ご挨拶と学区変遷

学区会長挨拶

 東築地学区のホームページを訪問いただき、ありがとうございます。東築地学区連絡協議会会長の松岡幸男でございます。 

 当学区の連絡協議会は、区政協力委員(町内会長・自治会長)・民生委員・保健環境委員・消防団・小中学校PTA・女性会・子ども会・スポーツ推進委員会・少年補導委員・保護司で運営しています。

 学区の活動を通して住民のふれあいと親睦の輪を広げることにより地域を活性化し、また役所等とも連携を図り、相互に支え合う地域社会の実現を目指 しています。

 今後とも温かいご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。 

学区変遷

 東築地学区は、明治43年に埋め立てを完了した五号地が東築地と命名されたことに始まり、以来六、七、八、九号地が順次埋め立てを完了して、南陽通を南区との区境に堀川を南に伸びていった。

 木場地区の貯木場は西四区の木材港完成により埋め立てられ、高層住宅が立ち並ぶまちとなった。六号地から九号地(大江町、昭和町、船見町、潮見町)は工業専用地域として、住基、石油等の重化学工場が集まり、とりわけ九号地はタンク群が林立している。北部地域の住宅開発により、住宅と工場が共存するまちとなっている。

   1937年昭和12年)南区より港区へ編入。東築地学区は86年の歴史を持ち、現在の学区人口は約9,400人である(令和3年4月現在)

明治43年(1910)に、実業家山田才吉は東築地五号地に「名古屋教育水族館」を建設し、その隣に五階建て南陽館の建設を始めましたが 大正元年(1912)の台風と高潮で完成間近に倒壊、再び現在の東築地小の敷地に規模を縮小して開館、南側には熱田海水浴場もありました。しかし昭和10年(1935)に閉館してしまいました。翌年、東築地尋常小学校が跡地に開校しました。

(名古屋市市政資料館蔵) 

昭和7年(1932)に新設された旧港新橋(開き橋)が出来るまでは東築地から名古屋港へと堀川に県営の渡しが運航されていました。写真は渡し便を待つ乗客。

(鶴舞中央図書館蔵) 

昭和7年(1932)に新設された旧港新橋(開き橋)は、堀川を運航する船舶のため一部が跳ね上げ橋となっていました。橋を渡る人や車は船舶の通過をじっと待つしかありませんでした。

現在も旧港新橋のコンクリートの基礎が残っています。

(名古屋市市政資料館蔵)