あの曲の由来

よく知られたあの歌。実はあっと驚くひみつが・・・

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メリーさんのひつじ

3才くらいになった子どもたちが、だれでも いつの間にか覚えて歌っている「メリーさんのひつじ」。

メリーさんのひつじ、ひつじ、ひつじ、

メリーさんのひつじ、かわいいな

というのが、一般的にみんなが歌っている歌詞だろうと思いますが、この「メリーさんのひつじ」には、実は1番だけでなく2番、3番、・・・なんと7番まで歌詞があって、ほのぼのしたストーリーになってるのをご存じでしょうか?

日本語に翻訳されたテキストはいくつかありますが、内容に忠実で しかも歌えるものはほとんどないので、自分で「日本語詞」を作ってみました。

〔ヒバリピーコ訳・メリーさんのひつじ完全版〕

メリーさんのひつじ、ひつじ、ひつじ、

ふわふわひつじ、雪のよう。

どこでもいっしょ、いっしょ、いっしょ、

メリーさんといっしょに ついていく。

学校へついてった、ついてった、ついてった、

こりゃたいへんだ、おおさわぎ。

ひつじが来たよ、来たよ、来たよ、

クラスのみんなはおおはしゃぎ。

先生こまった、こまった、こまった、

メリーさんのひつじ、かえらない。

いい子にまってる、まってる、まってる、

メリーさんの勉強おわるまで。

「どうしてひつじ、ひつじ、ひつじ、

メリーさんがそんなに大すきなの?」

みんなはきいたよ、先生に、先生に、

そしたら先生 言いました。

「だって そりゃそうさ、そうさ、そうさ、

メリーさんが ひつじを大すきだから」


というわけで、深い愛情で結ばれたメリーさんとひつじの絆(きずな)は、学校の規則をもってしても 裂くことができなかったのでした。

そして、そのことを生徒のみんなに教えた先生も立派でしたね。

そう思いませんか?

作者は アメリカのボストンで 児童書の編集者をしていたセイラー・J・ヘイル夫人(Sarah Josepha Hale/1788-1879)。

「メリーさんのひつじ」は、1830年の作だそうです。


ロンドン橋

「メリーさんのひつじ」にそっくりなメロディー、同じくらい知名度が高く、同じくらい愛唱されている「ロンドン橋」。

ところが その内容はというと、「メリーさんのひつじ」とは天地ほどの差がある、恐ろしいものだったのです・・・


「ロンドン橋」は、イギリスのロンドンに実在します。

現在の橋は、20世紀に建造されたものですが、このロンドン橋近辺にいは、大昔から何度も何度も「ロンドン橋」が架けられては流されたり、壊れたり、火事で焼失したり、を繰り返してきた歴史があります。

童謡「ロンドン橋」が成立した時期。

それは、なんと はるか中世時代(1世紀~15世紀ぐらい)にまでさかのぼります。

その当時の「ロンドン橋」は、造っては流され、造っては流され、なかなか長持ちしませんでした。

童謡「ロンドン橋」の内容は、こういうものです。

ロンドン橋が落ちる、落ちる、落ちる、 ロンドン橋が落ちる、マイ・フェア・レディー!

この「マイ・フェア・レディー」は誰か?という問題については、また別のことになるので今回は触れませんが、ロンドン橋の歌の方は、この調子で 最後に「マイ・フェア・レディー」をつけながら、延々と続いていきます。

どうやって造り直そう、造り直そう、造り直そう、マイ・フェア・レディー

木と泥で造ろう、造ろう、造ろう、マイ・フェア・レディー

木と泥は流される、流される、流される、マイ・フェア・レディー

こうして、2番、3番と進むにつれ、橋を造る材料はだんだん堅牢なものへとバージョンアップしていきます。

木と泥 → レンガとモルタル → 鉄と鋼(はがね) → とうとう金と銀まで!

