music essay
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音楽を聴いていると、なんとも言えない感情に身を包まれることがある。
ひとたび聴けば、心の奥にある繊細なところをギュッと掴まれて、何かが紙の端からじわじわと水が染みて広がるように全身を巡る。この感覚は昔からずっと持っているものなのだけれど、言葉で表現しようと何度考えも、どうしても言葉にできない。
「切ない」とか「センチメンタル」とか「メランコリック」とか、そういう類の感情が近い気はするのだけれど、どうもしっくりこないのだ。
言葉にできない、だけれど、たしかにココにある感情の正体が知りたい。――なので、きっと“シリアス”や“ダーク”に心惹かれる人なら共感してくれるだろう、心をくすぐる3曲を語っていくことにする。
THE ORAL CIGARETTES『UNDER and OVER』
MY FIRST STORY『I'm a mess』
Omoinotake『EVERBLUE』
1.THE ORAL CIGARETTES『UNDER and OVER』
他と一線を画す、オルタナティブ・ロックを幾重にも生み出す我らがオーラルさま。人間のなかにある暗い部分や闇にも光を当て、独特の癖を持った音と詞で巧みな世界観を表現する天才バンド。
そんなオーラルの『UNDER and OVER』はもう、わたしの心を攫っていって、なかなか返してくれない。
『UNDER and OVER』は、小西明日翔先生による漫画原作『来世は他人がいい』のアニメOPでもあった曲だ(漫画、面白いので超絶おすすめ。ダークな極道ラブコメって感じ)。
なんといっても、真っ黒な絵の具に浮かぶ、微かなじぶん色を頼りに前へ進むような重厚なロックがたまらなく良い。
ちょっと気を抜けば黒に呑まれてしまいそうで、オセロのように必死に盤面を裏返す。いま裏返したのは、黒だったか白だったか。たまにわからなくなりながらも振り返らずにひたすら走る。とにかく前へ、とにかくどこかへ、じぶんがじぶんで居られる場所を求めて。
そんな焦燥感と疾走感に溢れたバンドサウンドに完全に本能が虜になっている。
イントロから既に耳が離さないし、煽るように滑るトリッキーなギターのリフがまた癖になる……。
2.MY FIRST STORY『I'm a mess』
ボーカルHiroのウィスパーでハイトーンな歌声に恋した人も少なくない、美しく熱狂的なサウンドをつくるマイファスさま。なかでも『I'm a mess』は、ハッキングでもされたみたいに、鍵をかけて閉まい込んでいた何かをどんどん開けられていくような感覚になる。
じぶんのなかにある恥ずかしい部分も、隠したい部分も、追い詰められた犯人みたいに白日の下に映し出される。手錠をかけられて、もう目を背けられなくなって、だけれど、見ないフリをしていた大事なものがそこにあって、「諦めたくないなんて言葉じゃ頼りない」ほどの感情と再会して、ゆっくりと顔を上げる。鍵を捨てて、秘密にしていた想いと一緒に生きてみるのも良いのかもしれない――そんな気持ちにさせられる。
雨空に晴れ間が差すわけではないけれど、じぶんに降りかかる雨足を少し弱めてくれるようなサウンドが、ものすごく好きだ。
ラスサビ前からラスサビにかけて入るHiroの優しいシャウトが背中を手のひらで強く押すようで、これがまた良いんだ……。
3.Omoinotake『EVERBLUE』
グルーヴ感あるポップ・ミュージックをかき鳴らす奇才なスリーピースバンドOmoinotake!
ジャズやR&B要素のある軽やかなメロディラインを届けつつも、聴き手に思いの丈を募らせる濃厚なサウンドに涙腺をつつかれることも少なくない。
『EVERBLUE』は山口つばさ先生による漫画原作『ブルーピリオド』のアニメOPだった曲でもあり、まさに夢への挑戦・挫折・葛藤を描くシーズン1にふさわしい楽曲でふるえた。
何かを追いかけることは簡単ではなくて、見失ったり、諦めたくなったり、もう何もかも壊したくなるときさえある。擦りむいた膝。絶えない絆創膏。覆いきれない傷がいくつも浮かぶ。もうこのまま、今まで描いていた人生に真っ白な絵の具を塗って、なかったことにしたい、なんて思う日もある。
だけれと、心のどこかにはまだ「生」の灯火があって、「誰かの人生のエキストラみたい」な日々を脱却して、新しい筆を取って、もう一度描いてみようと思わせる。腕を引っ張られて空へ踏み出すような爽やかなサウンドに、どうしようもなく惹かれるのだ。
足音のようなピアノのアルペジオも美しくて、藤井さんの伸びやかな歌声がまた耳心地よい。
ふう。
いろいろ語ってきたけれど、ここで3曲の共通点を考えてみたい。
わかりやすいのは、マイナーキーが基調(EmやBm)なところだと思う。疾走感やロックさ・ポップさも持ち合わせているのだけれど、どこか哀愁さを隠れ持っているところに、たぶん惹かれている。
その弱さが垣間見えるところに、一種の人間の奥底にある本性のような淡いものが見えて、心奪われてしまうのかもしれない。
どんなに拭き取っても落ちない手垢のついた本音を抱いて、壊れていく足場を歩いているような不安定さと、恐怖を引きずりながらも前に進んでいく強さのある音。わたしの耳には、そんな風にメロディが届く。じぶんが選び取ってきた現実に目をそらさずにいようって、勇気さえもらえる気がする。
それから、3曲とも音域の幅が広くて、サビで一気に爆発させるような跳躍感もあって、感情むき出しの歌詞もグッとくる。ある種のダークさを携えながらも、「生」にしがみついて前を向いている点がまた人間らしくて良い。
こうやって見てみると、エモーショナルさがあって「表」と「裏」のコントラストのある曲が心に刺さりやすいのかも、という仮説が見えてくる。
綺麗な部分だけではないところに“人間らしさ”を感じて、ものすごく心惹かれてしまうのかもしれない。
真っ直ぐキラキラな応援ソングも大好きだし、何か頑張りたいことの前にはよく聴いたりするけれど(YOASOBIの『舞台に立って』はいいぞ!)、自分自身の感性と似た人と一緒にいると心地良いように、わたしの人間性に近い音楽だからこそ、フラットでいられるし、惹かれもするし、心の奥もギュッとさせられるし、背中も押されるのかもしれない。
あなたも聴いてみるといい。
音楽は、辞書にない感情を教えてくれる。
きっと、知らない感情に出会えるはずだ。
小さい頃から音楽が大好きだ。
小学生の頃はレンタルしたCDをラジカセに入れて、コピーした歌詞カードを見ながら熱唱していた。中学生になるとウォークマンを手に入れて、通学中の欠かせないお供になった。高校生になるとライブハウスに通うようになって、初めて浴びるバンドの生音と息遣いに心底こころを踊らせた。大学生になると70年代・80年代の洋楽に興味が芽生え、ダンスサークルの先輩に曲データをもらって、iPod CLASSICから幾重もの音楽を知っていった。そして社会人になった今では、サブスクの波に乗って、果てしない音楽の海原を渡り歩いている。
