江戸時代
地誌類の絵
WEBギャラリー
江戸時代の隠れた名画たち(地誌類の風景画)
下の絵は、すべて江戸時代の絵をもとにした、ホームページ作者のリメイク品です。
そのままでは、鑑賞用として見れる資料がないため、あえて加工を施しました。
江戸時代の絵というと、浮世絵。
浮世絵でも、風景画というと、葛飾北斎・歌川(安藤)広重が有名で、浮世絵以外では「名所物」が少し知られていますが、これら以外にも当時から現代まで未出版のままの物の中に、見事といえる絵が、かなりあります。
無名の絵ですが、肉筆による繊細な絵です。(未出版の意味は、注2)その一端をご紹介して行きたいと思います。
まず、『新編武蔵風土記稿』『相模国風土記稿』『武蔵名勝図会』の挿絵を中心に八王子市初沢町の近隣および歴史的関係のある物から、ご紹介してまいります。
『新編武蔵風土記稿』高尾山の絵(高尾町)
見開き2ページ分を1枚に合成、影印本をベースに製作。
原本:独立行政法人国立公文書館所蔵
『武蔵名勝図会』草稿
高尾山の山頂より相模の広野を望む絵
植田もうしん作 ご協力:日野市郷土資料館
『新編武蔵風土記稿』駒木野関所の絵(裏高尾町)
見開き2ページ分を1枚に合成。独立行政法人国立公文書館所蔵。
昭和3年 小仏関所址の写真
昭和3年3月1日発行、雑誌『史蹟名勝天然記念物』より。
絵に描かれた山の形が、この写真とよく似ています。関所内の松も同じですね。
『新編武蔵風土記稿』小仏宿・峠の絵(裏高尾町)
見開き2ページ分を1枚に合成。独立行政法人国立公文書館所蔵。
『武蔵名勝図会』草稿
小仏峠の頂上より相州津久井県の村々を望む絵
植田もうしん作 ご協力:日野市郷土資料館
『新編相模国風土記稿』小仏峠・西側より見た絵(神奈川県相模湖町)
見開き2ページ分を1枚に合成、 国立国会図書館所蔵。
『新編相模国風土記稿』の絵は、『新編武蔵風土記稿』の絵と違い線描写が主になっています。
『新編武蔵風土記稿』広園寺の絵(八王子市山田町)
見開き2ページ分を1枚に合成、印刷写真をベースに製作。
原本:独立行政法人国立公文書館所蔵。
高乗寺と開基・開山者が同じと考えられています。
『新編武蔵風土記稿』広園寺の絵(八王子市山田町)
見開き2ページ分を1枚に合成、印刷写真をベースに製作。
原本:独立行政法人国立公文書館所蔵。
高乗寺と開基・開山者が同じと考えられています。
『新編武蔵風土記稿』高乗寺の絵(初沢町)
見開き2ページ分を1枚に合成、影印本をベースに製作。
原本:独立行政法人国立公文書館所蔵
『新編武蔵風土記稿』下長房村(左側:上椚田村)の絵
(八王子市長房町・廿里町・東浅川町・高尾町)
見開き2ページ分を1枚に合成、 独立行政法人国立公文書館所蔵
ここで一枚の地図をご覧ください。上の絵と同じ場所の昭和2年頃の地図です。
昭和3年「大正天皇御大喪儀記録」より
この場所は、現在、多摩・武蔵御陵のある場所です。上の地図は、大正天皇の大喪儀の時のものです。
ここに掲載したのは『新編武蔵風土記稿』が、地形、人家、竹林など、いかに忠実に描いていることをご覧いただきたいと考えたからです。
また、明治時代の地図は、歴史ページに掲載しています。
『新編武蔵風土記稿』八王子宿の絵(八王子市)
見開き2ページ分を1枚に合成、影印本・印刷写真をベースに製作。
原本:独立行政法人国立公文書館所蔵
この絵は、珍しく、薄い着色が施されたものです。
明治15年の西洋式地図と比べてみましたが、これも大変正確な絵です。
この絵は、江戸時代後期の八王子の様子を知る資料として大変役に立つ絵図です。下の地図は、明治15年測量の西洋式地図になります。
明治15年測量の西洋式地図 1/20,000
八王子駅部分(国土地理院所蔵)
『新編武蔵風土記稿』八王子入口の絵(八王子市)
見開き2ページ分を1枚に合成、影印本をベースに製作。
