仲本先生が子どもころは、コンビニも冷蔵庫もない時代!


みなさんは おなかがすいたら どうしますか?
仲本先生が子どもだったころの沖縄は、家のそばにスーパーやコンビニなどはなく、家のなかには 冷蔵庫(れいぞうこ)やレンジ、ガスコンロもない時代(じだい)でした

そんな時代(じだい)の子どもたちは、どんなものを食べ、どのようにくらしていたのでしょうか

お話してくださった 仲本 實(なかもと みのる)先生 のご紹介(しょうかい)

1933年(昭和(しょうわ)8年)に生まれる。

母は幼稚園(ようちえん)の先生(せんせい)、父はバスの運転手(うんてんしゅ)をしていた。
小学校1年生まで本島南部(ほんとうなんぶ)の大里村(おおざとそん)(いまは南城市(なんじょうし))で過(すごす。大里村でのくらしは、幼稚園のおゆうぎを見に行ったり、木登(きのぼ)り、セミ取(と)り、父と一緒(いっしょ)に近くの山で小鳥を撃(う)ちに行ったりと、しあわせな生活をしていた。

小学校1年生の途中(とちゅう)から、那覇市(なはし)の久茂地国民学校(くもじこくみんがっこう)に転校(てんこう)する。そこでは、壺屋(つぼや)の焼(や)き窯(がま)でイモを焼(や)いて食べたり、顔(かお)にマッコウーの実(み)をぬって南洋(なんよう)の原住民(げんじゅうみん)のマネをしたり、猿飛佐助(さるとびさすけ)の忍術(にんじゅつ)ごっこをして遊(あそ)んだ。

小学校2年生から、恩納村(おんなそん)の山田国民学校(やまだこくみんがっこう)に転校する。ここでは、牛や馬、ヤギのための草(くさ)かりや畑仕事(はたけしごと)、田(た)んぼの仕事を手伝(てつだ)っていた。

小学校5年生になる少し前、那覇市の泊国民学校(とまりこくみんがっこうに転校する。このころ、だんだんと戦争(せんそう)が近(ちか)づいてくる。体育の時間は徒歩訓練(とほくんれん)をするなどして、ふだんの勉強(べんきょう)はほとんどできなかった。

小学校5年生の途中から、疎開(そかい)もかねて、ふたたび恩納村の山田国民学校へ転校する。

1945年(昭和20年)、12才の時に沖縄戦(おきなわせん)を経験(けいけん)する。

仲本先生には、沖縄戦を経験する前の食生活についてお話を聞かせてもらっている。

お話をする仲本先生
(さつえい 2011年)

戦中・戦後の子どものオーラルヒストリー

仲本先生が経験(けいけん)した沖縄戦(おきなわせん)のお話(はなし)は、こちらから視聴(しちょう)することができます。