それでもまだまだ、歌は終わりません。

金と銀で造ったはいいけど、盗まれてはこまる → 番人を立たせよう ということになり、番人が眠っては困るので 眠らないように 一晩中パイプを吸わせろ、とか ろうそくとパンを持たせろ、ということになります。

そして実は、この「番人」とは、人柱(ひとばしら)のことなのだ、という説があるのです。

ひとばしら、というのは、建造物を造るときに「いけにえ」として、生きた人間を土台に埋めることで、遠い昔、日本でも行われていたという話です。

実際、中世のフランスのある地方では、犠牲者の片手にパン、片手に火のついたロウソクを持たせて埋めた、という話があるそうです。

子どもたちの無邪気な遊び歌、「ロンドン橋」には、こんな暗く恐ろしい秘密がかくされているのです・・・

ごんべさんの赤ちゃん

ごんべさんの赤ちゃんが かぜひいた

ごんべさんの赤ちゃんが かぜひいた

ごんべさんの赤ちゃんが かぜひいた

そこで あわてて湿布した

からだの動きを加えた「遊び歌」として知られているこの歌。

ほかに「♪ひとりとひとりがうでくめば たちまちだれでも なかよしさ」とか、「まーるい緑の 山の手線、まん中通るは 中央線」とか、いろんな歌詞がついていますね。

「ともだち讃歌」や「リパブリック讃歌」として、日本でも広く知られていますが。

実は、これらは全部「替え歌」です。

この歌、もともとは アメリカの南北戦争の時に、ウィリアム・スティフという人が 北軍兵士のために作曲した行進曲で、ジュリア・ウオード・ハウという女性が「リパブリック讃歌」として「私は神の栄光を見た~」というような 勇ましい歌詞を作りました。

これが、もともとのオリジナル!・・・と思いきや。

なんとこの歌詞も「替え歌」なのです。

オリジナルの歌は「ジョン・ブラウン」というタイトルで、歌詞は、北軍兵士たちが歌っていた こういうものです。

♪Jhon Brown's body lies a-moulderin' in the grave

(ジョン・ブラウンの遺体は墓の中で朽ちている)

Jhon Brown's body lies a-moulderin' in the grave

(ジョン・ブラウンの遺体は墓の中で朽ちている)

Jhon Brown's body lies a-moulderin' in the grave

(ジョン・ブラウンの遺体は墓の中で朽ちている)

But we all go marchin' on

(だけど俺たちは進み続けるぞ)

♪Glory,glory hallelujah (グローリー・グローリー・ハレルヤ) ※「神の栄光」の意味

Glory,glory hallelujah (グローリー・グローリー・ハレルヤ)

Glory,glory hallelujah (グローリー・グローリー・ハレルヤ)

His truth is marchin' on(彼の信念は進み続けるぞ)

ジョン・ブラウンは、南北戦争の少し前まで 奴隷解放運動で活躍しており、1859年に縛り首になった、つまり奴隷解放の英雄です。

丈高く、眼光鋭く、声は嵐のように響いたそうです。

奴隷問題、カリスマ的指導者の登場とその処刑、そして南北戦争。

当時の民衆の、この歌によせる思いが伝わってくるようではありませんか。

しかし、この勇ましい歌が、なんで「ごんべさんの赤ちゃん」になってしまったか。

それは、この歌から派生した、アメリカの子どもたちが歌う「替え歌」から。

それはこうです。

♪Jhon Brown's baby's got a cold upon his chest

(ジョン・ブラウンの赤ちゃんがかぜひいた) ~以下くり返し~

body(遺体)がbaby(赤ちゃん)へと置き換えられています。

ジョン・ブラウンという名前は、日本では「山田太郎さん」みたいな名前ですから、「だれかさん」みたいな意味の「ごんべさん」という言葉に翻訳されたのでしょう。

150年も昔に作られた「リパブリック讃歌」は、今なお世界中で 大人にも子どもにも歌われています。

いろんな替え歌になっているこの歌ですが、もとの歌は、平和を願う民衆の「たたかいの歌」であったことを忘れないで。

さあ、歌ってみよう、「リパブリック讃歌」を。

ゆっくりと、しみじみと。

朗々と、感慨をこめて。

地球の平和への願いをこめて。


パフ

小学校3年生の音楽の教科書に出ている(と思う)「パフ」。

これは歌物語になっていて、ストーリーがあるのですが、歌詞を全部のせていない版もあり、よく知らない人も多いみたいです。

この歌のストーリーのあらすじはこうです。

海辺に住んでいる魔法のドラゴン(恐竜)パフと、小さい少年ジャッキーは大の仲良しで、ガラクタおもちゃを持ってきたり 帆船に乗って大海原を旅したりと、毎日楽しく遊んでいます。パフのしっぽの上の見張り台で、ジャッキーは見張りをしながらね。