原本:独立行政法人国立公文書館所蔵
大和田町方向から浅川を挟んで八王子市街を描いた絵です。
この絵は、0.1ミリ程度の極細の線を主体にした細密でありながら淡白に描かれた物の1枚です。
『新編武蔵風土記稿』日原の絵(奥多摩町)
見開き2ページ分を1枚に合成、 独立行政法人国立公文書館所蔵。
まさに「山水画」と言った絵ですね。
『武蔵名勝図会』に洞窟の形が多少異なる程度で人物配置まで一致する絵が掲載されています。
植田もうしんが、この絵に関係していたことを推測させます。
『新編武蔵風土記稿』日原の絵(奥多摩町)
見開き2ページ分を1枚に合成、 独立行政法人国立公文書館所蔵。
この絵も「日原の絵」ほど完全に一致するものではありませんが『武蔵名勝図会』に、構図・タッチが良く似たものがあります。
植田もうしん著『日光山志』総図1
見開き2ページ分を1枚に合成、昭和4年日本随筆大成刊行会本をベースに製作。
江戸時代の原本と比較し、遜色のないことを確認のうえで使用。
植田もうしん著『日光山志』総図2
見開き2ページ分を1枚に合成、昭和4年日本随筆大成刊行会本をベースに製作。
江戸時代の原本と比較し、遜色のないことを確認のうえで使用。
植田もうしん著『日光山志』総図3
見開き2ページ分を1枚に合成、昭和4年日本随筆大成刊行会本をベースに製作。
江戸時代の原本と比較し、遜色のないことを確認のうえで使用。
『武蔵名勝図会』の作者であり、『新編武蔵風土記稿』の編纂にかかわった、植田もうしんの江戸時代に出版された『日光山志』著者自身の絵です。
千人同心組頭植田もうしんの挿絵も見事ですが、この本には、葛飾北斎、椿椿山、渡辺崋山、谷文晁(タニブンチョウ)など超一流の画家が挿絵を描いています。
版画絵です。
総図2や3などは、1枚ずつ見ただけでは、鑑賞用として面白い絵とは
思えませんが、まず書いた人や彫師の綿密さに驚かされます。
上の絵3枚は、総図1が右側、総図2が中央、総図3が左側にくるパノラマの構成になっています。
3枚並べて見ると、見事な風景画になります。
植田もうしん著『日光山志』総図 パノラマ加工
千人同心は、日光の火消し役を務めており、著者も13から14回勤務に当たっています。1回の勤務が長い時で、半年にもおよんだようです。日光を語るには、最適な人物であったようです。
ただ、江戸時代に、徳川家康の眠る日光を語ると言うことは簡単なことではなかったようで、官許えて刊行するまでには、色々な場所のチェックを受け何年もの歳月をかけて、やっと実現したようです。
この方のいくつかある著作の中で、江戸時代に刊行されたのは、この『日光山志』のみです。
現在出版されている本にも、この本の内容を載せているものがあります。また、千人同心組頭塩野適斎たちは、『新編相模国風土記稿』津久井之部の編纂にもかかわっています。
『新編相模国風土記稿』三増(みませ)合戦古戦場図 1
(神奈川県城山町・愛川町)
見開き2ページ分を1枚に合成、 国立国会図書館所蔵。
『新編相模国風土記稿』三増(みませ)合戦古戦場図 2
見開き2ページ分を1枚に合成、 国立国会図書館所蔵。
武田軍による「廿里の合戦」「滝山城攻撃」「小田原城攻撃」の帰路、北条軍とかわれた激戦の場所を説明した絵です。
上の2枚「合戦古戦場図」を横に結合
国立国会図書館所蔵。
この図は、下の「武田三代軍記 三増合戦の図」を意識して描かれたように思われます。
『武田三代軍記』三増合戦の図
『武田三代軍記(1720年)』、江戸時代の刊行本(個人所蔵)をベースに制作。※転載などは、しないでください。
『新編相模国風土記稿』津久井古城の絵(神奈川県城山町)
見開き2ページ分を1枚に合成、 国立国会図書館所蔵。
『江戸名所図会』高幡不動尊の絵(日野市)
見開き2ページ分を1枚に合成・着色。昭和3年出版の吉川弘文館本をベースに製作。