どれだけ時が経っても、音楽の聴き方が変わっても、自分自身が成長しても、音楽はずっとずっと大好きでわたしの心の拠り所だ。
そんな音楽との旅路を歩いていると、次第に頭の中で一際輝いて見えてしまう“わたしにとっての天才”が現れてくる。
どうしてこんな曲がつくれるの、どうしてこんな考え方ができるの、どうしてこんな表現ができるの、どうして、どうして……と、ただ天才が生み出す楽曲を前に「頭の中を見せてくれ」と懇願してしまいたくなるのだ。
――ということで、わたしにとっての天才3人についてお酒を片手に勝手に語ろうと思う。
川谷絵音さんといったら、一般的には『ゲスの極み乙女。』のボーカル&ギターという印象が強いかもしれないけれど、彼は5つのバンドを掛け持ちしソロ活動も行い、バンドのプロデュースや楽曲提供なども行う音楽界をあらゆる船で渡れる天才だ。
なかでもわたしは川谷さんが掛け持ちするバンドの一つ『Indigo la End』(以降、インディゴ)の鮮美な曲が大好きで、同じく川谷さんがプロデュースする『DADARAY』というバンドの華やかでどこか危うさのある旋律を奏でる曲が大好きでたまらないのだ。
なんだろう、川谷さんが生み出す曲は、音楽というよりも「物語」と表現したほうが合っている気がする。絵が浮かぶような歌詞はもちろんだけれど、メロディだけでもドラマが浮かんでくるみたいだ。
それくらい一音一音の粒度が非常に細かくて聴く度に心をときめかせる。甘美な音楽をなぜこうも、さまざまな角度から生み出せるのか……。
川谷さんが生み出す曲のなかでも特にお気に入りなのが、インディゴの『猫にも愛を』。猫は人の言葉を話すことができない。ニャーと鳴いてもそれだけで言葉は少しも伝わらない。だけれど、話せないからこそ、伝わらないからこそ君に愛されているんだと猫は思う、そんな歌。
わたしたち人間は言葉を介して生きているけれど、言葉があっても伝わらないこと、理解されないことってある。そんな時に、「わたしも猫だったらな」って曲を聴きながら感情移入してしまうことが多々あった。
猫だったら、伝わらないけど愛されたかもしれない。猫だったら、理解されなくても許されたかもしれない。
ないものねだりな思考だけれど、とくに人間関係に悩むことが多かった学生時代、『猫にも愛を』は寂しがっていたこころの拠り所になってくれたのだ。
ああ、なんて天才。川谷さんの音楽は化粧水みたいに、わたしの心にじんわりとよく浸透して潤してくれるんだよな。
とにかく、ツボ。
細い糸のように鋭く優しい音楽が思ってもみなかった隙間に入り込んで、わたしの感性をグリグリとくすぐってくる。そんな音楽を紡ぐのが『YOASOBI』のコンポーザーAyaseさんだ。
数ある物語を音楽に昇華するAyaseさんは、そりゃあもう世界も頷く天才の一人だと思うのだけれど、わたしは『YOASOBI』のAyaseさんよりもソロの『Ayase』がつくり、本人による歌唱曲のほうが好きだったりする。
1番をあげるのは難しいくらい『夜撫でるメロウ』も『シネマ』も『飽和』も『SHOCK!』も……全部好きだ。
なんていうんだろう。Ayaseさんの曲を聴くと心の柔らかい部分に触れられて、辞書にも載っていないような感情がいっぱいに注ぎ込まれて、ぎゅうっと胸を掴まれるような不思議な感覚になってしまうのだ。ううう。天才が生み出すものを伝えるのは、本当に難しい……。
兎にも角にも、もっともっと聴きたいと耳が焦がれる楽曲はAyaseさんが1番。
『Official髭男dism』(以降、ヒゲダン)のボーカル&キーボードを担当する藤原聡さん、愛称さとっちゃん。
彼の美しい言葉選びには毎回度肝を抜かれる。澄んだ水が紙の端から端までを湿らせていくように、じわじわと清らかに心を埋め尽くすようで、ほんとう恐れ入る。
ヒゲダンの音楽はこれまで武道館ライブを2度、音楽フェスで5〜6回ほど生音を聴いてきた。
本当にヒゲダンの音楽は清らかな生気に満ちていて、いつも全身が浄化される。パリパリに乾いてしまった身体の隙間に煌びやかなハートがたくさん飛び込んでくるような心地だ。メンバーみんなが楽しそうで、仲良しそうで、その雰囲気もまた頬をほころばせるポイントの一つなのだろうな。
そんなヒゲダンが生み出す音楽のなかで、度々わたしの心を震わせるのが歌詞として紡がれる美しい言葉たちだ。
まず、わたしがヒゲダンのなかでも何よりも大好きな曲で、生で聴くたびに涙腺を刺激してくる『LADY』の一節。
サビラストの《世界で一番素敵な lady,ah》という歌詞。
ストレートな愛の言葉がこんなにも純粋に真っ直ぐに届いてくるのはヒゲダンが断トツだと思う。さとっちゃんの滑らかで力強くて、どこか繊細な歌声によって届けられるその言葉に、きゅうっと心を掴まれた気持ちになる。
世界で一番、だなんて。
綺麗ごとで作られた台詞でもなく、純粋な想いとして耳に届いて身体を巡って、言葉が心に染み込んでくる。レプリカさを一切纏わない甘美なさとっちゃんの歌声とメンバーみんなの音が合わさった瞬間はもう奇跡としか言いようがない。
くわえて、わたしがヒゲダンのなかでも大好きな歌詞が、『Subtitle』の《言葉はまるで雪の結晶》だ。
な、なんて美しく尊い比喩なのだろう……。
言葉ってものは不思議で、伝えたくてもなかなか言葉にできなくて、すぐに形を崩してしまったり、溶けて消えてしまったりする。まるで雪のように繊細だ。だけれど、それらの言葉には「伝えたい」と思った理由がいっぱいに詰まっている。まさに相手への想いや愛がたくさん詰まった結晶そのもの。
言葉とは、愛が詰まった美しい雪の結晶なのだ。
ああ、すごすぎる。ヒゲダンの作詞・作曲を担うさとっちゃんは、確実にわたしにとっての大天才の一人だ。
3人の天才について好きにお話してきたけれど、本当に本当に素晴らしい音楽を生み出してくれてありがとうと床に額をすりつけるほかない……。彼らと同じ時代を過ごせて、しあわせだ。
天才の才気を浴びたい。
大好きな音楽とともに、これからも豊かに生きていこうと思う。
彼の頭の中には一体、いくつの音階があるのだろう。プレイリストをぐるぐると回して、たまたま止まった一曲をかけたとしても、120%類まれなる新しい音楽が耳に流れ込んでくる。
どの曲を聴いても間違いがないからVaundyをおすすめする時は、どの曲をピックアップするか、いつも迷う。(やっぱり怪獣の花唄かな。Tokimekiも聴き心地良いし、恋風邪にのせても鉄板だろうか。それとも逆光がメジャーで入りやすいのかな。むむ、1曲選ぶのが本当に難しい……。)
まさに奇才の代表格として、世の中に見つかってから瞬く間に飛躍し、人々を魅了しつづけるVaundy。
作詞・作曲・編曲・映像・デザイン……すべてを手掛けるマルチアーティストの彼が音を生み出すその瞬間を、遂に、この目と肌で実感してきた。
vaundy one man live ARENA tour "replica ZERO"
横浜アリーナ公演のday2に、行ってきた!!わーい!
