教師と生徒の対話というと、質問の受け付けなどを思い浮かべることが多いのですが、教師が生徒の質問に答えるなどということは当たり前のことで、質問を受け付けない教師は、そもそも教師でないでしょう。私達が言う対話とは授業における対話であり、教師が何か質問し、生徒がそれに答える、という形式のことです。そう言うと、「そんなことは当たり前でしょ」と言われそうですが、私達の授業はかなり独特の形式で、理想は教師と生徒のセリフが五分五分です。ちょっと信じられないと言われることが多いのですが、是非、実際の授業を見学されることをお勧めします。私達は「教育は解答を教える事よりも、上手に質問することが最も肝要」と考えています。
悲しいことに、多くの子供達にとって勉強は楽しくない、しかし逃れることが困難な義務となっています。そのような心情のまだ未熟な子供に勉強を強制し、できなければ叱り、罰を与えたならばどのような結果になるのか?私達は長年この難問に苦慮していますが、現状到達した結論が、「説得」と私達が呼んでいるものです。
①なぜ勉強するのか?=学問の素晴らしさ=識る喜び
②なぜ学歴をとるのか?=なぜ受験するのか?=学歴社会の現状
③この世界の困難にどのように対処するのか?
④困難や敗北・挫折に挫けない人間像
⑤自主独立=他に依存しないで己れの力で最善を尽くすことの大切さ
⑥日々の訓練=トレーニングの素晴らしさ
⑦信じること
⑧読書の喜び
⑨数学・物理・音楽の抽象性
などなどを子供達に説明し、意欲を引き出すことを受験勉強の前提と考えています。理由や動機を説明せず、宿題や試験や模擬試験の順位表などで子供達を脅迫的に追い詰め、受験知識の暗記に特化した教育は危険である、と私達は考えます。
これこそ私達の授業法の最も肝要なところで、1回の授業で1人の生徒が相当名前を呼ばれることになります。人間関係を構築する上で、お互いを呼び合うことは最も根源的なことです。理想の授業は教師と生徒の双方向の対話であり、教師が一方的に喋り、生徒はひたすら聞いている形式ではない、どころかそのような一方的な授業は危険なものである、ということが私達の信念です。
人前で発言すること、特に己れの考えを、言葉を使って説明し、相手をうなずかせること、これは人間が持つ能力の中でも、最も磨きがいのある能力ではないでしょうか?当初は人前で喋ることが苦手、恥ずかしい、という子供もいますが、私達は訓練さえすれば、才能の如何に関わらず、だれでも研ぎ澄ますことができる能力であると考えています。しかもこの能力を磨くことは日々の学習に大いに良い影響を与えてくれます。
規定の授業時間内に到達目標を達成できない場合は、できる限りその日のうちに解決する、ということに私達はこだわっています。問題を先送りにしない、ということは勉強に限らず重要な習慣だと考えているからです。よって授業の前後の時間において早出と居残を行い、「今日やるべきことは今日のうちにやる」ことに力を尽くします。日常的に行われる内容は次のようなことです。
◆宿題忘れや宿題の不徹底のやり直し
◆その日行われた小テストは満点以外はやり直し
◆顕著に理解、定着が遅れている場合
◆既定の授業の内容を越えたハイレベルな学習内容
◆課題の消化など
規定の授業以外の授業で、以下のようなものです。
◉補習
◆理解と定着が簡単でない学習内容の反復授業
◆理解と定着が遅れている生徒が目につく場合の反復授業
◆対象中学以外の中学校の生徒集団が存在する場合
◆中学校の進度が顕著に異なる生徒集団が存在する場合
◉特講
◆中学校の定期試験対策
◆入試対策
私達は、「宿題をきちんと実践することは言うに易く行うに難い」もので、以下のような困難が付きまとうものと、考えています。
◆多くの子供達にとって、「塾で好きな先生の授業は頑張ること」はできるが、「家で一人で気が乗らない勉強をやること」は、己れの過去を忘れた大人には想像できない困難です。家で一人で「宿題」ができるのなら、家で一人で「勉強」できるはずで、それなら塾なんてものは必要ないはずです。世の中にこれほど多くの学習塾が存在していることは、多くの子供たちが、家で一人で勉強できない、ということを証明しています。
◆さらに深刻な問題は、生徒同様に教師=大人も宿題に対して、意識と意欲が低い、ということです。
◆よって、宿題の質の低さは目を覆うばかりで、これは公教育、私教育を問わず広く見られる嘆かわしい現状です。
◆さらに深刻な教師の問題は宿題の後処理です。宿題を忘れた生徒を教師が放っておくこと、生徒の宿題の採点はおろか、目を通すことすらしないこと、量と質が全く練られていないレベルの低いものであること、などです。