※着色したのは、ただ単に、いたずら心からです。
この『江戸名所図会』は、現在も別会社から出版されています。江戸時代のベストセラー本です。
また、植田もうしんの『武蔵名勝図会』は、この企画があったこと
から出版せず、幕府への献上のみに止めた側面があるようです。
版画絵でモノクロームです。
このベストセラー本と、 上に掲載の絵たちを見比べて見るのも面白いのではと考えて掲載してみました。
地域的に近いものとして「高幡不動尊」を選びました。
多摩地域を扱った絵の中では、府中六所宮を描いた物が圧巻です。
細かい多数の人物表現や細密な鳥瞰図が特徴です。(今年5月発行の「多摩のあゆみ」122号がこの絵を掲載しています。また、WEBでも見られます。)
解説
地誌類の絵の特徴は、特に 『新編武蔵風土記稿』『新編相模国風土記稿』、『武蔵名勝図会』おいては写実性が重視されている点です。
また、写実性を重視しながらも見えないはずの建物などを見えるようにしてある所は、写真と異なっています。
『新編武蔵風土記稿』『武蔵名勝図会』のもう一つの特徴は、遠近法を用いている点です。
ビューポイント、消失点が、はっきりした作品が数多くあります。この遠近法がどのような流れのなかで取り入れられたのか、調べていますが現在までに解ったことは、谷文晁(たにぶんちょう)の『日本名山図会(1804年)』鈴木南嶺画、斉藤鶴磯著『武蔵野話(1815年)』が参照されていることです。
植田もうしんが、絵を学んだといわれる渡辺崋山は、谷文晁に学んでいます。また、渡辺崋山、谷文晁は『日光山志』に挿絵を描いてもいます。
一方、鈴木南嶺(すずきなんれい)は、渡辺南岳について円山派の絵を学んだと言われています。文晁、円山両派ともに、西洋的技法を取り入れたことが、特徴の一つとなっています。
また、浮世絵の風景画は、特に広重の絵は構成の美しさを重視しているためか誇張、変形、単純化および省略が多いようです。絵だけでは、山間部なのか、海に近いのか判断できないような絵もあります。
浮世絵は、色彩、構成の美しさや登場人物を楽しみ地誌類の絵は、正確に書かれた写生画として写実の美を楽しむものではないでしょうか。
また、「名所図会」物は、両者の中間的な存在で登場人物など面白い物が多いのですが、難を言えば、寺社仏閣が多く現代人には合わない面もあるようです。
絵の描かれた年代を見てみますと
『新編武蔵風土記稿』1822年 多摩地区完成
『武蔵名勝図会』1820年完成、1823年献上
北斎『富嶽三十六景』1831年頃から刊行
広重『東海道五十三次』1833年頃から刊行
『江戸名所図会』1834~36年頃刊行
『日光山志』1837年刊行
『新編相模国風土記稿』1841年完成
となります。
この時代は、浮世絵では爛熟期にあたり、風景画が一つのジャンルを築いた時期です。
遠近法の流れを調べていて感じるようになったことですが、遠近法の使用が風景画を見やすく、親しみやすくし、1つのジャンルを築かせる要素になったのではないかと推測するようになりました。
版画でのもう一つ特徴は、細密な彫を極めた時期でもありました。
※注1)上の絵は、すべて半紙サイズ(見開き2ペー ジ分)に描かれたものです(綴じ代、天地の余白、縁取りなどがありますので、ほぼA4サイズです)。
※注2)未出版の意味をもう少し説明いたします。
『新編武蔵風土記稿』『新編相模国風土記稿』は、現代でも出版されているものがあります。
ただし、これは明治時代に内務省地理局が、絵はすべて書き換え、文章も細かい点で書き換えられたもが基になっています。
絵に関しては、明治のものは「ザツで不正確」といわざるをえず、まったくの別物といえます。ザツなのを我慢したとしても、不正確なのは、困った物です。