Vaundyを初めて知ったのは、Youtubeで話題に上がっていた『東京フラッシュ』。在宅勤務も飽きてきて、ふらっとカフェでパソコンを開いた昼下がり。
カフェラテを喉に流しながら、なにか新しい刺激はないかとYoutubeを漁っていた最中に見かけた『東京フラッシュ』。
「そういえば、なんか人気らしいな、この曲」
初めは、ほんの軽い気持ちで再生ボタンを押したことを今でもよく覚えている。
イヤホンの小さな窓をトントンとノックして、音が歩くようにゆっくり耳の中へ入ってくる。ギターのリフが耳に飛び込んできた途端、窓から降り注ぐのは午後の強い陽射しのはずなのに辺り一面が夕陽で包まれた心地になって、夕方から夜へ、夜から深夜へ、空が満ちていくように、わたしはすぐにVaundyの世界におちていった。
仕事なんて頭からスッと抜けていって手元のパソコンもカフェラテも見えなくなって、Vaundyが繰り出す音楽の世界に一瞬で迷い込んでしまったのだ。
当時は70年代〜80年代頃にかけて流行したシティ・ポップスが再流行していた時期。ロックとフォークが混ざり合うトレンドのスタイルにVaundyならでは“令和”の都会的なアンニュイさが加わった新時代のシティ・ポップス感あるメロディーに言葉通り、強い感銘を受けた。
聴いた瞬間にこれはまた「とんでもない天才が現れた」と思ったし、CD未リリースの新人と聞いて、さすがに「やべぇ」と言葉を失った。
2020年に日経新聞に掲載されていた取材記事では『東京フラッシュ』についてこうも語っている。
「『東京フラッシュ』を作ったときは、シティポップをよく聴いていて。今売れてる曲やプレイリストに多く入っているものを聴き比べて、『共通点って何だろう?』って考えながら制作していきました。
あと、僕は何よりもメロディーが大事だと思っていて。この曲の冒頭から鳴っている特徴的なギターのリフも1回聴けば口ずさめる単純なもの。今の時代はストリーミングで音楽を聴く人も多いので、違うと思ったら、すぐ別の曲に飛ばされてしまう。だから、5秒以上聴きたい人思わせるような、つかみがすごく大切なんです。
それに加えて違和感というか、ひっかかりのある要素も入れるように意識しています。キックやタンバリンが鳴るタイミングをわざとズラしていたりとか。あと、『君の目が覚めたら』という歌詞の『き』の音もわざと少し外しました。常に平均台の上を歩いているような気持ちで聴いてもらいたいんですよね。不安定ゆえについ引きつけられてしまうような感覚のある楽曲が理想です。
ミュージックビデオは、同い年の監督(MIZUNO)CABBAGEと作ったんですけど、僕が思っていることをそのまま形にしてくれました。いろんなことが考えられる作品にしたかったんですよね。あえてストーリーは分からないようにしていて、10人が見たら10人が違う感想を持つようなものをイメージして作りました」
引用:日本経済新聞 NIKKEI STYLE「YouTubeで急上昇、Vaundy 『違和感入れるのを意識』」
この取材記事を読んで、もう抜かれる肝は残っていないのに何かをさらに抜かれた心地。
情熱と計算と才能が掛け合わされると、こんなものが生み出されるのか……と、なぜか嫉妬心が浮かんでしまうほどVaundyの才能が羨ましく思えてしまう。けれども、これほど心を動かすVaundyの音楽に出逢えて、すごくすごく幸せだと思うし、同じ時代に生きられてなんてラッキーなんだろうと胸が弾む。
そんな『東京フラッシュ』から聴き続けてきたVaundyのLIVEにようやく訪れることができた今回は、間違いなくわたしの人生に影響をくれるだろうという大きな期待を抱いて望んだ横アリ公演で、わたしはすっかり彼の掌の上でコロコロとされるがままに転がされてしまった。
彼の音楽の前ではもう楽しむ以外の成す術がない!
そしてたっぷり1時間半、MCもほぼなく、たくさんの楽曲を最高の環境で歌い上げる彼に平伏すほかない。
友だちが集まったパーティーにふらっと立ち寄って歌うような、大らかなパフォーマンスと耳が釘付けになる圧倒的な歌唱、曲に合わせて世界観を一変させていく演出(照明がすんごかった!)、都度こころを痺れさせるバンドメンバーの繊細な音々……。
はあ、感無量。ありがとうございます。
人は満たされると、ため息をついてしまうらしい。
他のことなんて何も考えられないほどVaundyで頭がいっぱいになって、本当に至福の素晴らしい時間だった。ありがとう、ありがとう…………っ!!
とくに心に残っているのは、『そんなbitterな話』!
サビとともに照明が赤寄りの蛍光ピンクに変わって、“消えることも見えることも忘れることもできない”愛がアリーナ中に充満していくようでたまらなかった。横浜アリーナに訪れた約15,000人の、その一人ひとりを指さして「お前のために歌ってんだぞ。忘れんなよ。なあ?」と煽るように歌声が心の奥深くにまで刺さってきた気がする。
いま思い出しても、鳥肌ものだ。
あえて一曲を挙げるのならば上記の通りだけれど、まじでどの曲もエグすぎたので甲乙なんてつけられないし、「つけるんようなもんじゃねぇぞ!」と思う。
だって、何曲歌ってくれたと思う?
横アリday2のセトリを見てほしい。(たぶん、合ってる。Audioは番号が分からんくて入れてない!)
1.ZERO
2.裸の勇者
3.美電球
4.恋風邪にのせて
5.カーニバル
6.踊り子
7.常熱
8.宮
9.そんなbitterな話
10.黒子
11.NEO JAPAN
12.不可幸力
13.呼吸のように
14.Tokimeki
15.花占い
16.トドメの一撃
17.CHAINSAW BLOOD
18.逆光
19.怪獣の花唄
20.replica
にっ、20曲!!
ありがとうございますっ……ありがとうございます……っ!!(額を床に擦り付けながら)
本当に行って良かったと思える素晴らしいライブだった。これだけのものを創り上げてくれたVaundyを初めとした全ての人に、ありがとうを言いたい!
「ありがとう!!!!」
ライブを終えて、なんだろう、自分の心を満たすような何かを始めたいな、なんて感情が湧いてきた。
Vaundyの生き様が、かっこよすぎんのよ。
はあ。
――かっこいい。
ライブが終わって、つい「かっけぇ」なんて言葉が漏れた経験は、生まれて初めてだった。
2023年9月17日(土)。雲間から太陽光が雷のように差し込んできて、「ひっ」と出した右足を日陰に戻した。
秋を忘れてしまったのか、天から突き刺すような日差しは9月になった今でも続いている。
一度雲間の雷を睨みつけてみるも、とくに収まる気配はない。「はぁ」と少しため息をついて淀む気持ちに鞭を打ち、右足を一歩前へ進め、左足も後を追わせる。
インドアを愛しているわたしだけれど、今日は太陽に負けている場合ではないのだ。
なぜなら今日は、歌手・Adoの全国ツアー「マーズ」の千秋楽ライブなのだから!
千秋楽の舞台は、横浜アリーナ。最大で1万7000人を収容する大きなステージで全国ツアーのラストが飾られる。
灼熱の太陽に刺されようがジリジリと肌が焦げようが、“一生に一度しかない今日という日のAdoのライブ”のためなら、(インドアへの)百年の恋も冷めるというわけだ!
今回のセットリストはこんな感じ(たぶん)。
1.踊
2.私は最強
3.FREEDOM
4.阿修羅ちゃん
5.ウタカタララバイ
6.飾りじゃないのよ涙は(cover 中森明菜)
7.Unravel(cover 凛として時雨)
8.ヴィラン(cover てにをは)
9.ブリキノダンス(cover 日向電工)
10.レディメイド
11.行方知らず
12.夜のピエロ
13.花火
14.向日葵
15.リベリオン
16.アタシは問題作
17.Tot musica
18.うっせぇわ
19.DIGNITY
20.いばら
アンコール
21.Ready Steady(gest 吉乃 / 弱酸性)
22.逆行
23.唱
24.新時代
Adoさんの歌声は、一音一音に力がこもっていって、すごくパワーがある。
ストリーミングでさえ、その力強さに魂を揺さぶられることが少なくないのに今日はダイレクトに力の籠もった雨を浴びてしまって、良い意味で「疲れた!」という気持ちだ。
低音と高音の波が心地よくて、時折とびだす美しい裏声にまた悶絶する尊さがあって、なんとも言葉では表現しがたいエネルギーを感じた2時間だった。こんなに力強いパフォーマンスは生まれて初めてで、ビリビリと脳天を刺激されて何度、「かっこいい」と言葉が漏れたか分からない。
素晴らしい舞台を魅せてくれたAdoに感謝!
女性ソロ初となる国立競技場ライブも世界に羽ばたいていく旅路も、ずっとずっと応援してる!
