「ほら」
差し出された僕よりも小さな手。やわらかくて温かくて、力強い手。掴めばいつだって魔法にかかったみたいに心が軽くなった。
幼少期の僕と言えば典型的な運動音痴。なんの障害物もない、ただのかけっこでさえ転んでしまうダメっぷりでよく落ち込んだ。何かに挑戦したって失敗ばかり。こんな僕が生み出せる価値なんてない。生きている意味さえも、ないのかもしれない。そうやって何度、諦めようとしたか分からない。けれど、君が手を差し出してくれて、その手を掴むたびに泥沼から這い上がることができた。
幼馴染の君は、僕にとって光そのものだったんだ。
――ドボン。何かが海に落ちたa音だ。静まったコンテナ港の一角で震える足を叩く。誰かが争ったのだろうか。散らばった鉄骨に嫌な予感を抱きながら海まで走る。
堤防に着くとアクアマリンの指輪が転がっていた。遠くには同僚が運転しているのだろう、警察のサイレン。逃走経路を推理して一人先に到着した僕は震える足をもう一度、拳で強く叩いた。
僕はたぶん、犯人を知っている。監視カメラに一瞬だけ映った魔法の手を、見間違えるはずがない。
落とされた指輪。揺れる波間。
身を乗り出し海を見下ろす。
「まさか」
ジャケットに手をかける。飛び込もうと堤防を跨いだ瞬間だった。
「なにしてるの? 夜の海でまさか泳ぐつもりじゃないよね」
黒パーカーを羽織った人影が近づいてくる。フードから覗く白い頬に湿った髪がペタリと張り付いていた。
「指輪、拾っていいかな」
「やっぱり……君なんだね」
そう言うと君は、少し瞠目して一歩後ずさった。僕は、魔法の手を掴んで引き寄せる。
なぜ、彼女が? お金に困っている? 誰かに脅されている? それとも他の理由が? 指輪を盗んで一体どうする?――聞きたいことは山ほどある。
だけど、今はそんなことどうだっていい。それよりも大切なことがあると思う。
もし、いま彼女が泥沼にいるのなら一体誰が引っ張り上げるのだろう、と。