遠い国の王様はパフとジャッキーにおじぎをするし、海賊たちはびびって旗を降ろします。

月日は流れ、ジャッキーは大人になりました。魔法のドラゴンは年を取りませんが、子どもたちは やがて大人になるのです。

ある晩 とうとうジャッキーはパフから去りました。

悲しむパフ。ジャッキーなしでは、強いドラゴンではいられません。

今でもパフは、1人洞穴でさびしく泣いています。

さて、これだけでも、メルヘンだけではない「人生のおきて」に直面させられる「パフ」の内容ですが、実はもっと驚く こわいエピソードが・・・

この歌は、当時(1960年代)のアメリカでは「麻薬ソング」と言われ、いけない歌だというレッテルを貼られました。

オリジナルの歌詞「パフ、ザ・マジック・ドラゴン」が、実は「パフ、ザ・マジック・ドラッグ(麻薬)」なのだ、という噂が広まったためです。

そのため放送禁止にした国もあったほどでした。

またもうひとつの怖い話・・・

「パフ・ザ・マジックドラゴン」というのは 主人公の恐竜の名前ですが、この名=ベトナム戦争で枯葉剤を大量にまき散らしていた、実在の小型飛行機の名前なのです。

パフ、というのは、英語でぷーっと吹くときのパフ、パフ、という音のことです。

枯葉剤散布により、森や林は枯れ、何百万人もの人が死にました。

「パフ」の歌の作者は、ベトナム戦争へのレジスタンスの意味で この歌を作ったのだという説があるのです。

さあ、そうすると、この 子ども向けのおとぎ話ソングも、一気に意味深になってきませんか?

パフは殺人飛行機。少年ジャッキーは大人になり、ベトナム戦争に行くためパフと遊べなくなった・・・

去っていったジャッキーの運命は・・・

・・・というのは、あくまで噂、仮説です。

実際、この歌を作った人は そんな話をはっきり否定しています。

「マジック・ドラッグ」は 言葉の響きをもじったパロディでしょうし、枯葉剤の飛行機が飛び始めたのは1961年。「パフ」の歌が作られたのは1959年です。歌の方が先にできているのです。

とはいえ、これだけいろいろな説が流れるというのは、この歌に 人を惹きつけて離さない、言ってみれば「曰く言い難い」魅力があるということに他なりません。

私個人は、パフはあくまでもおとぎの海の恐竜だと思っています。パフパフ、と火を吹いて海賊をおどかしたり、ジャッキーと無邪気に遊んだりしている永遠の子ども。

パフの海辺は、つかの間の子ども時代を象徴する夢の国です。

待って!lこんな人が、他にもいませんでしたか?

純真な子どもたちと かけがえのない子ども時代を共にし、大人になっていく彼らを涙で見送る、永遠の子ども・・・

そう、海辺のパフは、ネバーランドのピーター・パンなんだよ!


禁じられた遊び

クラシックギターを練習する人が、必ず弾いてみる「禁じられた遊び」。

これはもともと、スペインの古い民謡「愛のロマンス」という曲です。

1952年に公開されたフランス映画「禁じられた遊び」の音楽に使われて 一躍有名になり、あまりにこの映画にマッチしていたため、いつしか曲名自体が「禁じられた遊び」と呼ばれるようになりました。

実はこのとき、監督は もっとゴージャスな音楽をつけたかったのですが、映画製作の予算が少なく、大勢のオーケストラメンバーや作曲者に支払うだけのお金がありませんでした。

しかたなく、演奏者はギタリスト一人だけ。曲は古いスペイン民謡で。

全編通してこれだけだった音楽が、逆に強い効果を上げ、映画もすごいヒットになったのでした。

映画「禁じられた遊び」のあらすじはこうです。

5才の少女ポーレットは、空襲で両親と愛犬を一度に亡くしました。死んだ小犬を抱き、一人とぼとぼと歩いていたポーレットは、ミシェルという11才の少年と出会い、ミシェルの家に保護されることになりました。

『死んだ者にはお墓を作ってやるんだよ』ミシェルに教えられ、ポーレットはミシェルと一緒に小犬のお墓を作ってやりました。十字架を立てることも、ミシェルから教わりました。