音には、記憶が宿るという。
たしかに。音楽を通して、じぶんが過ごしてきた思い出を感じることがある。普段はすっかり忘れているような思い出も音楽が思い出の小箱を開く鍵となって、アーチ型の蓋がゆっくりと空を仰ぐ。なかを覗けば懐かしい思い出が顔を出して、カタチとなって目の前にあらわれる。
よく「香水の匂いを嗅ぐと元彼を思い出す」というフレーズを聞くことがあるけれど、音も理屈は同じなのかもしれない。
香りに宿った思い出がふわっと頭の中に広がるように、音に宿った思い出もAメロ・Bメロ・サビと進んでいくたびに、カメラのネガフィルムを追いかけるように映像が頭の中に流れてくるのだ。
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『RADWIMPS』の『トレモロ』を聴くと、高校からの帰り道、バス停に向かう横断歩道を渡る瞬間を思い出す。
時間はもう遅く、顔を上げると暗い夜空が広がっていた。都会の地からは輝く星空など見ることはできないはずなのに、『トレモロ』の歌詞を聴いていると、一面に白く輝く星々が見えるような気がした。
一音も聞き逃さないように、と黒いヘッドフォンを片手で押さえて、満天の星のもと横断歩道を真っ直ぐに渡っていく。踏み出す一歩は強く、大きく、遥か遠くまで続いていそうなわたしだけの星空を追いかけてモノクロのラインをひとつずつ越えていった。
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『YUI』の『GLORIA』を聴いていると、リビングの一画で受験勉強をしていた日々を思い出す。
じゅうたんの上に横幅1メートルほどの折りたたみテーブルを開いて、座布団も敷かずに床に座るのがいつものスタイル。テキストとノートを雑多に広げ、手元のデバイスからは『GLORIA』が繰り返し流されていた。
母は「YUIちゃん、もっとポジティブな曲を歌えばいいのに」と、不満気に言った。たしかに受験シーズンの応援歌ならば、「サクラ咲く〜」とか「君なら乗り越えられるよ〜」とか、メロディ・歌詞ともにポップな音楽はとても似合う。気持ちが明るくなるし、頑張るぞ!と、拳を高く掲げられるだろう。
だけれど、わたしはどんなポップな応援歌よりも『GLORIA』が好きだった。それは、じぶんなら大丈夫だ、きっと合格できるはずだ、という明るい言葉で塗り固めた裏にある不安な気持ちにそっとを手を伸ばして、やさしく撫でてくれるような気がしたからだ。
頑張らなければいけない瞬間では、ときに周囲からの圧に「不安がっちゃいけない」と思わされるときがある。なんでもない風を装って、ハリボテの勇気で一人壁に立ち向かわなければならないことがある。
それが当たり前だと思っていた矢先にあらわれた『GLORIA』は凝り固まった心を解して、不安な気持ちの拠り所として、わたしを支えてくれたのだ。
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きのこ帝国の『クロノスタシス』を聴くと、制服から着替える時間さえ惜しいほどに『鋼の錬金術師』という漫画を読みあさっていた日々を思い出す。
ハガレンは漫画もアニメも映画も一通り履修してきたものの、とあるタイミングでふと「もう一度、読み返したい」と思い、漫画が眠るタンスの扉を開くことにした。
頭一つ分高い手前開きの扉を開けて、4段に仕切られたうちの上から2段目に手を伸ばす。『ワンピース』やら『ラブ☆コン』やら『紅心王子』やら、漫画が入り混じったスペースをかき分けると、黒を基調としたマットな質感の漫画があらわれた。全巻を一気に手にとり、リビングに漫画の石畳をつくっていく。
さて、と漫画の1ページを開くと同時に刻み良いギターの音色が聞こえてきた。わたしは元来より、静かな空間が苦手な質なので、何をするにも音楽をかけるのが日課だったのだ。漫画を読むときだって、変わらない。『きのこ帝国』のリズムはあっという間に部屋中を包み込み込んだ。口ずさみたくなる音符に乗って、わたしはゆらゆら音の波に揺れながらハガレンの世界へ旅に出た。
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『ELLEGARDEN』の『スターフィッシュ』を聴くと、高校の卒業式の放課後を思い出す。
1年生の頃、空手部に所属していた男の子に一目惚れした。卵型の顔に黒髪の短髪、二重の大きな瞳、少しニキビのできた白い肌にシャイな性格がギャップを生んで、まあ、とにかく、顔がタイプだった(ドーン)。
カッコよくて仕方のない彼と仲良くなりたい気持ちはあったけれど、度がつくほど人見知りなわたしが積極的に話しかけることなど、できるはずがなかったし、そもそも「付き合いたい」とも思っていなかった。
なんというか、そういうんじゃない。
今でいう「推し」という存在が彼であり、たまにその尊い姿を拝めれば満足という感じ。
そんな彼はモテにモテていて、別のクラスのカワイイ女の子が彼を呼び出している姿を見たこともあるし、誰々が彼のことを好きだとか、そんな噂もよく聞いた。もしかしたら誰かと付き合っていたのかもしれないけれど、恋人の有無には正直、興味はない。ただ、憧れの人のような立ち位置で、たまに見守れるだけで良かった。
それから時が経ち、ついに卒業式を迎えた。彼がどこの大学に行くのかさえ知らないけれど、恐らく同じ場所ではないことは分かる。とうとう「推し」ともお別れの季節であることを憂いながら臨んだ卒業式の放課後にビッグチャンスがあらわれた。
各教室からは少しずつ人が減っていき、賑わいは教室からグラウンドへ、そして校外へと移っていっていた。わたしは写真撮影もせずに友だちとダラダラとクラスに残っていた。お手洗いに向かおうと一人教室を出ると、ふと隣のクラスが視界に入った。
そして、開かれたドアの先に、彼を見つけた。
自席で一人座っている彼。誰かを待っているのか、周囲に友だちはいないようだ。教室内も静かで、わたしの友だちもとくに見当たらない(15クラスあったから知らない同級生も多いのだ)。
「チャンスだ」と、思った。
急いで自分のクラスまで戻り、卒アルを手にとって再び彼のいる教室まで戻る。走ってすぐにでも戻りたい気持ちと、ゆっくり歩いて心の準備をしたい気持ちが交互にあらわれて、落ち着かない。絡まりそうな足をなんとか前に進ませて、もう一度、教室の前にたどり着いた。
変わらず彼は、そこにいる。心をきめて、一歩踏み出した。
「ねえねえ、卒アル書いてよ」
「おーいいよ。俺のも書いて」
「わたしも書いていいの!?」という驚きと喜びが入り混じった声はなんとか喉の奥にとどめて、アルバムを交換し合う。キュッキュッとマジックペンの音だけが響いていた。
「はい、書けた」
「さんきゅ」
「ありがとう。じゃあね!」
「うん。じゃ!」
たった数分。たった数行の会話。幸せの大きさは、時間や言葉数で決まるものではないらしい。
教室を出て、卒アルを胸にギュッと抱きしめる。スキップしたい足取りを押さえる代わりに、今度は小走りで廊下を渡った。その瞬間、まるでドラマの最終回みたいに脳裏で『スターフィッシュ』が流れはじめた。
まるでおとぎ話のような天から降ってきたシチュエーションと言葉を交わしあえた特別な日にチカチカと青春の瞬きが全身を包み込む。青春を駆け抜ける高校生活のエンディングを『スターフィッシュ』が美しく飾ってくれた。
――あげたら、キリがない。音楽を聴くたびに、思い出がどんどん溢れてくる。なんて素敵なことだろう。思い出の音楽ネガは、今もこの瞬間も焼かれて保存されていく。
『Official髭男dism』の『ホワイトノイズ』を聴くたびに、いまこれを綴っている今日のことを思い出すのだろうか。
思い出せたらいいなあ。
人は、心在る物に、心髄を動かされるのだと思う。
2023年2月17日(金)。
肌を撫でる風は冷たいけれど、顔を上げれば澄み切った青空が頭の中を明るく火照らす冬のある日。
高架線下の細い改札口を出て、左手にある大きな橋をゆったりとした歩みで渡る。大きな交差点の、大きな横断歩道で、その色が青に染まるのをじっと待ちながら一つ深呼吸。
マスク越しに漏れた息は仕事をしていた今朝とは幾分も違う。ワクワクとしたリズムを携えた心の息がふっと、遠くに見える東京ドームの方角へと飛んでいった。
そう、今日は『Nissy Entertainment 4th LIVE 〜DOME TOUR〜』!
