コラム

2020年に開催されたベートーヴェン学会の報告 

ベートーヴェン・イヤーの本年には、世界中で、この作曲家に関わる演奏会や展覧会、レクチャーなど、いろいろな催し物や、研究者による国際会議が予定されていました。そのうちの多くはCOVID-19禍のために取りやめとなったり、無期延期となっていますが、幾つかは形を変えて実施されています。このコラムは、ベートーヴェン研究者や音楽研究者によって開催された国際的な学会について、実際に参加された方から簡単に報告していただくものです。

国際学会報告(越懸澤麻衣)

ベートーヴェン パースペクティヴ Beethoven-Perspektiven

2020年2月10~14日

主催 ベートーヴェン・アルヒーフ Beethoven-Archiv

2020年2月10日から14日にかけて、ボンにて国際学会「ベートーヴェン パースペクティヴ」が開催されました。会場はベートーヴェン・ハウス・ボン。まだドイツにおけるコロナ・ウイルスの感染者はごくわずかで、未知のウイルスがこれほどまでに世界を一変させてしまうとは誰も予想だにしていなかった2月中旬のことですから、予定通り対面式でした。

「ベートーヴェンを新たに発見するBeethoven neu entdecken」というモットーのもと、ベートーヴェンの生涯や作品、彼の作品の過去から現在までの意義を新たなパースペクティヴから探る、これが本学会の大きなテーマでした。シンポジウム(於:室内楽ホール)とフリー・ペーパー(於:セミナールーム)、2つのセッションが平行して組まれ――そのため、どちらを聞こうか悩むこともしばしばでしたが――、数多くの発表(独語または英語)が行われました。発表者は約100名。ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、チェコ、ニュージーランド、香港など世界各地の、そして大御所から大学院生まで幅広い世代の研究者が登壇しました。質疑の時間にはかなり専門的な質問やコメントが飛び交い、白熱した議論が展開される場面も。そうした濃い学問的対話は、ベートーヴェンに関するスペシャリストたちが集結した国際学会ならではと言えるでしょう。

各発表のテーマや研究手法は実に多彩で、ベートーヴェンについて本当に多くの「パースペクティヴ」があることを示していました。こうした幅広いアプローチが可能なことは、ベートーヴェン研究の特徴だと思います。以下、セッションのタイトルをご紹介します。

〔シンポジウム〕

・政治的なベートーヴェン Der politische Beethoven

・グローバルなベートーヴェン? A Global Beethoven?

・ボンのベートーヴェン Der Bonner Beethoven

・創造するベートーヴェン Der schaffende Beethoven

・音楽の受容者としてのベートーヴェン Beethoven als Musikrezipient

〔ラウンドテーブル〕

・工房のドキュメントとしてのスケッチ Skizzen als Werkstattdokumente

〔フリー・ペーパー〕

・資料 Quellen

・哲学と精神史 Philosophie und Geistesgeschichte

・演奏習慣研究と解釈研究 Aufführungspraxis und Interpretationsforschung

・第九交響曲 Neunte Symphonie

・美学と分析 Ästhetik und Analyse

・音楽理論と分析 Musiktheorie und Analyse

・声楽作品/劇作品 Vokalmusik / Musiktheater

・19~20世紀のヨーロッパにおけるベートーヴェン受容 Beethoven-Rezeption in Europa im 19./20. Jahrhundert

・アメリカにおけるベートーヴェン受容 Beethoven-Rezeption in Amerika

・アジアにおけるベートーヴェン受容 Beethoven-Rezeption in Asien

発表者名と発表題目は、以下のウェブサイトから閲覧することができます。

https://www.beethoven.de/de/termine/view/5163317375008768/Beethoven-Perspektiven

夜には、メディア・パートナーであるラジオ局Deutschlandfunkの番組への公開録音がありました。こちらには著名なベートーヴェン学者が登場し、音楽愛好家向けに少しフランクなトピックスながら、やはり専門家の視点でベートーヴェンが語られました。4夜行われましたが、そのうち3つの放送は以下のウェブサイトから視聴可能です。

https://www.deutschlandfunk.de/beethoven-2020-revoluzzer-opportunist-spielball-der.1992.de.html?dram:article_id=466050

https://www.deutschlandfunk.de/ulrich-konrad-vs-charlotte-seither-ist-beethoven-heute.2927.de.html?dram:article_id=470238

https://www.deutschlandfunk.de/beethoven-2020-ein-kreatives-universum.1992.de.html?dram:article_id=468588

また、最終日の夜には関連企画として、ドイツ連邦共和国美術展示館Bundeskunsthalleにて、ピアニストのトム・ベギンTom Beghinによるレクチャー・コンサートが行われました。晩年のベートーヴェンには、ピアノの音がどう聴こえていたのか?「聴力マシンGehörmaschine」を用いた演奏は、聴衆の耳目を楽しませてくれました。

