市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)は、日本神話に登場する女神で水の神であり、弁財天の化身で七福神の一神です。
wikipedia によれば、「アマテラスがスサノオの剣を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の三女。絶世の美女とされ、商売繁盛、芸能、金運、勝負、豊漁、交通安全、五穀豊穣、海の神として信仰されている」とのことです。
また、泉南市茅渟神社境内にある市杵島神社によれば、「市杵島姫命は天照大神の子で、皇孫邇邇芸命が降臨に際し、養育係として付き添い、邇邇芸命を立派に生育させたことから、子守の神さま、子供の守護神として、崇敬されているという。」
市杵島姫命は後に仏教の弁財天と習合し、信仰されていますが、両者には、水の神であることや美しい女神と言う共通点から同一視されるようになったと考えられます。
市杵島姫命を表現したダンスミュージック(参考)
https://soundcloud.com/wabirunessa/yfbpvde0zhbr
wikipedia によれば、「弁財天(弁才天)は、仏教の守護神である天部の一つ。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名である。神仏習合によって神道にも取り込まれ、様々な日本的変容を遂げたものです。
日本の弁才天は、吉祥天その他の様々な神の一面を吸収し、インドや中国で伝えられるそれらとは微妙に異なる特質をもち、日本神話に登場する宗像三女神の一柱である市杵嶋姫命(いちきしまひめ)と同一視されます。「七福神」の一員として宝船に乗り、縁起物にもなっている。古くから弁才天を祭っていた社では明治初頭の神仏分離以降は、宗像三女神または市杵嶋姫命を祭っているところが多い。」とのことです。
・金運・財運開運
・海運、交通安全
・技芸上達
・美容・健康
・縁結び・恋愛成就(縁切り)
・子宝、子育て、学業成就(弁才)、立身出世
・勝運・武運長久、国家鎮護
その他あらゆるご利益があるとされます。
詳しくはわかりませんが、古墳群(物見山古墳群および東山古墳群)が隣接することから縄文時代以来人々が周辺に定住し、山麓の水が沸くこの地で早くから何らかの信仰や祭祀が行われていたのではと想像されます。
16世紀初頭に長尾氏が創建した七弁天の一つといわれているが、これを証明する文書は見つかっていません。
唯一歴史的事実として参照できるのは、現在の社殿の創建と改修工事(元禄5年_1692)を記した棟札であり、領主として村人を慈しみ社殿の改修を奉じた六角廣治の偉業と本尊に対する敬いの言葉が確認できます。
弁天信仰の広がりと共に各地に弁財天を祀る社が建てられたが、神道色の強かった弁天社は、明治の神仏分離の際に多くは神社となったことから、当弁財天も同様の経緯があったのではと考えられます。。
平成一九年(二〇〇七)、社殿の老朽化対策のため今福全町をあげて社殿の改築工事に着手、土台部分の修復、屋根の銅板葺替え、彩色等を実施しました。その際に発見された銅板製の棟札によると、現在の社殿は今福村の領主六角廣治(ろっかくはるひろ)が創建し、元禄五年(一六九二)に改修したものです。
社殿は、流造・切妻造平入り/延長庇型(へタイプ)です。流造(ながれづくり)は、京都の上賀茂神社、下鴨神社を代表とする建築様式で、入り口側の庇(ひさし)が、大きく曲線を描きながら延びた屋根を持つのが特徴となっています。この様式は、全国で最もと多いとされます。また、両面とも庇が延びたもので、両流造(りょうながれづくり)と呼ばれるものもありますが、当弁財天社殿は延長庇型で側面から見ると「へ」の字になっています。
鳥居は、笠木が反り屋根が乗り、控え柱(稚児柱)が前後に設置されている両部鳥居です。両部とは密教の金胎両部(金剛・胎蔵)をいい、神仏習合を示す名残。広島の厳島神社の大鳥居と同じ様式です。