NissyのLIVEは、これで3回目。
毎度、唯一無二の歌声と圧巻のパフォーマンスと非日常へ連れていく演出に心奪われるのだけれど、今宵はいつもにも増して「愛」を感じるLIVEだったなと、個人的に思う。
生きること。それは、愛を伝え合うことなのかもしれない。
今日のライブでは、そんな壮大なことを考えさせられるくらい、わたしの心に深く深くNissyの音楽が忍び込んでいる。
Nissyの当DOME TOURは、2022年の西武ドームを皮切りに追加公演が決まった札幌ドーム公演で終幕を迎える。この旅路のなかでは、LIVEの在り方が大きく変わっていったことを話してくれた。
はじめは、未だ声を出すことが許されないエンターテイメントの空間。わたしたち観客は、拍手を活かしてNissyの想いに呼応することしかできなかった。
少し経つと一部の声出しが解禁された。少しだけ声を出せる。曖昧な線引きのなかでのLIVE。そして2月の京セラドームで、ついに100%の声出しが解禁。本日行われた東京ドーム公演2日目ももちろんのこと、100%声出しOKでLIVEが行われた。
何に制限されることもなく、他人の目を気にすることもなく、Nissyの想いに好きに答えられる空間。自由な愛の形がいくつも飛び交った空間がついに新しい世界で実現したのだ。
「前に進んでいる事実を伝えたい」
3段階のLIVEの変化を経験したNissyは、あの日変わった新しい世界で一歩ずつ前に進んでいることを世の中のみんなに伝えたいと何度も話していた。
世界が変わっても、止まっても、狂っても、誰かが前に進んでいかなければならない。誰かが挑戦していかなければならない。そのチャレンジャーとして、エンターテイメントを引っ提げて道を行くNissyの背中に声援を送らない人なんてきっといるはずがない。
常に誰かのために、みんなのために、そばにいる人のために、色んな人への思いやりを起点に活動するNissyのエンターテイメントは心の奥底をこちょこちょと、くすぐってくるような暖かいものを感じる。
なんて、愛に生きる人なんだろう。
本当にほんとうに、今日という人生でたった1度の今日にNissyと出会えて良かったなって毎回思わされる。
言葉で表現するのが勿体ないほどに美しい時間を体験させてくれて、ありがとう。
「これからも一緒に生きていきましょう」というNissyからの言葉を胸に、うまくいかない日もある人生だけど、それでも愛を抱いて明日からも生きていこうと思う。
2022年10月26日。
わたしはofficial髭男dism「SHOCKING NUTS TOUR」日本武道館LIVEに来ていた。
開演前。360°観客に囲まれたステージから「SHOCKING NUTS TOUR」のオレンジ色のロゴがこちらを見つめてくる。
たったそれだけ、それだけなのに……。
わくわく。わくわく。わくわくっ!
まだ誰も立っていないステージであるはずなのに、どうしてか高揚感は高まるばかりだ。
次第に夜の帳が下りるように緩やかに会場内の明かりが消えていく。するとステージにはメンバーの情熱が先走って漏れでたような淡い光がぽうっと灯った。刹那、やさしいアルペジオが会場中をくるりと駆け巡る。
Pretenderがはじまった。
同ツアーはofficial髭男dismの結成10周年を記念したツアーであり、セットリストは最新〜デビュー前まで遡ったあらゆる楽曲が連なることになる。そのなかでもトップバッターを飾るのは、結ばれない運命を歌ったPretender。
切ないけれど、背中を撫でるようにやさしいvo.さとっちゃんの歌声が響いて、身体のなかに溜まっていた高揚感の粒たちが一気に弾け飛んだ。
音楽が沁み込む、という表現がよく似合う感覚だ。
感動、喜び、幸せ、歓喜、そのどれとも異なる感覚。ヒゲダンの音楽でないと感じることのできなかった採れたてのトキメキが、心のなかにいっぱいにいっぱいに広がっていく。
来てよかった、本当に良かった……!!
開幕1曲目から、すでに満足ゲージは急上昇。それにも関わらず、LADY、115万キロのフィルム、Cry Baby、ミックスナッツ、Anarchyと、わたしがどうしても生演奏で聞きたかった楽曲たちが次々と姿をあらわすものだから、もう「満足」という言葉では表現することすら叶わないレベルで幸せ値が飛び抜けてしまった。
兎にも角にも音源の遥か上をいく、さとっちゃんの歌声とアレンジの効いた今回だけのメロディに魅了されっぱなしの2時間半だった。
なかでも、こころに残っているのはLADY。わたしがヒゲダンと出会ったのは115万キロのフィルムだったのだけれど、それをきっかけにプレイリストを周回して何度もリピートしていたのがLADYだ。
歌詞で紡がれる言葉の美しさ、柔らかに空気を伝う高音、繊細な心の機微を描いたようなピアノ、その心を後押しするようなリズム隊。
耳心地の良さに何度もリピートしていた曲。ヒゲダンのライブ自体は初めてではないので、これまでも生演奏によるLADYを聴く機会は多々あったのだけれど、それでも、やっぱり、LADYの素晴らしさに心を打たれてしまう。
それからライブならではのチーム編成で演奏される厚みあるメロディが本当にたまらない。とくにAndyさんのサックスソロは永遠に聴いていたいほど繊細で軽やかで美しい……!
さとっちゃんも「Andyのサックスソロを舞台上で聞けるのは特権!」と嬉しそうに話していた。
今回のセットリストは、たしかこんな感じ。
1.Pretender
2.I LOVE…
3.Tell Me Baby
4.Second LINE
5.ビンテージ
6.LADY
7.風船
8.Choral A
9.夕暮れ沿い
10.subtitle
11.parade
12.Anarchy
13.Cry Baby
14.115万キロのフィルム
15.異端なスター
16.宿命
17.ミックスナッツ
★アンコール
18.Universe
19.Clap Clap
20.破顔
こうして並べてみると、20曲も演奏をプレゼントしてくれていただなんて驚き……!
楽曲はもちろんだけれど、ヒゲダンのみんなはいつも、言葉のプレゼントもたくさん贈ってくれるなと思う。
「僕たちにとっては数あるライブの1つだとしても、今日来てくれたあなたにとっては、たった1度の今日だから。僕たちは今日来てくれた『あなた』一人ひとりに届けるためにやっていくよ」
「僕たちは生きているだけで、誰かの希望になっていたりするんだ。楽曲を作っていたときも、こうして未来に聴いてくれたり、ライブに来てくれたりする、あなたたちに導かれて今日まで来ました」
「だからこれから先、音楽を聴くことすら嫌になってしまう時もあるかもしれないけれど、僕たちは変わらず、今、一番情熱を注いで生まれた最高のものを用意して待っています。10年、20年、いつまで続けられるのか分からないけれど、バンドができる限り、待っています」
「今日は素晴らしい時間を一緒に過ごしてくれて、本当にありがとうございました」
美しい愛のこもった音楽と言葉をたくさんいただいて、楽しいだけじゃない、トキメキが宿った生きる糧をもらった時間だったと改めて思う。お礼を伝えるべきは、こちらのほうだ。
どうかこれからも、わたしの人生という日常のそばに、official髭男dismがいつづけてくれますように。
感謝。
yamaさんほど「ありがとう」という想いを表現する力が美しい人は、いないのではないだろうか。
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夏の残り香をただよわせながら、秋のにおいが顔を出しはじめる9月上旬。
エンタテインメントの町と名を馳せるラ チッタ デッラに鎮座する大型ライブホール「CULB CITTA'」で、yamaの全国ツアー
“the meaning of life” TOUR 2022の幕は切って落とされた。
胸の高鳴りを抑えられないまま、わたしは川崎の地に立っていた。上野東京ラインの車輪から降りた瞬間に指先は意味もなくソワソワととぐろを巻き、人の波に呑まれてなかなか前へ進めない道なりにつま先が細かくビートを刻む。
ライブ前お決まりのソワソワ体質に見舞われながら、人生ではじめてyamaさんのライブに足を運んだ。
お出迎えしてくれたのは、おりこうさんにみんなを見守るムニちゃん(唯一無二のムニちゃんなんだって)。yamaさんが「何か少しでも、自分を好きでいてくれるみんなにお返ししたい」という想いで、ムニちゃんをライブ会場に呼んでくれたそうです(発想がかわいすぎる)。
飾られていたお花も、繊細なyamaさんの歌声に似合う鮮やかなデザインでとってもきれいで、ライブ会場に着いた途端にyamaさんが準備してくれた愛とyamaさんを応援しているファンのみなさんの愛に触れてホクホクと豊かな気持ちで待機列へ。
くるりと辺りを見渡すと年齢層はかなり幅広くてびっくりする。学生さんや20代が多い印象は受けたけれど、40代〜50代辺りのダンディな大人のみなさんも多かったように思う。