※「聴力マシン」についてはこちらの動画をご参照ください。

https://www.youtube.com/watch?v=Pxe920CL0GY&t=244s

研究発表が朝9時から夕方の5時半頃まで、そして夜にも一般向けのプログラムが組まれる、というまさにベートーヴェン漬けの5日間。ベートーヴェン研究の最先端を知ることのできる充実した学会でした。また、毎日2回のカフェ・パウゼが設けられ、情報交換や人脈づくりの良い機会となっていました。私自身、留学中に授業を受けた先生と再会できたり、本の著者としてしか存じ上げなかった大先生に勇気を出して話しかけてみたり、同世代の見知らぬ研究者から話しかけられたり…。そうした経験ができるのも国際学会の醍醐味の一つではないでしょうか(そしてこれは、オンラインによる開催ではなかなか難しいことのように思います)。ともあれ、今となっては、こうして世界中の研究者が一堂に会せる機会が早く戻ることを願うばかりです。

(2020/08/25)

オンライン・シンポジウム報告丸山瑶子)

ベートーヴェン ネットワークと想起の文化

Beethoven-Geflechte/ Beethoven. Networks and Cultures of Memory

19–22. May 2020.

主催 オーストリア科学アカデミー、ヴィーン大学、ヴィーン藝術大学(Österreichische Akademie der Wissenschaften, Universität Wien, Universität für Musik und darstellende Kunst Wien)

今年(2020年)の5月19日から22日にかけて、ベートーヴェン生誕250周年を記念する「Beethoven-Jahr 2020」にちなみ、ヴィーン大学のビルギット・ローデスBirgit Lodesとヴィーン国立音楽大学のメラニー・ウンゼルトMelanie Unseld両教授(音楽学)のイニシアチブで、シンポジウム「ベートーヴェン ネットワークと想起の文化」が開催された。本来ならオーストリア科学アカデミーのテアーター・ザールTheatersaalで開催される予定だったが、COVID19の影響によりオンライン開催になり、そのおかげで日本からも聴講が可能になった。

ベートーヴェンが生きた時代は、ナポレオン戦争前後の社会的・政治的状況の変動により古来の貴族による支援ネットワークが変容し、市民の文化活動への参画が増していく。その中で音楽をはじめとする文化活動における貴族の活動の在り方や意義も、それまでの時代のものから変わっていった。本シンポジウムはこの点に着目したもので、作曲家を取り巻く新しいネットワークの在り方と創作・演奏活動との関連や、ベートーヴェンのカノン化・英雄像の創出を導く「想起の文化Erinnerungskultur」を問題意識に据えたものである。

発表者はオーストリア(主にヴィーン)をはじめ、ドイツ、スイス、ウェールズ、アメリカの研究者19人。ただし一部のディスカッションは大会発表者のみに参加が限られた。発表形態は大半が事前録画によるプレゼンテーションだったが、ウェブ上でテクスト資料を配布し、当日は簡単な要約とフロアとのディスカッションという発表もあった。二日目以降はフロアを含めた参加者全員によるディスカッション・セッションも設けられた。

シンポジウムは、1日ごとに特定のテーマに沿った発表が行われた。各日のテーマと発表概要は以下の通りである。全体のプログラムと各発表要旨はシンポジウムのホームページで閲覧できる(Beethoven-Geflechte, https://www.mdw.ac.at/imi/beethovengeflechte/)。

19日:社会に焦点を当てて——ベートーヴェン時代の政治と社会的関係

Gesellschaft im Blick: Politik und soziale Relationen der Beethoven-Zeit

貴族が支配的だった状態から市民社会への変化を軸に、3つの発表が行われた。Nicholas Mathewは国家・意識と音楽との関係を取り上げ、Martin Scheutzはベートーヴェンが頻繁に滞在した温泉保養地の社会的意味に焦点を当て、Thomas Seedorfは演奏・作曲も行った支配者層の人間としてプロイセンのルイ・フェルディナント(ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番の被献呈者)に注目し、両者の関係に光を当てている。

20日:ヴィーン貴族空間における音楽——聴取、演奏、踊り

Musik in Räumen des Wiener Adelsä Hören, Spielen, Tanzen...

2日目はヴィーンにおける貴族の音楽(支援)活動がテーマであった。David Wyn Jonesはナポレオン戦争後、つまりベートーヴェンの創作後期に生じた音楽パトロネージにおける貴族の役割の変化という社会全体に関わる問題を主に論じた。Constanze KöhnとErica Buurmanはより具体的な例を取り上げ、前者はオラトリオ上演の後援の変遷を辿り、後者はヴィーンにおける舞踏のジャンルと階級との結びつき、及びその関係の変化を論じた。

21日:想起、習得、伝承——時の経過の中での記憶

Erinnern, Aneignen, Weiterzählen...Zeitläufte der Memoria

3日目の前半は作曲家像形成の背景のうち、ベートーヴェンの生前のものがテーマになっていた。そのうちJulia Ackermannは《フィデリオ》上演時の状況に焦点を定め、一方John Wilsonは最近注目が増してきたボン時代の宮廷楽団員としてのベートーヴェンを見直し、ボンにおけるネットワークやその意義を説いた。後半はBarbara Boisits、Glenn Stanley、Annegret Fauserにより作曲家没後の各記念年におけるベートーヴェン受容が取り上げられた。

22日:ベートーヴェンのネットワークづくり——友人たちとの語らい?

