあります。学界の慣行として、論文なども基本的には単著が前提となりますし、また個人プレー中心だからこそ、人間関係が煩わしくない、自由な研究生活を送ることも可能です。


・そこで本研究室では、「ラボ」・半「個人」的な運営として、両者の良いところを組み合わせる方針で進めようと考えています

 「ラボ」要素として、教員の研究テーマへの院生の部分的参画(RAなどとして業務を依頼)、各々の状況に応じた資金面での補助(TA・RAなど研究・教育関係のアルバイト、学会・史料調査の出張費、入手できない書籍の購入などの相談など)、ある種のチーム戦としての論文・研究報告準備(論文原稿やレジュメ原稿に対し、メンバー全員で積極的なコメントを行うなど)を重視します。
 「個人」要素として、研究テーマは(教員が指導可能な範囲で)院生自身が選定し研究を進めること、教員やメンバーからの助言の機会を確保しつつ自分自身で論文を書き上げることなどを重視します。
 独立した自由な個人を基盤とし、その上で相互扶助的な形でチームを構築できればと考えています。

◉多様性の尊重・心理的安全性の重視


・本研究室のメンバーは、様々な国・地域から本学に進学しており、バッググラウンドや個々人の志向は多様となっています。人権擁護や円滑な研究室運営の観点から、多様性の尊重は絶対不可欠となっています。


・東アジアの近現代史について研究を進める過程では、おそらくこれまで慣れ親しんできた歴史・政治・国際関係の理解とは、大きく異なる局面に際会することもあります(とくに戦争や植民地支配、領土問題、現在進行形の緊張関係など)。

 そのような差異に直面した際に、自身の理解が絶対に正しいとして頑なな態度を取るのではなく、なぜ・どのように理解が異なるのかを、その政治・社会・文化的背景まで踏まえた上で、柔軟・多角的に検討する必要があります。このような態度は、ひいては自身の研究を発展させる上でも有益となります。


・日本の国公立大学ですので、研究室の共通言語は基本的に日本語とします。ゼミや論文執筆も、基本的に日本語で実施します(例外的に英語や中国語などを用いることもあります)。もちろん、他の言語を用いることを妨げるものでは全くありませんが、とくに留学生の方は、日本語能力向上の観点からも、日本語を積極的に用いることを強く推奨いたします。

 他方で、研究活動と並行して、多様性の尊重や研究能力の向上の観点から、中国語・韓国語・英語・仏語など、母国語以外の言語を少なくとも一つ学ぶことを強く推奨します。また、日本国内や海外(とくに東アジア各地)へ、積極的に旅行に行くことも強く推奨いたします。史跡や歴史博物館などを見て回るとなお良いです。


・本研究室では、「心理的安全性」を重視します。心理的安全性とは、組織の中でメンバーが自身の発言が一概に拒絶・非難されることはないと安心して、率直に意見や質問を表現できる状態を指します。これはぬるま湯的な弛緩した空気を意味するのではなく、メンバーが失敗を恐れず積極的に挑戦したり、様々な角度から斬新な見解を提示したりしても、人間関係が悪化することないという信頼感がある状態を意味します。近年、心理的安全性は、人権擁護・多様性尊重の観点や、イノベーションの創出などの点において鍵となると考えられています。私自身やメンバーの間において、この意識を共有したいと考えております。
 研究室の心理的安全性を重視する観点から、私としては、(当然のことではあるのですが)とくに次の三つの原則を心がけています。

1. 可能な限りシンプルな主義に基づいて、公平に指導・助言等を行う。言を左右して以前の発言・指示と異なることを言うことや、不公平・恣意的な対応をとることなどを避ける。

2. 指導・助言等において自他境界を曖昧にせず、距離感を大切にした上で、常に温和かつ丁寧な態度をとる。怒り・暴言・威圧・嘲笑・皮肉・当てこすり・陰口など、メンバーを不快にさせたり萎縮させたりするような言動をしたり態度を取ったりしない。

3. 期待値やルールを事前に言語化して共有する。 課題の目的、締切、求める水準、連絡手段、相談先などを可能な限り明確にし、後出しで条件や評価基準を変更しない(本ページの記述もこの試みの一環)。変更が必要な場合は、その理由と適用範囲を説明する。 