世代を超えて愛されるyamaさんの魅力に「そうでしょう。素敵でしょう」と、誇らしい気持ちになってしまうのはどうしてなのだろう。ライブに訪れることで、初めて好きを共感しあえる人たちに出会えたから嬉しかったのだろうか。
「yama好きなの? わたしも好き。あなたセンスいいわね」だなんて、対等な一ファンでありながら心の中で得意気に鼻を膨らませてしまうわたしをどうか許してほしい。
そして誇らしさを抱くと同時に音楽があれば年齢も、性別も、立場も、何もかもを超えてつながりあえることを実感する。音楽って、なんて自由なんだろう。すてきだね。
そうして、開場寸前に大粒の雨が降り出すアクシデント(?)をもろともせず、yamaさんの歌声を楽しみにやってきたわたしたちは意気揚々にCLUB CITTA'……否、the meaning of lifeへ、いざ進入。
約1300人収容可能なオールスタンディングのライブハウスはステージとの近さが段違い。一番後ろに位置をつけてもyamaさんとバンドメンバーの姿がばっちり目に焼きつけられる。座席指定のライブも好きだけれど、手を伸ばせば届きそうな距離から音をダイレクトに感じられるライブハウスも大好きだ。
ライブの開幕は、桃源郷。
透明感のあるyamaさんの歌声と力強く優しいバンド演奏が会場中をぐるりと包み込んで一体化させる。
一音響くたびに、全身が音でびしょ濡れになっていくのが心地良い。
「ライブのことを考えながら、アルバムの曲を一つひとつ、大事につくったんだ」と話してくれたyamaさん。8月末にリリースした『Versus the night』の曲もたくさん引っ提げたライブだった。
もちろんアルバム外の曲も忘れない。「生で聴きたい……!」と思っていた「春を告げる」や「麻痺」も聴けて大・大・大満足。
アルバム曲では、なかでも「光の夜」が素敵だった。美しい照明演出も相まって、心の隅っこにまで届くやさしい歌声に惚れ惚れとしてしまった。つい手拍子なんかも忘れて、口元に手を当てて、一音たりとも逃さないように耳を澄ましたほど。
それから「マスカレイド」もカッコよかった! 跳ねるように飛び回るピアノアレンジに心奪われて、どんな風に指先が踊ったら、そんな音が紡げるのかと目を凝らしてしまった。
そしてやっぱり、この曲。yamaさん作詞・作曲による「それでも僕は」。
「ずっと、なんて自分は醜いんだろうって思ってきた。ライブが苦手で、だけど、それってみんなからの愛を台無しにしているような気がして。だけど、こうしてライブをしてみんなに会える、こんなに素敵なことってないですよね」
「自分の言葉で伝えることが怖くて、ずっと逃げてきた。だけどもう逃げるのはやめよう。曲を書こうと思った。でも難しくて、自分は何が言いたいんだろうって分からなくなって……。だけど『それでも僕は』は、みんなに向けて書こうって決めたら、スラスラと歌詞とメロディが降りてきて、一気につくれたんだ」
「等身大の自分を見せることで、きっと、誰かを勇気づけられるかもしれないから。これからも、歌いつづける」
音楽を紡ぐように、一言ひとことに想いの体重をかけて伝えてくれたyamaさん。なんて熱くて、やさしくて、美しい言葉なんだろうと視界がぼやけた。
「みんなに届けようと歌う自分の音楽は、あたたかいって思えるんだ」
そう話していたyamaさんの言葉が、歌詞ともリンクして余計に心が締めつけられた。
そして、アンコールの最後は「世界は美しいはずなんだ」。最後のさいごまで、yamaさんのメッセージがつまった最高にあったかいライブだった。さらにyamaさんからみんなへオリジナルステッカーのプレゼントも。みんなに喜んでもらいたくて、いろいろ考えて準備したという話がまた、yamaさんの人柄のあたたかさを感じさせる。
濃い、濃い、約90分だった。yamaさん、ありがとう。
yamaさんが歌いつづけるように、わたしもyamaさんの歌を聴きつづけます。
やわらかな風が吹く5月中旬。
小田急線沿い。家族の気配が漂う住宅街を追いかけると吹き抜けのホームにたどり着いた。
ひらけた改札口を出て、人の波に乗って歩みを進めること約8分。見上げた空にうつる景色がビルから木々へ変わる頃、相模女子大学グリーンホールが見えてきた。
それは『Fujii Kaze alone at home Tour 2022』が行われる本日の大舞台だ。
まさかチケットが当選するだなんて思っていなくて、当日は仕事中もソワソワが止まらなかった。
そう、わたしははじめて生・藤井風を拝むことができたのです。さらに運が良く、最前列で。折角なので、レポという名の散文を書き落としておこうと思います。
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はじめての生・藤井風に浮き足立つ心をそっと抑えながら会場をのぞいてみると、既に人がたくさん!
年齢層はさまざまで、おそろいのバケットハットを被った老夫婦やお母さんに連れられた小さな女の子、学校終わりの学生さんなど、たくさんの人が風さんのライブに訪れていた。
わたしは相変わらず1人参戦だったのだけれど、同じように1人で来場している方も多かったと思う。たくさんの人が集まっている様子を見ると、風さんが老若男女から愛されていることが感じられて嬉しい気持ちになる。楽しみすぎて、すでに感極まる思いだ。
さて、会場についてグッズよりも、入場もよりも、何よりも先に行動したのがリクエストカードだ。風さんに歌ってもらいたい渾身の1曲をリクエストできるというリクエストカード。よく配信で行っているように、舞台上で即興でリクエスト曲を演奏&歌唱(つまりカバー)をしてくれるというスペシャルな企画だ。
リクエストカードを受け取り、早速記入台へ。
しかし、風さんのオリジナル曲をリクエストするのかと勘違いしていたわたしは、藤井風の『旅路』をリクエストするという新手な所業をしてしまった。笑うほかない。『旅路』への熱い想いを記入してしまって恥ずかしいので、せめて風さんが読んでくれていたらいいなあと思う。
会場は1700人以上を収容できる大ホール。弧を描くように並んだ椅子は、びっしりと人で埋めつくされていた。
ステージの左右脇には「ガーデン」らしきお花が植えられていて、その後ろに大きな垂れ幕が下がっていた。垂れ幕とステージの隙間から、たまに人の影が揺れるものだから開演前からドキドキしっぱなしだ。
風さんが、すぐ、そこにいる。いつも耳を澄まして会いに行っていた人が、すぐ近くで息をしているという事実がとてつもなく特別なことに思える。ライブ前はいつも緊張で肩を強張らせてしまうな。
ブーーーーと、開演のブザーが鳴る。
大きな垂れ幕が、ゆっくりゆっくり上がっていく。
すると、ステージに見えてきたのは風さんの「my home」だった。中央にピアノが鎮座し、ピアノを囲むようにソファー、ダイニングテーブル、冷蔵庫、洋服ラックなどが並んでいて、ポストや扉、2階へつづく階段もある。ツアー名である「Fujii Kaze alone at home」が思い浮かんだ。
パステルピンクとパステルパープルのマーブル柄のスウェットパーカーを着こなした風さんは、ソファーにだらっと座り、小さなギターをポロンと鳴らす。まるで、おうちで歌いたい歌を好きに歌うように「藤井風」のライブははじまった。
はじめは『sunny』など、ギターとピアノの弾き語りでさまざまな洋楽カバーが歌われた。すでに夢見心地。多幸感。すべての曲名が分からなかったのが悔しい。
今回のセトリを覚えている範囲で書いておこう。大好きな『ガーデン』からはじまり、リクエスト曲に書いてしまったくらい聴き入っている『旅路』でフィナーレを迎える神セトリでした。
1.ガーデン
2.きらり
3.優しさ
〜リクエストコーナー〜
1.若者のすべて(フジファブリック)
2.エイリアンズ伴奏(キリンジ)
3.Higher Love(MiSHA)
4.GIFT(Mr.Children)
5.宝島伴奏(T-SQUARE)
6.木綿のハンカチーフ(太田裕美)
7.丸の内サディスティック(椎名林檎)
8.ニホンノミカタ(矢島美容室)
9.花(ORANGE RANGE)
10.Heal the world(Michael Jackson)
11.上を向いて歩こう(坂本九)
12.Plastic Love(竹内まりや)
13.真夏の果実(サザンオールスターズ)
14.死ぬのがええわ(藤井風)
15.たしかなこと(小田和正)
16.ドン・キホーテのテーマ(田中マイミ)
17.オーケストラ(BiSH)
18.アダルトちびまる子ちゃん
19.Rehab(Amy WineHouse)
〜リクエストコーナーおわり〜
4.何なんw
5.ロンリーラプソディ
6.それでは、
7.燃えよ
8.damm
9.まつり
10.青春病
11.旅路
リクエストコーナーでは、風さんのおうちに宅配便でキーボードが届いて、「寝そべり紅白」を思い出させるスタイルで演奏が開始。わたし個人的にフジファブリック『若者のすべて』のカバーは心が震えた……。
目の前に最高級の食材が出された気分で、こんなに贅沢な時間を過ごしていいのかとマスクに手元を押しつけて心の悲鳴を抑えたものです。どのカバーも素晴らしかった……!
