「担当プログラムと科目」のページで紹介した私が担当する科目「科学論入門」では学生に次の2つの課題を課しています。
①課題A:科学論入門の授業を聞く前の科学のイメージを絵と文章で表現してください。
②課題B:科学論入門の授業を聞いた後の科学のイメージを絵と文章、または文章のみで表現してください。
科学論入門の授業を受講する学生の多くは理系ではありません。初回アンケートをみるかぎり、理系が苦手、あるいは自分には関係ないと感じてきた学生が多くいます。そんな普通の「市民」になる学生がどんな科学のイメージ=科学観を持っているのかを知ることは、社会の人々が科学をどう捉えているのかを理解するうえで重要です。また、授業後を見ることでこの授業から何を学んだのかも可視化することができます。
このページでは過去の学生の絵による課題AとBのなかで、特に深く省察している、あるいはユニークネスが高いと考えたものの、タイトル・絵・説明文を紹介しています。
※課題の画像をウェブサイトや広報活動に利用することを許可すると回答した学生のみ、名前を伏せたうえで掲載しています。
2025年受講生(春学期 受講生147名)
(課題A受講前のイメージ)
私が初めて科学という文字を見たときの第一印象は、理系そのものだった。色々な記号と数字で溢れかえるような授業なんだろうなと思った。
私は小学生の頃から理科はもちろん、理系の授業が嫌いであり、苦手であった。どうして自分がそうなのか理由を思い返してみると様々なことがあった。まずは、計算があり出てくる記号が難しいからだ。
覚える記号が多く、公式の数も多く、頑張って覚えてもただそれを全てに当てはめれば良いのではなく、問題によって柔軟に対応しなければならない所が一番苦手であった。
難しい記号や式の言葉が授業で出ると心臓がドキドキしてくる。そしてそれプラスで最も最悪な状況はその問題を指名制で当ててくる授業だ。これが理系嫌いを助長させた。自分が納得するまで解説を聞いたりゆっくり問題を解いていけば、考えていけばいつかは答えに辿り着くということに楽しさを感じていたかもしれない。
しかし指名されると、答えが間違っていたらという不安、更に答えに辿り着くまでの時間が制限されるため緊張度がマックスになる。
この絵はそんな私の「かがく」や、難しい計算や記号が出てきた時の気持ちと経験二つの意味を合わせて心拍で表現してみた。
(課題B受講後のイメージ)
私は以前、科学とは理系そのものであるというイメージを持っていたが、今まで受けてきた授業を通して、科学とは、理系という言葉で言い表すことはできない、知れば知るほど面白いというイメージに変わった。
医療技術など、身近にあるものも多く、私たちは知らず知らずのうちに日常生活でたくさんの科学に関わっていたことにとても驚いた。「科学コミュニケーション」や「科学イラスト」など、このような科学に関わる方法もあるんだと、とても面白く、興味深く感じることができた。しかし科学は、私たちの生活を豊かにしてくれる半面、負の影響もあり、問題点もたくさんあった。それを、科学者や研究者任せにするのではなく、普段から関わりを持つ私たちも考えていかなければならないことを知り、自分自身で考え、判断しなければならないところを難しく感じたが、これまでの授業を受けてきた私は、科学は社会的にも考えられるし、哲学的にも考えられる、理系的視点だけでなく、多面的な視点で考えられることを学べたので、科学に対して考えることの楽しさ、未来への可能性、とてもワクワクするものを感じた。
この授業を選ばなければ、私は一生理系のイメージを持ち続け、こんなにも面白く興味深いものだと気付けなかった。以前のこの絵は、緊張からくる鼓動の速さを表していたが、今は科学をとても好きになり、考えていくことの楽しさを感じて、胸が高鳴っていることを表している。
(課題A受講前のイメージ)
私は科学に対して、実験や数学といったものから、自然、法則、欲望といった抽象的なものがイメージとして連想された。
私はこれまで授業やそれ以外の日常の中でも科学について考えることはあった。その際、私の頭の中にあった論点は科学の本質における自然との関係性であった。こうした意識は中学生の時に読んだベーコンの本が一番影響として大きかったであろう。自然を支配・利用するための学問の在り方を説くその本は、人間が実験と数学とを用い、目的によって自然を少し変化させることによって自然の中にある法則を見つけ出し、自分たちに役立つ自然を作り出そうとする。こうした科学の根底に人間の満ち満ちた欲望みたいなものを私は感じた。
そうした科学の根底の欲望を満たそうとするイメージを食事という行為に表した。調理器具である鍋は実験をイメージしてビーカー型に、火や調味料は数学をイメージして数式にした。こうした実験と数学によって素材である自然は状態を変化させられる。人間は食欲旺盛な体系にして顔の雰囲気は科学が誕生した西洋っぽい感じにし、自分たちの好みなように自然を料理して満足いくまで食べようとしている様子を表現した。このように私の科学に対してのイメージはマイナスな感情であるが、こうした科学が食事と同じように人間にとってなくては生きていけないものであるということも一方で理解しているのである。