あえて言うまでもないのですが、研究室メンバーは思想・良心の自由、表現の自由を有しています。いわゆる左翼・リベラル・中道・保守・右翼、リアリスト・リベラリストなど、どのような政治的価値判断や現状認識を有していても全く問題ありません。
 他のメンバーへの差別や誹謗中傷を含む内容でない限り、私としても上記の自由を強く擁護する立場ですし、メンバーの政治的価値判断・現状認識にかかわらず公平に指導・助言等を行います。指導教員(私)と異なる立場を持つこと当然ですし、大歓迎です。実際、本研究室では、このような側面においても多様なメンバーが揃っているものと自負しています。


・研究室内のコミュニケーションは、基本的にSlackで行い、適宜メールを使用する形としております。それぞれ入学時に学内アカウント・アドレスが発行されますので、そちらをご利用ください。
 Slackを中心とするのは、情報セキュリティの観点から本学にて利用が推奨されていること、仕事用の仕様でありつつメールよりも気軽かつ即時的なコミュニケーションをとることができること、研究・教育上の様々な情報の共有が容易であることなどが理由となります。LINEやWeChat、Whatsappなどのメッセージアプリは、セキュリティ保持や公私混同の抑止、ハラスメント防止などの観点から、使用しておりません。

・本研究室では、指導教員(私)と院生との関係、院生同士の関係において、ハラスメントを厳格に禁止します。

 ハラスメントに関する私自身の立場として、こちらをご参照ください。東京科学大学のハラスメント対策や相談窓口については、こちらをご参照ください。


◉研究の「質」の追求


・本研究室では、心身の健康が研究活動よりも当然優先される(し、心身が健康でないと結局は良い研究成果も出せない)との観点から、休みを取らない状態での長時間の研究活動や、深夜の活動、睡眠不足での活動などを推奨しておりません。
 もちろん、論文提出や報告準備の直前など、場合によっては自身を追い込まざるを得ない状態になることもあるかもしれません。しかし、極力そのような状態に陥ることを避け、事前に計画的に、ゆとりをもって準備すべきと考えます(自戒を込めて)。


・心身の健康維持の観点から、早寝早起き、適度な運動・スポーツ、栄養バランスのとれた食生活、十分な睡眠時間の確保、一週間のうち研究しない日(休養日)を設けることなどを強く推奨いたします(自戒を込めて)。Slackやメールの返信等も、早朝・深夜や休日などに即座にレスポンスをする必要は(緊急時を除き)全くなく、平日・日中のそれぞれ時間がある際に行うようにしてください。
 心理的安全性や心身の健康維持は、もちろんそれら自体が目的であり非常に重要なものですが、同時により良い研究活動を行い、より優れた研究成果を得るための不可欠の前提となっております。


・心身両面のサポートのため、本学では大岡山保健管理センターが設けられています(こちら)。内科・カウンセリング・メンタルヘルス相談などが可能です。


・本研究室では、修士号取得後にアカデミアに残らないメンバーも含めて、歴史学の「研究者」の育成を目指しています。研究室はぬるま湯的な雰囲気では決してなく、一定以上の質の学位論文提出が必須となります。私としてはそのための指導・助言は惜しまないですし、メンバー相互で切磋琢磨し、協力していく必要があります。


・心理的安全性のもとで必要な議論を行なっていきますが、最終的な学位論文の質は、もちろん個々人の責に帰すことになります。自分としては(他の教員も)、それまでの過程にかかわらず、学位論文の質はその内容のみを見て、できる限り客観的に評価します。
 すでに就職先が決まっているとか、これまで努力をしたといった様々な事情があったとしても、学位論文の質が低いのであれば、学位が与えられることはありません。


・修士論文のにも求められる「質」として、論文として公刊可能な水準を目指すことを求めます。

 博士課程に進学する場合には、単著の論文として公刊するよう、引き続き指導・助言を行います。博士課程に進学しない場合には、本人との合意の上で、本人を筆頭著者・私を最終著者として作業・責任範囲を明確に記載する形で、共著として論文を公刊することを目指したいと思っています(例外的に、博士課程に進学しないものの修士論文の完成度が非常に高く、本人の強い意欲がある場合にも、単著の論文として公刊できるよう任意で指導・助言することが可能です)。

 このような方針は、現在の歴史学の学界の慣行とはあるいは異なる部分もあるかもしれませんが、上記の半「ラボ」的発想の影響や、また学位論文を死蔵してしまうのは学問の発展の観点から避けたいと考える部分もあり、取り入れようと考える次第です。(もっとも、私自身のキャパシティもあるので、問題なく進むかは不透明です)