夏至の観測ライン上に建つ神社


〈太陽の道〉を示すもの: 日知りの民


一説に、「聖(ひじり)」は「日知り(ひしり)」であるという。

かつてそれは〈太陽の道〉を知り示し、「暦(こよみ)」を司るものたちだった。


数日前、鳥取県立図書館の司書のかたから、『日本の歴史の根源』という本をご紹介いたただいた。

同じ日に、鳥取県立図書館の別の司書のかたから、『続 秦氏の研究』という本をご紹介いたただいた。

いずれの文献も、古くから和歌にも詠まれた「纒向の夕槻嶽(夕月岳)」についての考察を含むものだ。

夕月岳は、応仁の乱で焼失する以前「穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)」があった場所だと、『大和志料』には書いてある。その『大和志料』を含め夕月岳の場所についてはさまざまに考証がなされていて、「纒」の一文字で「巻向山」を指すこともあり「纒向(まきむく)の」といわれるからには「巻向山の夕月岳」であるともされるけれど、この場合「纒向」はおそらく地域の名称・総称の意味であって「纒向=巻向山」と断定するのは少々乱暴な気もする。

(ちなみに『式内社調査報告 3 』(pp. 562-563) によれば、「穴師坐兵主神社」は「アナシニマスヒヤウズノカミノヤシロ」と訓むべきであるらしい。現在は下社「穴師大兵主神社」に上社「穴師坐兵主神社」も合祀されているが、上社は以前には巻向山中にあったという。)


そもそも最初は、夕月岳ではなく、奈良県桜井市の三輪山北西部に位置する ―― 天理市との境界付近 ―― 穴師に鎮座する「穴師神社」について、調べていたのだ。その〝上の社〟である「穴師坐兵主神社」は〝応仁の乱の前には夕月岳にあった〟というのだけれども、その鎮座場所がはっきりせず、いつのまにかそれは巻向山だということになっている。

だけど普通に考えて上と下の社があるのは、上の社(かみのやしろ)まで参拝するのは遠いので、手近に下社として遥拝所を設けて、便宜を図ったものであろう。

そのことは『続 秦氏の研究』にも、記述があった。


で、紹介された本の該当部分だけを読んでとりあえず図書の貸出手続きを済ませつつ、同日に図書館で国土地理院発行の 5 万分の 1 地形図「桜井」を A3 サイズで左右 2 枚に分けてカラーコピーしてもらい、夜更けにそれをきれいに張り合わせてから、『続 秦氏の研究』とか以前から借りていた同じ著者の『神社と古代王権祭祀』で紹介されている記述にしたがって赤やオレンジなどのカラーマーカーで線を引いてみた。

するとどうだろう。夏至(げし)の観測ラインに沿って、いくつもの〝神の社〟が建立されているではないか。

かつて〈太陽の道〉を知り「暦(こよみ)」を司るものたちが存在したのだ。

びっくりしたあまり、これは関連の図書があるに違いないと確信するに至った次第である。


翌日には、鳥取県立図書館のこれまた別の司書のかたから、『神社の系譜』という本をご紹介いたただいた。

その本には、『続 秦氏の研究』と同じく、小川光三氏の本(『大和の原像』)が引用紹介してあった。―― 小川光三氏のその本はあいにく近隣の図書館にも蔵書がなく、現在のところ引用してある文献でしか内容を把握できていない。


さて、下社が遥拝所として機能するための、位置関係というものがある。

穴師神社の南約 1.8 ㎞ に位置する大神神社(おおみわじんじゃ)は、そこから拝めばちょうど夏至の日の太陽が三輪山の山頂から昇ってくる場所にあるという。大神神社の場合、有名な三つ鳥居は、拝礼の方角を示す「東向き」を禁足地として定める機能も有するようだ。

その方角例を参考に、穴師神社の下社から見て夏至の日の太陽が昇る方向に上社があると想定すると、山に向かって下社から直線距離で約 900 m 離れた地点に「国土地理院の基準点・穴師」があった。地形図には標高 409 m の山頂として、示されている。


おそらくは、そのあたりにかつて「穴師坐兵主神社」があったのだ。

小川光三氏の『大和の原像』を参照すると、そういう結論が自然と導かれてくるようだ。夕月岳は、その場所なのだ、と。


夏至の観測ライン上にあると思われる神社をピックアップしてみよう

(標高で示される地点は、国土地理院の「基準点成果等閲覧サービス」の地図上で検索した緯度と経度を使用した)


基準線は、大神神社から三輪山(山頂: 467m)を拝するラインである。

そのライン上、三輪山の先には、初瀬山の山頂 (548m) がある。

またそのラインのすぐ南には、神武天皇陵と三輪山頂の南側標高 326 m 地点を結ぶ夏至の観測ラインがある。


その三輪山頂の南側ラインから始めて、北向きに平行にずらしていき、全部で 5 本のラインを描く。

それぞれのライン上で北から順に、神社名等をグーグルマップで調べた住所とともに記述していくことにする。

(※ ページの一番下に、場所をチェックした地図を添えておく)


● 神武天皇陵から三輪山頂の南側 標高 326m 地点 を拝する

奈良県桜井市三輪 三輪山頂の南側 標高 326m 地点

奈良県桜井市西之宮135 三輪神社

奈良県橿原市出合町145 春日神社

奈良県橿原市大久保町 神武天皇陵

奈良県橿原市山本町152 八幡神社


● 大神神社から三輪山の山頂 を拝する

奈良県桜井市白河 初瀬山の山頂 548m 地点

奈良県桜井市三輪 三輪山の山頂 467m 地点

奈良県桜井市三輪1422 大神神社

奈良県桜井市東新堂269 八阪神社

奈良県橿原市山之坊町304 山之坊山口神社

奈良県橿原市四条町192春日神社

奈良県橿原市東坊城町857 八幡神社


● 耳成山北側から三輪山頂の北東部 標高 512m 地点 を拝する

奈良県桜井市白河760 高山神社

奈良県桜井市 三輪山の北東部・巻向山の北西部 標高 512m 地点

奈良県桜井市茅原 神御前神社

奈良県桜井市新屋敷181 春日神社

奈良県橿原市木原町490 耳成山口神社

奈良県橿原市木原町 耳成山

奈良県橿原市今井町4丁目4 今井町4-138 八幡神社

奈良県橿原市今井町3丁目162 春日神社


● 大兵主神社(穴師坐兵主神社)から笠山荒神社 標高 503m 地点 を拝する

奈良県桜井市笠2415 笠山荒神社

奈良県桜井市穴師 基準点名「穴師」山頂 409m 地点

奈良県桜井市穴師493 大兵主神社(穴師坐兵主神社)

奈良県桜井市箸中1128 国津神社

奈良県桜井市箸中 箸墓古墳

奈良県桜井市芝 豊慶大神

奈良県桜井市大泉830 天満宮

奈良県橿原市東竹田町495 竹田神社

奈良県橿原市中町272 阪門神社(武内阪門神社)

奈良県橿原市葛本町 葛本神社

奈良県橿原市上品寺町37 稲荷神社

奈良県橿原市地黄町445 人麿神社


● 纒向遺跡の石塚古墳から龍王山の山頂 585m 地点 を拝する

奈良県天理市田町 龍王山の山頂 585m 地点

奈良県天理市渋谷町 景行天皇陵

奈良県桜井市太田 太田253-1 纒向石塚古墳

奈良県橿原市土橋町538 春日神社

奈良県橿原市土橋町537‐2 春日神社

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