(課題B受講後のイメージ)
授業前の私は、科学を「理系」「化学」「白衣を着て実験する」というイメージが強く、自分とは無関係な、難しい存在のように感じていた。しかし、授業を通して、科学とは仮説や予測を立てて検証するプロセスであり、研究やその成果である知識そのものだという、新たな視点を学ぶことができた。
その結果、科学は理系科目そのものではなく、それらを含むもっと広い概念であると捉えるようになった。6月に行った、広島原爆資料館で見た原爆についても違う視点から見ることができた。戦争で使われる化学兵器も、誰かの試行錯誤の結果であり、天動説から地動説への転換も、コペルニクスやケプラーによる観察や仮説の積み重ねから生まれた結果だと知ったとき、科学はもっと身近で興味深いものに感じられるようになった。
このようなことから、マインドマップ形式で科学が多くの分野とつながっていることを視覚的に表現した。授業前はぐるぐると曖昧になっていたが、それがはっきりしたことも線で表している。中心に置いた「科学」から枝を広げるだけでなく、それらの枝が互いに関係し合うこともあるのではないかと考えた。そのため視野を広げ、複眼的視点を持つ事が新たな結果を生み出したり、知見が広がると考える。
マインドマップには描かれていない分野にも、科学と関連しているものはたくさんあるのだろう。これからは、そういった視点を持ちながら、物事をより深く考えていきたい。
2024年受講生(秋学期 受講生198名)
(課題A受講前のイメージ)
私は小学生の頃の一番好きな教科は理科でした。理科は身近な疑問が解決されていく感覚が、他の教科にはなく、唯一自分から勉強する教科でした。しかし、テストの点数、成績は一向に良くなりませんでした。中学生の時は5教科で一番成績が悪く、高校生の化学のテストでは0点を取りました。ここで理系の道を進もうと思っていた夢を断念したのは今でも忘れられません。
好きで勉強しているのにうまく行かない、そんな思いをこの絵に込めました。くしゃくしゃにしたり、破いたりしたのは、思い通りにならなかったことを指しています。そして手を伸ばしても届かず、手に入らなかった点は、夢が叶わなかったことを表現しました。また、科学と理科はイコールではないと教わりましたが、私はイコールだと思っています。なので今回は、私と科学(理科)の関係性を表す作品にしました。
(課題B受講後のイメージ)
授業を履修する前は科学というものを学問としかみておらず、それに対する好き嫌いで判断していた。
しかし履修してから科学に対する変化があった。特に感じた変化は科学がもつ歴史と科学の印象である。科学は客観性を目指す学問である。しかし様々な所でジェンダーバイアスが押しつけられている。病気治療のために作られた薬は副作用で人を傷つけることもある。人間のためと発展した科学技術は、戦争中にはぶきとなり多くの人の命を奪った。こうして目指していたものと矛盾するように科学は様々な歴史を作っていった。
もちろん科学が理想どおりの目的を果たし、社会に貢献することも多々ある。しかしこの授業を履修していなければ、私は科学の良いところだけを見て、科学という印象から来る安心感と信頼感に包まれていただろう。授業を通して歴史や様々な問題を知ることができ、科学をより客観的にみることが出来るようになってきた。
私はこれをある新聞記事にした。食事に関する事件だ。最近では紅こうじ、秋の毒キノコによる食中毒やアナフィラキシーショックなど。誰かのためにと作られた温かな食事でも、いくつもの条件下で危険な物へと変化する。食事は生きるために必要なもの、そして現在では安全に食べられるものであると無意識に考えてしまう。しかし上記のように時に危険であることも意識しなくてはならない。
ここに学んだ「科学」との共通点を見いだした。
(課題B受講後のイメージ)
科学論入門受講前の私の科学のイメージは、「科学=魔法」だった。だが、その受講前のイメージである「魔法」という理解できないが綺麗で自分の身近にあるものというイメージが受講後は、科学について学んでいく中で科学というものが綺麗ではないし、自分のそばにあるものだけが私の知る科学ではないのだと感じた。
講義の内容で第二次世界大戦での原子爆弾の開発により多くの日本人の命が奪われる事になった。原子爆弾により戦争が終結したが多く奪われた命の方が印象が残ってしまった。また、世の中にある論文やノーベル賞を受賞した研究でさえも間違っている事があると学んで驚いた。受講前は世界にある研究の中で良い結果が得られて世界に認められた科学は全て正しいものだと考えていたので、世界に認められたものでも間違いがあるのだと知って科学というものがよく分からなくなってしまった。
受講後は理解できない科学の良い面だけではなく怖い面も知ってしまった事により、科学を理解しようとすると怖い面を知ってしまうし完全に理解する事はできないことが終わりのない暗闇にいるような感覚になった。この感覚を何で表現しようかと考えた時に「穴」が浮かんだ。だが穴だと私の感じた恐怖や終わりがあるので私のイメージが表現しきれないと考えたのでより怖いもので穴に近しいものは何かと考えた時に「奈落」が浮かんだので絵で奈落を表現してみた。