『小犬がひとりぼっちではかわいそう』というポーレット。二人は、死んだ小動物や小鳥の死骸を見つけてきては小犬の近くに埋葬し、その都度十字架を立ててやりました。

『もっときれいな十字架がほしい』と、見つけたのは墓地でした。ポーレットの願いをきいてやろうと、十字架を取ったミシェルは叱責され、ポーレットは遠い施設へ送られることになりました。

ラストシーン・・・「愛のロマンス」の曲が流れる中、駅の雑踏の中で、ただ一人信頼していたミシェルを探し、その名を呼ぶポーレット。

『ミシェル!ミシェル!・・・ママ・・・』

叫びながら雑踏の中に駆け込んでいくポーレット。・・・・-FIN-

ああ~、何て悲しいお話しじゃ~(泣)

そう、「禁じられた遊び」というのは、いたいけな子どもの 無邪気な「お墓作り」。

でも、果たしてそれだけでしょうか。

「戦争」それ自体が、大人の犯している 大きな「禁じられた遊び」なのではないでしょうか

この映画の監督ルネ・クレマンは、無垢な子どもたちの姿を描くことによって、醜い大人のエゴをこそ、描きたかったのではないでしょうか・・・


雪山讃歌(いとしのクレメンタイン)

雪よ、岩よ、われらが宿り、おれたちゃ街には住めないからに~

という「雪山讃歌」をご存じでしょうか。

あの歌は、アメリカの歌「クレメンタイン」という曲に、日本の登山家であり化学者でもあった 西堀栄三郎が作詞したものです。

もとのアメリカの歌は、1940年代に、西部劇映画「荒野の決闘」に使われてからポピュラーになったということのようですが、そのまた元歌は、こんな歌詞で始まりす。

渓谷の金鉱で 金(きん)を掘って暮らしてた

49er(フォーティーナイナー)の坑夫と

娘のクレメンタイン

49er(フォーティーナイナー)というのは、1849年度のメンバー、というような意味です。

1848年から1855年くらいの間、アメリカでは「ゴールドラッシュ」といって、西部へ一攫千金を求めて金を掘りにいく人が殺到しました。1849年という年はまさに絶頂期で、特にその年の金鉱堀りの人のことを49er(フォーティーナイナー)と呼ぶのです。

歌の後半、リフレイン部分はこうです。

オー・マイ・ダーリン、オー・マイ・ダーリン、オー・マイ・ダーリン クレメンタイン

おまえは行ってしまった 永久に

とても悲しいよ クレメンタイン

和やかなカントリータッチの曲なのに、この歌詞はどうしたことでしょう。

「クレメンタイン」の歌は、8番までの歌詞があり、だんだんとその意味がわかってきます。

2.妖精のように軽やかで 靴のサイズは9号

ニシンの箱の蓋を取れば それが彼女のサンダルさ

オー・マイ・ダーリン、オー・マイ・ダーリン・・・(以下同様)

3.毎朝9時に アヒルを水辺へ連れて行く

ある朝 木ぎれにつまずいて クレメンタインは渦巻く流れに落ちた (以下同様)

4.ルビーのような唇が アップアップして溺れていた

だが、ああ、私は泳げない

それでクレメンタインを失ってしまった (以下同様)

5.クレメンタイン!クレメンタイン!二度と戻らぬクレメンタイン!

彼女の小さな妹を 私は抱き寄せ キスをした (以下同様)

6.やがて父親は げっそりやつれてしまった

娘を連れてきたことを悔やんで

彼女は死んでも いつも父と一緒

(以下同様)

7.教会の墓地の片隅に 小さな墓があり

かぐわしいバラや色とりどりの花が いつでも咲いている

クレメンタインの思いを伝えるように (以下同様)

8.今でも彼女の夢を見る

ぐっしょり濡れた服を着たクレメンタイン

生きていた時の姿そのままに (以下同様)

いかがでしょうか。

のんびりしたカントリーソングかと思っていた「クレメンタイン」ですが、実は悲しい物語が秘められていたのですね。

原詞では「塩水に落ちた」となっているので、たぶん海に落ちたのだと思います。

また、この歌を「失った恋人を偲ぶ歌」とする解釈が多いのですが、私は、この49erの父親が 娘のクレメンタインを惜しんでいる歌だという感じがしています。

みなさんはどう思われるでしょうか。

興味のある人は、原詞を読んでみてください。