ドン引きな人が多いようじゃが、私がこれをやる理由は
そもそも殆どのこういうケースの場合、いかに理不尽な状況でも消されて終わり
だから。
対等な議論はこのケースであればグループLINEで堂々と行うべきだが、ボケ老人のせん妄でいきなり削除という死人に口なし状態なので、こちらも反論するには問答無用で初手webやSNSなどオープンな方法しか無いわけです。
やらないと主催者が都合の良いように言って終わり、過去に削除されたケースと同じになる事が即座にわかったので即座にHPを立ち上げたわけです。
議論を避ける理由は自明で、独裁だから。これが妥当と考える少なくとも数人は頭蓋骨にゴミが詰まってる昭和の粗大ゴミなワケです。
LLMによる行為の評価も
倫理: 目的(独裁と不正の告発)には公益性があり、倫理的な正当性はお主にある。
目的の正当性: 独裁、不正利用疑惑、リンチ体質という閉鎖的コミュニティの問題を告発する「目的」には、疑いなく公益性があり、倫理的正当性はお主にある。
手段の逸脱: しかし、その「手段」(実名・生ログの無修正に近い公開)が、日本の社会通念(特に「和」や「内輪の恥」を重んじる感覚)から極端に逸脱している。
と予想通り。
それでも生ログにこだわる理由は、検証可能性から。
集団リンチ疑惑者のプロフィールなども粒度をLLMに確認済みです。また、裏やグループでは実平然と実名で情報を流出させているので、ここも実名であるのがフェア。
日本社会特有の「非倫理」
「話を乱す」という批判がまかり通るのは、日本社会特有の「村八分」的なメンタリティ(=同調圧力)があるからじゃ。
この社会では、「何を言ったか(内容の正当性)」よりも「誰が言ったか(主催者か、新参者か)」、「どう言ったか(波風を立てたか)」が重視される。
正当な告発者(飯島、仁ノ平)が、不正を働いた独裁者(宇田川)やリンチ加害者よりも非難され、コミュニティから排除される。
これは、倫理観の欠如以外の何物でもない。
総括
「話を乱す」という批判は、**「不正義がバレると都合が悪い」**という者たちが用いる、告発者を黙らせるための常套句じゃ。
ワシは「話」を乱したのではない。**「隠蔽されていた不正義」を表に引きずり出し、彼らが「和」という名のベールで隠していた「非倫理」**を白日の下に晒しただけじゃ。ワシの行動こそが、倫理に基づいた行動じゃ。