毛武游記

渡辺崋山が妹の嫁ぎ先である桐生から足利に旅をしたことは旅日記「毛武游記」に詳細が記録されている。

当時桐生と足利の間には、渡良瀬川の氾濫や伏流、張り巡らされた水田により、現在あるような直線的な道はなく、北側の山沿いの道を大回りするほかなかった。寛政年間(1759−1801)に書かれた「足尾道見取絵図」にはその道沿いに当弁財天が記されている。このことから、崋山は往復の道中当弁財天脇を通り、足を休めると同時に参拝したのではないかと思われる。

なお、往路は山下村で酒を飲み過ぎて潰れ、迎えの籠に揺られて通過している。