Beeethoven flicht: Unterhaltung zwischen Freunden?

最終日はベートーヴェン個人がネットワーク形成に与した事例、とでも言えようか。Henrike Rostはベートーヴェンがボンからヴィーンに出発するときに親しい者たちが書き込んだ有名な記念帳を含む、音楽関連の記念帳Stammbuchの慣習を取り上げた。ローデスは、ベートーヴェンの作品のうち鍵盤楽器のための作品が主に女性に献呈されていることに着目し、ベートーヴェンがブルンスヴィクの記念帳に自身が書き込んだ詩に基づいて作曲した、《ゲーテの詩『君を思う』による歌曲と変奏》WoO 74を例に、作品が作曲家と被献呈者の関係を想起させる媒体として働いていること、また作品が出版されるにあたって私的な友情の証から公のものへとその意味が変化することを示した。

2〜4日目には以上に加えパネル・ディスカッションも行われた。

* * *

シンポジウムの開催時刻は中央ヨーロッパ時間の昼〜夕方(日本時刻では夜9〜10時頃から深夜)だったが、各日、終了予定時刻を大幅に超える活発な議論が行われた。そのような積極的な参加姿勢はオンライン学会であることも手伝ったように思われる。最後に、報告者の主観にはなるが、本シンポジウムがオンラインで行われたことのメリットとデメリットを簡単にまとめたい。

デメリット:

  • 時差による参加条件の厳しさ

  • ネットワーク環境が原因の通信不良

特に後者は重大で、報告者もしばしば通信速度の低下のせいか、ビデオ発表が途切れる、フロアと繋がらない、という問題が少なからず起こった。前者の場合、ビデオの読み込みが遅れるため、発表を全て聴き終わったときには質疑応答が大方終わっている場合もあった。また音声もライブより聞こえにくいのが難点だった。

メリット:

  • 参加が容易(現地開催だったら今回の参加は不可能だった)

  • 参加者が一眼で把握できる(画面上に参加者リストを表示可能。一時離席状態にすることもできる)。なお、報告者の参加時の参加人数は40人程度(発表者を含む)であり、日本人の参加者は5名ほどだった(うち一人は現地在住)。

  • パワーポイントの文字が読みやすい(スクリーンではなく自分のパソコンの画面で見るため)

  • 質疑応答の気軽さ

質疑応答のセッションでは、チャットによる質問も可能だった。そのためチャット欄には次々に質問・意見が寄せられており、中にはかなりの長文もあった。リアルタイムで一人一人が挙手をして順に発言するスタイルだと、時間制限のためここまで多くの意見が寄せられることはないだろう。その意味で発表者にとってはフィードバックの大きいスタイルだと思われる。また場合によっては発表者以外の者が質問に対して情報提供をすることも多かった。文献の書誌情報・Web情報の共有もチャット上で盛んに行われた(おそらく自分の文献リストなどからコピー・ペーストしてきているのだろう)。

また外国人の立場からすると、文章で質問できる方が口頭によるよりも発音の不安などによる緊張が少なく、気楽に発言できるのではないだろうか。

聴講者を含む参加者同士のプライベート・チャットも可能であるため、発表者以外の参加者とのやり取りもほぼ問題なく行われた。

  • 見逃し視聴可能

シンポジウム参加者限定・期間限定で、発表をオンラインで視聴することができた。日本は開催時刻が深夜に食い込んだため、夜中の発表セッションに参加できなくても、発表そのものは翌日に動画ファイルで確認できた。また参加した発表の中に聞き逃した点があっても、録画視聴によりカヴァーすることができた。

以上の通り、オンラインならではの種々のメリット・デメリットがあったが、やはり最大のメリットは遠隔地にいながら参加できるという点ではないだろうか。今年度は他にも多くの学会がオンライン開催されている。普段なら参加しない大会でも、オンラインとなれば移動時間もなく、オフライン開催より参加の制約が少ない。下半期もオンライン開催に切り替わった学会は多数あり、興味のあるものは積極的に参加したいと思わせる充実したシンポジウムだった。

なお、オンライン・シンポジウムは事前申し込み制で、ヴィーン大学が導入しているオンライン学習サポート・ツールのMoodleを通じ、資料の閲覧やリアルタイムのディスカッション・セッションに参加する。これは参加者のセキュリティ保護を配慮した措置でもある。リアルタイムのセッションはBigBlueButtonというカンファレンス・ツールを利用している。

技術面に関する詳細な報告は、シンポジウムのホームページにも掲載されている(独語)。この資料は、各団体が今後オンライン学会を開催する際に役立つと思われ、コロナ禍収束の見通しが立たない現状ではこうした資料による情報共有の姿勢も見習いたい。

(2020/08/18)