「何者かになりたい男よ、順調かい?」
「その虚しい呼び方やめて!?」
僕は土いじりで曲がった腰をトントンと叩きながら、遠くから声をかけてくる小さな人影に頭の上で両手を掲げバツ印をつくった。
「そうか。まあ、頑張りたまえよ」
小さな彼女は腕を組みながらそう言うと腰まで伸びた髪を風に揺らし去っていく。背中越しに小さな右手がフリフリと振られて、見えていないだろうが一応、手を振り返した。
少しは手伝ってくれてもいいのに、なんて文句を言いたくなるけれど相応のものを受け取るんだ。僕に文句を垂れる権利ははない。
僕は、せっせと種を植えていた。ずっしりとしたゴルフボールほどもある茶色の種だ。耕した土に種の直径約三倍の溝を掘って植えていく。種と種の間はたっぷり三十センチの間隔を開けて同じことを繰り返す。そろそろ腰がいかれそうだが、実った未来を想像すれば踏ん張れるものだ。
小さな彼女の話では、三日も経てば黄金の林檎のなる木が生えてくるらしい。なんでもその林檎を食べれば“何も持っていない僕でも魔法使いになれる”という。
生まれて此の方、自慢できる家柄も一目置かれる容姿も突出したスキルも何もなく生きてきた。友人が成果をあげるたび不甲斐なさに落ち込んだ。SNSで知らない誰かが成功をしている姿にさえ嫉妬して自身の無能さに激しく頭を抱えた。
何者かになりたい。社会に何かを残せる生き方がしたい。そのための力が欲しい――。
ある日、家に引き篭もってのたうち回っていた僕の前に突如現れたのが魔法を司る名家の生まれをもつ魔法使いだった。それも、150cmほどの小柄な身体に腰まで伸びた栗毛色の髪、満月を溶かしたような煌めく瞳に雪のように白い肌。すれ違えば誰もが振り向くに違いない、可憐で小さな魔法使いだ。
「やあ、男よ。君を魔法使いにしてやる」
「え、なに、きみだれ? どこから入ってきたの? いつからそこに?」
昨晩のことだ。いや、日付を回っていたから今日と言ってもいいのかもしれない。眠れず、カップラーメンを啜っていた深夜3時。いつの間にかサイドデスクの椅子に腰掛けていた人影には心底驚いたものだが、話を聞いてみると名家に代々伝わる秘伝魔法で僕を魔法使いにしてくれるというのだ。なぜ僕なのか、と聞いてみたが誰でも良かったらしい。少し煮えきらないけれど、千載一遇のチャンスには違いない。逃してはならない蜘蛛の糸なんだろうと思った。
土仕事を終えて部屋に戻ると、明かりもつけずに小さな彼女はサイドデスクの椅子に体育座りをしていた。両手で両足を抱えている姿は彼女を余計に小さく見せる。どうしてだろう。可憐な彼女が纏う気配に見覚えがある気がした。
「ねえ、お嬢ちゃん」
「おい男。その呼び方はやめろと言ったろ」
「あーごめん。……ねえ本当にいいの? その、会って数時間の見ず知らずの僕を魔法使いにするなんてさ」
「また、それか。しつこい奴だな。いいんだよ。魔法なんて、わたしの手には余るんだ」
「?」
三日経つと黄金の林檎が実った。表面は艷やかな黄金色で、内側には蜜がたっぷりと詰まっているのか、かじる度に澄んだ芳香と瑞々しい甘さが口いっぱいに広がる。美味い。もぐもぐと頬張る僕の隣で、彼女はせっせと黄金の林檎の皮を剥いてくれていた。
「魔法使いに剥いてもらった黄金の林檎を食べるだけって、魔法使いって案外簡単になれるもんなんだなー。なんかもっとさ、こうぐあっと? 内側を抉られるような痛みとか、そういうのがあるもんかと」
「……あほ。漫画の読みすぎ、だぞ」
「だよねー。あれ顔色悪い? どうした?」
「ああ、気にするな。魔力の移行は、負担が、大きいんだ。そのうちおさまる」
「え」
心がざわりと嫌な音を立てた。
「おい、まさかお嬢ちゃんの魔力が……」
「だから、その呼び方やめろって」
「はぐらかさないでくれ! 僕は、ぼくは君から、まさか……」
魔力を奪っているのか?
林檎から溢れる蜜が手首を伝っていく。小さな彼女は、林檎を剥く手を止めなかった。
「君のなりたい“何者”が、わたしには、重く、苦しかったんだ。それだけだよ」
青ざめた顔が力なく笑う。けれど、その瞳に宿る輝きは和らげで太陽のように温かい。
そうか、あの日薄暗い部屋で見た彼女の気配は――。
「ほら、これが……最後のひとつ、だぞ」
小さな彼女が、少し震えた手で黄金の林檎を渡しながら言う。
「ありがとな。君は今日から魔法使いだ」
僕は黄金の林檎に勢いよくかぶりついた。