浅川小学校
浅川小学校
浅川小学校の歴史
浅川小学校の歴史
浅川小学校の歴史を表にしてみました。
注1)『石川日記※』に“11月28日晴天 本間 重斉と申人 村の庵にて 手習師匠初める 追々学校と成”と書かれています。
注2)摺差(するさし)学舎は、明治7年には、すでに授業を行っています。何時スタートしたのか、記録が入手出来ていません。
明治7年の記録によりますと、摺差学舎の人員は、教員1名(男)、男子生徒13名、女子生徒2名。
原学舎の人員は、教員1名(男)、男子生徒35名、女子生徒13名となっています。
注3)この時期を明治18年と記述した資料もありますが、『石川日記』の記録より明治17年といたしました。
注4)井戸掘りの様子は、『石川日記』に詳しい記録があります。2月14日より連日掘り続け2月21日に水を確認。2月25日に完成しています。
注5)この運動会の事と思われる記録が、これも『石川日記』に残っていますので、引用してみます。
“11月3日大晴天 天長節 この日 上椚田学校生徒 上長房学校生徒集まり 熊野森下川原にて 支那戦争の真似あり 源平打分り 支那九連城形を作り 源平戦争仕舞 城焼落す 面白き事あり”
と記録されています。
『石川日記』とは
東浅川町(旧字:原)にお住まいの石川氏が、江戸時代から代々書き続け、1720年からの記録が現在も残っている日記です。