下の絵が、明治時代に出版されたものです。上記掲載、上から三番目の絵に相当するものです。一番上の「高尾山の絵」などは、明治本では、省かれています。この絵などは、それでも良いほうに入ります。
『新編武蔵風土記稿』が特にひどい状態で『新編相模国風土記稿』の方は、少しはましです。
ただし、未出版のものを出版した明治本は、地域史を知る上で重要な役割をはたしてきましたが……
また、『新編武蔵風土記稿』に関しては、影印本(原本を写真撮影し本にした物)を出版された文献出版という会社がありました。
貴重な本なのですが、残念ながら絵に関しては、白か濃い黒のみの状態となってしまい、中間のグレーが表現されていません。
また、かなり細い線が飛んでしまっています。絵の良さを見るには、不十分な物にとどまってしまいました。(この傾向は、ほぼ全ての掲載物にも見られます。マイクロフィルムによる撮影が原因ではないかと考えられます。)
江戸時代の原画が、なぜ日の目を見ないまま現在にいったてるのかを考えてみますと
これらの本を見る人が、ごく一部の人であること
絵が書き換えられていることを、知らないこと
(私もそうでした。明治本の絵を江戸時代の絵と思っていました。)
絵以外は、現在出回っている本でもほぼ問題のないこと
新たに出版しても採算のあわないこと
例を挙げますと
上に挙げた文献出版(現在ありません)が出された影印本は
一冊の定価¥12,000(消費税別)で、多摩地区だけで15冊、八王子地域に限っても4冊となります。大変高価なものになっていました。それでも、出版社に多くの利益が出ていたとは考えられません。
などが、原因ではないかと思われます。
リメイク作業の内容について
以下のような作業 をおこないました。
使用ソフト:アドビ・フォトショッ プ・エレメント2.0
見開き、裏表にまたがる絵は、結合。
結合部分のズレは、書き換え。
ほぼ全ての元本の用紙に色があるため背景をコントラスト調整、消しこむツール、白ブラシ、塗りつぶしツールで白に変更。
ゴミ、裏ページの写り、虫くいの除去。
途切れた線の書きたし。
薄墨の書きたし。
黒くつぶれた部分の書き替え。
ザラツキのぼかし。
白と黒のコントラスト調整。
『新編武蔵風土記稿』は、必ず2種類の資料を使用し修正および加工。
絵によては、着色。
などです。
絵の著作権、所有権について
下記判断、手続きにもとづき公開しています。
元絵は全て江戸時代の物で、著作権はすでに切れていること。
(注2で使用した絵だけは明治時代の物ですが、これも著作権切れ)
元絵の所有権、掲載許可について
『新編武蔵風土稿』は、掲載許可を受けて掲載しています。
所有権者は、独立行政法人国立公文書館です。
『新編相模国風土稿』も、掲載許可を受けて掲載しています。
所有権者は、国立国会図書館です。
『武蔵名勝図会』は、所有者の吉野連一氏、日野市郷土資料館の
ご協力、ご承認をえて掲載しています。
絵画の複製写真には著作物性がないとされていますが
『江戸名所図会』『日光山志』は、出版から50年以上経過したものを使用しました。
また、加工品には、著作権が新たに発生します。
本ホームページの絵も、新たに著作権が発生していると考えられます。
ご協力いただいている方々へのご迷惑ともなりますので、転載等は、ご遠慮ください。
また、全体的に関係者の利益侵害にならないよう、注意しています。
- 2006年5月29日発行 -
現在、ご紹介する絵の数を増やす作業をおこなっていますが、地域的にも広がり、本ホームページの中で扱っていくのは、妥当でないとの考えにいたりました。
江戸時代の風景画、それも見れる機会のほとんどない絵を中心に専用のホームページを立ち上げることとし、下記ホームページに掲載を始めました(江戸時代の遠近法の流れを調べたページもあります)。
このページと合わせて、ご覧いただければ幸いです。