これらの問題を解決することは、塾を越えて、教育全体の問題である、と私達は考えます。私達はこれらの困難をクリアーするために次のようなことに力を尽くします。
◆子供達に「困難を自力で越えることの重要性」を訴え続けます。私達は当然子供達を助けますが、その結果、子供たちが塾と教師に依存するようになることを、良いことではないと考えています。「一身独立し一国独立する」という「学問のすすめ」の中の福沢諭吉の言葉は私達の座右の銘です。義務教育のたかが宿題ごときに負けない人間になってもらいたいと願います。
◆家で一人でできない場合は、先ず、塾で一人でやってもらいます。
◆忘れた場合は居残りでやってもらいます。
◆宿題ノートを作り、生徒と教師が共同してきちんと扱います。生徒は丁寧に綺麗にノートを作り扱います。教師は、このノートを回収し目を通し、生徒の精神状態を把握します。意欲がなければ、ノートは適当に扱われ、字も汚い、ということになりがちです。
宿題と異なり、個々の生徒が自主的または強制的に行なうもので、以下のような場合です。
◆優秀な子供にとって義務教育内容は簡単で退屈な場合が多々あります。やらせればもっとレベルの高いことができる子供が、自らの意欲でハイレベルな学問に向かいたい場合の手助けとして、塾が用意するものです。国語における読書などがこれに当たります。
◆集団の中で、遅れが顕著な場合で、既習事項の復習として、塾が用意するもので、前学年の学習内容などがこれに当たります。
優れた人間は道具を研ぎ澄まします。私達は勉強道具の中でも以下のものは特に重視しています。
◆ノート
◆ファイル・バインダー
◆付箋
◆ラインマーカー
◆教科書・教材
◆単語カード
北辰学舎における勉学の最低ラインが学校、つまり義務教育の学習内容です。具体的に言えば、小中学校で使用されている教科書の内容です。書店で販売されている参考書や問題集、または教材会社作成の塾用既成教材は、当然この教科書内容に準拠して作成されているので、これらを使用していれば問題ない、と言えるようですが、実際は以下のような問題があります。
①義務教育で使用される教科書は複数あり、各々内容がかなり異なり、これらの既成教材はあくまでも全ての教科書に共通の学習内容のみを扱っている、ということ。
②各小中学校で、独自の既成教材、例えば、国語や社会の資料集などを使用していること。
③一人一人の教師が、独自のプリントを作成していること。
高校進学を左右する学校の成績を決める各中学校の年間4(3)回の定期試験は、当然①~③も試験範囲に入るので、既成の教材では試験内容をカバーすることができません。これが、塾独自作成のプリントと教材が必要になる理由です。端的に言うと、既成教材を使用している塾であるならば、どこの塾でも学習内容は変わらない、ということになり、塾の最大 の個性=主義・信条は、塾独自作成の教材とプリントに表れる、ということになります。よって私達は独自に作成したプリントと教材に力を尽くすとともにプロとしての大きな自負を持っています。
北辰学舎においては、日々の授業において5分程度の小テストを頻繁に行います。日々の授業で必ず最低の到達目標をクリアーする、ということを私達は大切にしたいと考えています。よって満点以外は合格とはならず、居残再テストとなります。これも、その日のことはその日のうちに終わらせる、という私達の信念です。
私達は、保護者の皆様との話し合いをきわめて大切にしています。特に私達がこれを重んじている理由は以下のものです。
①塾、というより教育は、教師の質で決まる、ということは、私達の理念の中でも最も重要なものの一つです。保護者の皆様におかれましては、日々子供達に接している教師がどのような人間なのか、を是非ご自身の目で確認し、厳しい目で判断していただきたいからです。
②保護者の皆様の一言、それは厳しいご批判であれ、ご要望であれ、お褒めの言葉であれ、いずれにしても、私達、現場の教師を最も鼓舞し、成長させてくれるものだからです。
具体的な行動としては以下のことを実践していきます。
①日々の電話掛け
②年間数回の個人面談
③年間数回の懇談会
④年間1回(中3は3回)の説明会
電話や個人面談はご希望があれば随時行い、説明会は私達の側からの情報伝達、懇談会は双方向のくつろいだ話し合いです。
特に子供の状態に問題がない場合、このような塾側の働き掛けが煩わしい、子供のことは子供に任せている、という方針のご家庭があることは重々承知していますが、できる範囲でのご協力を是非お願いします。