そして、ピアノの弾き語りによる風さんオリジナル曲。言わずもがな、まるで体の一部のように鍵盤を踊る指先と、空気をふるわす甘美な歌声。一音一音に愛が込められているパフォーマンスに、わたしの心はすべて持っていかれてしまった――。
ほんと、つねに、夢見心地。未だに夢だったんじゃないかと疑うほど、非日常な空間。こんなに居心地の良い「home」に招いてもらえて幸せ者です。
なかでも印象に残ったのは、『ロンリーラプソディ』。
「曲のなかに息を吸う場所があるから、みんなでいっしょに息を吸いたいと思います」という風さん。
ブレスに近づくと「息を吐いて」とアナウンス。
「息を吸って」
「身体のなかにある空気をすべて吐いてえ」
「吸って」
風さんの声に合わせて、会場のみんなが一斉に息をする。声を出せないご時世のライブで、こんな風に会場が一体化する経験ははじめてだ。なんて美しいのだろうか。
それから『燃えよ』のピアノ伴奏が圧巻だった!
指先が滑らかに鍵盤の上を走り回って、風さんと一緒に遊んでいるようだった。もう、かっこいいの、なんのって。
ピアノの知識が乏しいことが、悔しくなるくらい素晴らしい演奏で「すごい、すごい!すっ、すご……!」を心のなかで何度も繰り返した(圧倒的な才能の前では語彙力も失われてしまうのだな)。
『damm』と『まつり』は、おうちカラオケ風な演出で面白かった。ジャケットをひるがえしながら(2度の生着替えがあった)、踊りうたう姿が美しいのなんの。ミラーボールみたいな光の当て方など、照明の演出も華やかだった。
なんだかもう、いろんな幸せがいっぱいにステージから飛び散って、やさしい雨になって浴びせられた気持ち。雨でひたひたになった衣服からは羽が生えて、観客はふわふわと風の吹くままに歌の揺りかごのなかで揺らされるのだ。
永遠に聴きつづけたいと思う音楽に出会えて、わたしは幸せです。藤井風さん、愛しい時間をありがとう。
またライブに行ける機会があったら、いいな。
藤井風さんの感性にベタ惚れですわ。
ライブ会場へ向かう足取りはスーパーに買い物に行く時みたいに落ち着いていて、人気スイーツ店の行列に並んでいる時みたいに、まだ進まないのかと足踏みする。
それはあくまで重鎮の構えで態度のでかい常連客のように胡座を掻いて、ペシペシとカウンターのテーブルを人差し指で弾く。一見相反する態度を繰り返す足に運ばれながら、少しずつ身体は目的地へ近づいていく。
ライブに向かう道すがらはいつだって、そうだ。
「これからライブだ」という事実に心が気付かないまま、足だけは目的地へ向かって動きつづけるから、言葉どおり「心がついてこない」「実感がない」という状況に追い込まれて、名前のつけられないもどかしい感覚に包まれてしまう。
シンガーソングライターあいみょんのFUN CLUB TOUR『PINKEY PROMISE YOU』に向かう今日とて、変わりはない。
当ライブグッズのスウェットパーカーをコートの下に仕込み、オフィシャルグッズのエナメルバッグを肩から下げ、バッグのなかには、あいみょんグッズである、あくまちゃんのぬいぐるみをしっかりと連れ込み、SONY製のBluetoothイヤホンは前夜からあいみょんが流れっぱなし。
ファン丸出しな装いでありながら、未だ「これからあいみょんに会える」という現実に気づけない体たらくである。
ファッションからバリバリに「あいみょんファンです」と謳いながら何時間も電車に揺られて、千円をゆうに超える交通費を惜しげもなく支払って向かっている癖に実感のなさと忙しない足の動きに笑けてくる。
ライブ前に訪れる手探りに進まざるを得ないこの感覚は、一体何なのだろう。旅館の大浴場で目を凝らして空いているシャワーを探す湯気のなかのような、パソコンワークに明け暮れた午後の皺を寄せた目元から移るぼやけた視界のような、すぐそこにあるはずの何かが見えなくて掴めない感じ。
もっとワクワク、ドキドキ、わかりやすく胸を高鳴らせてくれたらいいのに。それこそ友人や恋人と一緒に向かっていたのならば、「セトリ当てクイズしよ」とか「愛を知るまではを聴きたいな〜」なんて話で盛り上がっていたのかもしれない。
AIM(ファンクラブ会員)の友人がいないわたしは、大抵一人で黙々と会場へ向かうのが常なので、単純に共感し合う相手が近くにいないから、なのかもしれない。耳元から聞こえるあいみょんの歌声とだけ会話をしながら会場へ向かうから、なのかもしれない。
とはいえ何とも言えないこの感覚には、いっそのこと電車と一緒に路線を走って無理やりにでも心拍数を上げて、胸の高鳴りを感じた方が良さそうに思えてくる。まさか、そんなことをするわけでも、できるわけでもないのだけれど。
そんな謎の葛藤をするうちにも足は着実に前へ進んでいくわけで、無事に到着。本日の会場である東京ガーデンシアター!
初めて訪れる地にお上りさんのように右や左へ首を動かしながら、交通整理の方々に先導されてマップも開かずに進みつづける(方向音痴なので助かるー)。
ちらほらとお揃いのエナメルバッグを携えた人とすれ違うようになってきて、恥ずかしいような、誇らしいような、気持ちになる。
今日此処に集まる全ての人が、あいみょんのファンクラブに入会していて、あいみょんの曲が、あいみょん自身が、大好きな人たちしかいないと思うと不思議な気持ちだ。
クラス替え初日の朝みたいに一人ひとりのことは知らないけれど、大きな共通点の元つながっている。だから他人だけれど怖くない。むしろ「相性はあるにしろ、みんな良い人に決まっている」という謎の信頼感さえ抱いてしまう。そんな空間を作り上げられる、あいみょんというの人の偉大さと愛され力にも驚かされるな。
あいみょんはライブで「ファンクラブを作ったのは、私じゃないと思ってる。ここにいるみんなだよ。ほんまに感謝」と笑ってくれていたけれど、そんなところがまた、あいみょんという人の尊く美しい部分だなあと思う。
東京ガーデンシアターは2020年に開業したばかりの劇場型イベントホールで、アリーナから3階席まで約8000人収容可能な大きなホールだ(今回は約6000人が集った!)。
バンドメンバーであるギタリストの八橋さんが「SFの世界観みたいだ」と表現したとおり、4層からなる劇場は近未来的でひたすらにカッコいい。デザイン性の高さは機能面にもとどいていて、どの席からもステージが見やすい構造になっていることが席に座った時点でわかった。素晴らしい。
ライブハウスで揉みくちゃにされていた頃も楽しかったけれど、指定席からのんびりと堪能できるスタイルは落ち着いて楽しめて心地良いものだ。
ライブの開幕は、「ジェニファー」。
「約束を果たそうよ ジェニファー」とあいみょんが歌うたびに、あいみょんが「約束通り会いにきたよ!」と言ってくれているみたいで、わたしはそこでようやく「あいみょんと同じ空間にいて、同じ空気を吸って、電波や画面などの隔てるものを越えて、生で音を聴いているのか!」と全身で実感を得てライブの世界に心底浸っていく。
音源ママのあいみょんの安定した歌声と生だからこそ感じ取れる、言葉の端々に乗ったやさしい感情が心に溶け込んで、あまい胸の苦しさを感じながら手拍子を贈る。
隣に座っていた女性も一人で来ていたようなのだけれど、手のひらを合わせたポーズで口元に手を当てたり、体を揺らしたりしていて、「そうだよね。幸せだよね。あいみょんって最高だよね!!」と心のなかで肩を組み、今ここにいる全員があいみょんとバンドメンバーの音に酔いしれている状況に心底感動した。
あっという間に過ぎていく2時間。どうして楽しい時間ほど風が吹くように過ぎ去ってしまうのだろう。悲しい時間はオアシスの見つからない砂漠みたいに果てしないのに、楽しい時間は誕生日ケーキのロウソクに灯る火を吹き消すみたいに一瞬だ。けれど火を吹き消した後にも幸せな余韻がつづくからライブは止められない。何度だって、会いに行きたいと思う。
今日もホクホクの思い出をお土産にもらって、帰路を辿るのだ。
セットリストはこんな感じだった。たぶん。
ジェニファー
空の青さを知る人よ
好きって言ってよ
君はロックを聴かない
ら、のはなし
ミニスカートとハイライト
Continue (木村カエラちゃんのセルフカバー)
ハート
いつまでも
ハルノヒ
森のくまさん
RING DING
マリーゴールド
GOOD NIGHT BABY
葵
どれもが大切で大好きなんだけれど、とくに心に残っているのは「いつまでも」と「ハルノヒ」かなあ。良かったなあ……。もう一度聴きたい……。ライブならではのアレンジが加わっていて特別な音を聴いてしまった。
流れ星を見つけた時、野良猫とばったり鉢合わせた時、デジタル時計が誕生日の時間を表示していた時、ハート形のピノが入っていた時みたいに、その音たちは突然やってきて「わ! わわ……!」と歓喜している間に曲はゴールを迎え、そのままどうしようもなく儚い夢の果てに連れていかれる。夢心地とは、このこと。
心を貫く音楽が、まさかすべてあいみょんを筆頭とする人の手によって生まれているのかと思うと同じ時代に生まれたことに感謝しかない。あいみょんたちから生まれるキラキラとした宝物ような、手紙のような、ご馳走のような音楽に出合えたことを心から幸せに思います。
ありがとう! あいみょん!
