◆◆「つゆくさ」172号(平成30年12月発行)より
弥陀の心と天皇
阿弥陀如来と天皇、一見何の関係もないように思いますが、この両者は「利(り)他(た)の心」でつながっていると言えます。自分を犠牲にしてでも他人を助けたいといういう心です。
阿弥陀仏(仏さま)と言えば、木像や絵像のお姿を思い浮かべますが、実際は姿も形もなく、目には見えません。仏さまの本質は「慈悲」です。しかもその慈悲は「平等の慈悲」です。仏さまは、だれに対しても、常に自分のたった一人子を見るように接見されるのです。また、「すべての人が助かるなら、自分は一生地獄の中にあってもそれを苦としない」ともおっしゃるの方です。だから、仏さまは、迷える衆生を一人残らず助けたいと思い、常に働きかけておられるのです。その働きかけ、声なき声を聞いていくのが真宗の教えです。では、なぜ仏さまは一切を救いたいと思われるのでしょうか。実はそれが仏さまの喜びだからです。我々人間にも人が喜んでくれることを喜びとする心があります。この心を突き詰め、100%利他心で満たした理想像が仏さまだと考えればよいのです。仏さまは、自分のいのちを自分のためだけに使うのであれば、最期はむなしい人生で終わりますよ。たとえわずかであっても、「利他の心」をもって生きて下さい。利他の心こそ人間を本当に幸せにする生き方ですよ、と呼びかけておられるように思います。
一方、天皇陛下も「利他の心」をもって日々公務についておられます。天皇は常に国民のことを思い、国民の幸せと国の平安を朝夕祈っておられるのです。歴代天皇はどの天皇も「民のかまど」で有名な仁徳天皇を鑑(かがみ)としてきました。日本書紀には、「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と三年間税の徴収を止め、その間天皇は衣を新調せず、屋根が破れても修理せず、さらに三年間税の徴収を延期しました。ところが今度は、民がそれでは天罰が当たると、税の徴収を申し出て、さらにお住まいの修理までしだした、と書かれています。因(ちな)みに、天皇の生活が驚くほど質素なのはここから来ています。
日本の皇室は世界最古の王朝です。仁徳天皇からでも1600年以上。日本人が知らないだけで、世界の国々からは畏敬の念を以て見られているのです。皇室が長く続いてきた最大の理由は男系男子の血統・世襲にあると思っています。たまたまそこに生まれた方が、しかも、その資格を持つ方が極めて限られてきますから、天皇の座をめぐっての争いが起きにくいのです。また、生まれた方は、小さい頃から将来天皇になるべき人として育てられ、育ちます。したがって、自然に天皇の徳・利他の心が身につくのです。さらに、古代の人々は、天皇には「権威」は与えても「権力」を与えませんでした。その知惠の深さには驚かされますが、これも皇室が長く続いてきた大きな理由だと思います。
天皇と国民の関係は、支え合う関係です。西洋のように支配する側と支配される側という対立の関係ではありません。それはまさに聖徳太子の「和を以て尊しと為す」の世界です。日本は敗戦後アメリカから民主主義を教えられたと言う人がいますが、そうではありません。聖徳太子の時代からすでに日本には「日本の民主主義」があったのです。日本は元来、あらゆる組織(共同体)が寄り添うことによって成り立ってきました。農村も漁村もお寺もそうです。しかも、どの共同体も上に立つ者は常に天皇の利他の心を手本としてきたのではないかと思うのです。だからこそ、それを支える人々も寄り添うことができたのです。それが日本という国ではなかったかと思うのです
最後に昭和天皇のエピソードを紹介します。陛下は昭和20年9月27日はじめてマッカーサー元帥を訪ね、二つの事を述べられました。「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのだから、自分に対してどのような処置を取られてもかまわない。次に戦争の結果、現在の国民は飢餓に瀕している。このままでは罪のない国民に多くの餓死者がでるおそれがあるから、米国にぜひ食料援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部にあてていただければ仕合わせである」と。それまで自分の席で足を組み、パイプをくわえたままであった元帥が、抱きつかんばかりにお手をにぎり、「私ははじめて、神のごとき帝王を見た」と述べ、天皇がお帰りのときには、自ら見送ったのです。この会見の内容は、いっさい極秘にするとの約束があり、陛下はそれを固く守られました。ところが昭和30年9月2日、重光外相が公務でアメリカへ行き、マッカサーと合い、陛下の伝言を伝えたとき、マッカーサー元帥がみずから事の真実を語ったのです。 以上