人は変わる。昔は食べられなかったナスが大人になってから食べられるようになったり。昔は関心がなかった海外ドラマに、興味を持つようになったり。
オールナイトでカラオケを楽しめたのに今では起きていられなくなったり。トゲを撒き散らしながら生きていたのに「丸くなったね」なんて言われたり。
生きていると意図していないタイミングで身体や心に変化が起きる。
良い変化なのか、悪い変化なのか。すぐに良し悪しを判断して自分の価値を見定めたくなってしまうけれど、二択なんかじゃ図れない。なぜなら大体の変化は外的要因によって起こっているからだ。時代が変われば環境が変化する。環境に適応するためには、自分自身が変化しなければならない。
きっと「変化」という道具は、生きるために必要な必須装備の一つなのだ。
とはいっても、変化という道具は使いこなすのが難しい。知らないところで勝手に起動するからコントロールができない。おそらく本能的な部分が「何か」を察知することで、自動で起動するようになっているんじゃないかと思う。つまり今のわたしが最善な生き方をできるように、本能が勝手に「変化」スイッチを押してくるのだ。
そう考えると「変化」というものは、今のわたしを「守るため」に起きている事象なのかもしれない。
もちろん意図せず起動する「変化」に、わたしはいつも驚いて狼狽えてしまうのだけれど。「どうして起動したの?」「これからなにが起こるの?」と、分からないものほど恐ろしいことはない。
わたしは気がついたら「変化」という逃れようのない台風に呑まれ、地から足が離れて、荒々しく別の場所へ飛ばされる。
変化の最中は、くるしい。
砂埃で前がよく見えない。風が強くて周りの音もよく聞こえない。自分の声だって掻き消されてしまう。顔を覆う腕や剥き出しの足に小石が当たって、いくつも擦り傷ができる。
「何をするの。ひどい、ひどいよ」
「痛い。悲しいよ」
「なんで、わたしだけ、こんな目に」
「さっきの場所に戻りたい。怖いよ。誰か、助けてよ」
己の身体をギュッと抱きしめて、目を閉じる。
――嵐が去ると、瞼に明るい日が差してきて、怯えるように薄目を開いた。そのまま顔を見上げてみると、見たことのない澄み切った空が見えた。強張っていた身体を柔らかな空気が解して、太陽の光が心を芯からポカポカと温める。
「あれ、息がしやすい。心地よい」
「こんな場所があったなんて、知らなかった」
「今までいた地よりも、ずっとずっと、生きやすい」
嵐に巻き込まれることで、失ったものもあるかもしれない。けれど、それ以上に得られたものが大きくて、わたしはホッと胸を撫で下ろした。
「なんだ変化も悪くないじゃん。けど、もう少し穏やかに変化してくれても良いのに」なんて悪態をつきながら立ち上がる。新しい幸せがやってくる気配を肌で感じながら、わたしは見知らぬ温かい地へ足を踏み出した。
人は変わる。もちろん、会社も変わる。思いもよらない出来事に手立てがなくなって、人が変わるのと同じように安定して息ができる場所を求めて変化する。
生きるためだ。どれだけ其処に伝統や想いがあったとしても、変わらなければならない時がある。ずっと育ててきた風景を手放さなければならない時がある――。
毎年8月に開催される日本最大級の野外音楽フェスティバル『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』(以下、ロッキン)の開催地が茨城県国営ひたち海浜公園から千葉市にある蘇我スポーツ公園に変更になるという。
初回開催の2000年から運営者、アーティスト、そして何十万人に及ぶファンによって育てられ支えられ続けてきたロッキン。昨今の情勢による影響を受け、密を避けた万全の感染対策を行うには蘇我スポーツ公園が最適であると判断を下したのだ。
※詳細はロッキンHPに掲載されている総合プロデューサー渋谷陽一さんの悔しさと熱意の篭ったメッセージを読んでほしい。▶︎ ROCK IN JAPAN 公式Web
わたしが初めてロッキンに訪れたのは2013年のことだ。大学生になった初めての夏。ライブハウスを飛び越えて、遂に憧れだった野外フェスの舞台を経験した。
早起きしてロッキン行きのバスに乗り込み、数時間かけて開催地へ向かう。着いた時の不安と高揚に胸がざわめいた感覚は今でも忘れられない。太陽に負けないキラキラした音の飛沫がはじけ、何万人もの人たちの心が繋がったように音で感じ合い、笑い合い、喜びを分かち合う。
これが、野外フェス。これが、夏フェス。これが、ロッキン!
わたしの初めてを総ナメにしたロッキンは「忘れろ」と言われたって忘れられないくらい強く深く愛の宿った想い出なのだ。
だからこそ、やっぱり。開催地が変わってしまうことに一抹の寂しさはある。ひたちなかで行われるロッキンで、わたしは野外フェスの魅力に落とされロッキンは毎年駆けつける人生の一部となったからだ。
夏が来る度にひたちなか市へ向かい、音楽の海に飛び込んで、ビショビショになるまで泳いで堪能してホクホクとした心を携えて花火をバックに帰路を辿る。たくさんの想い出が詰まった場所だ。もちろんわたしだけではない。あらゆる人の声にならない想いが零れ落ちて染み込んだ大切な場所なんだ。
だけれど、人は変わる。世界も変わる。
音楽も変わる。フェスも変わる。
ロッキンにも変化の時が訪れたのだ。寂しいけれど、ロッキンがこれからも息をしつづけてくれることの方が何百倍も嬉しい。だって、もう二度とロッキンに会えなくなってしまう方が悲しいから。
それにね変化したって、忘れるわけじゃない。わたしだって二十数年生きていて、たくさんの変化をしてきた。これまでの成功、失敗、歓喜、挫折をちゃんと覚えている。忘れない限り、人も、場所も、思い出も、音楽も、感動も、ずっとずっと生きている。だからわたしはロッキンの思い出を未来に連れて行きたい。
音楽に命を燃やしたアーティストの溢れる熱を、空気中に伝わる音を全身で浴びた高揚を、ひたちなかで確かに行われていた音楽の祭典の景色を、ずっとずっと忘れずに抱いていたい。
今年から蘇我スポーツ公園を舞台に新たなロッキンが始まる。きっと新しい場所でもロッキンらしい熱い足跡が刻まれることだろう。楽しみだ。
新しい夢を見ながら、わたしは心のアルバムにひたちなかのロッキンの想い出を飾っておきたいと思う。