ご感想送り先:@bluesky052020
大切な人~フェリクスの回答~
ガルグ=マク大修道院 士官学校 青獅子の学級。
ある日の放課後、人気のない教室で担任教師であるベレトとその生徒フェリクスは2人並んで話していた。
教壇に置かれた白い用紙をベレトから手渡され、それに目線を落としたフェリクスが問う。
「……大切な人について?何だこれは。課題か?」
「ああ。みんなには君が休んでいた昨日書いてもらったんだが、作文で回答してほしい。教養科目の評価になる」
ベレトは翡翠の髪をふわりと浮かせて頷いた。
フェリクスは天井にしばし視線を彷徨わせ、あっさりと返事をする。
「いないな」
「いない?」
「特に誰かを大切だなどと思ったことはない」
短く淡白な返答に、ベレトは軽く目を見開く。
「全くいないか?例えば、両親は?」
「父親とはしばらく不仲だ。士官学校に来る時も髪の香油だの寝巻きだの、修道院周辺のうまい店の書き留めの綴りだのと、いくつもいらん物を持たされて……あいつはお節介が過ぎる」
「へぇ……」
「母親も普段使っている丸薬だの香だのと……荷物が増えるというのに。とかく親というものは世話を焼きたがる。俺が頼んだわけでもあるまいに」
滔々とフェリクスがあげつらう両親の困ったところを、ベレトは首をかしげて聞く。
フェリクスの眉間には皺が寄っているが、表情に嫌悪の色は見えない。
「なるほど……。では、学級の皆はどうだ?そうだな、ディミトリは?」
話に乗ってきた担任教師を横目でチラと見て、ひとつため息をつくと、フェリクスは腕を組んで少し考える。
「フン、猪は俺が近付くなと言っているのであまり側へは寄ってこないな。だが、いつもこちらを見ていて視線が鬱陶しい。訓練場の奥と手前で分かれて試合をしていてもあいつの視線を感じる。しかし先生、あいつの本性は獣だ。見目に騙されるなよ」
苦々しい様子を見せるフェリクスに、ベレトは思わず口角が上がる。
「ああ、気にかけておこう。フェリクスは、いつもディミトリが君を見ていることを認識しているんだな」
添えられた一言にフェリクスは片方の眉を吊り上げるが、何も言い返さずに黙り込んだ。
「ドゥドゥーについてはどう思う?」
「あいつは猪しか見えておらんな。本人にも言ってやったがまるで犬だ」
「言ったのか、本人に?」
「言ったとも。あいつだって他にやることもあるだろうに。厨房や温室であれこれと動いているのを見かけるぞ。あの猪にばかりへばりついていることはないと先生からも言ってやれ」
「驚いた。よく見てるんだな」
目を丸くするベレトの視線から外れ、フェリクスは決まり悪そうに背中を向ける。
「では、シルヴァンはどうなんだ?」
「シルヴァンは昔から不真面目で女ばかり追いかけているろくでなしだ。なのに俺たち幼馴染みには甘くてな。今でも幼年時代よろしく世話を焼かれる身にもなれ。食堂では肉を寄越したり、演習でも一定の距離内にいて常にこちらを見張っている。鬱陶しいことこの上ない」
「ほう……。ではイングリットは」
「イングリットは俺の身の回りの些事をいつも気にしすぎる。もう子どもでもないのに身だしなみや体調を慮られるのは不本意だ。こちらを気にするあまり、戦闘中に槍を構える手が留守になることがあったぞ。本末転倒だろうよ。危険極まりない」
即座にすらすらと返答できるということは、フェリクス自身も、いつも内心気にかけているのではないだろうか。
ベレトはさらに少し口角を上げた。人には表情が分かりにくいと言われるが、間違いなく今は笑顔に近付いている自覚がある。
「そうか。2人ともフェリクスを大切にしているんだな。フェリクスも2人の様子をよく把握しているようだ」
「先生、先程から俺の話をきちんと聞いているのか?俺は不満について話しているんだが」
険しい目つきで詰問するフェリクスを流して、ベレトは話を促した。
「次はメルセデスについて聞こうか」
「メルセデスは俺が身内に似ていると言っていたな。そのせいか、俺が怪我でもしようものならすぐに飛んできて世話を焼きたがる。些細な怪我の俺にまとわりつくよりも、もっと広い視野を持ち自分や仲間の安全を留意すべきだ」
うんうん、と微笑みながら頷くベレトの隣で、フェリクスはどうも居心地がよくなかった。
話すたびに機嫌が良くなっていく担任が理解できない。
「ではアネットはどうだ?」
雰囲気に飲まれたフェリクスは一瞬反応が遅れる。
「え、アネットか?……あいつの歌はいいな。興味深い感性の持ち主だが、急に騒ぎ出すなど時折話が通じないことがある。落ち着きが必要だな。歌の才能はもっと伸ばしていくべきだと思う」
「仲間をよく見ているんだな。では最後にアッシュについて聞かせてくれ」
「アッシュは貴族や騎士に期待を持ちすぎている。俺にも多大な期待を寄せてくるが、それは全くのお門違いだ。おかしな考えに囚われず己の才である弓の鍛練に尽力するといい。よそ見をしている場合ではないな」
すらすらと言いきったフェリクスは、もういいだろう?という表情でベレトの目を覗き込む。
これ以上はうんざりだ、と無言で語る。
ベレトはすっかり心が温かくなって、柔らかく微笑んだ。
「…………フェリクスは、みんなのことをよく見ているし、みんなにとても愛されているんだな。大切な人がたくさんいるようで良かった」
はにかんだ笑みを浮かべる担任のその一言に、フェリクスは眉間に皺を寄せて低く唸る。
「チッ……お前の耳は節穴か?大切な者などいないという話をしていたはずだが?先生は個人の素質を見極めて適材適所に落とし込む、命世之才の持ち主だと思っていたが違うのか」
苦々しい口調に挑発的な文脈だが、彼が人を語るその言葉には信頼と静かな愛情を読み取ることができる。
ベレトは、いつもつっけんどんで触れる人を傷付けるハリネズミのようなこの生徒のことを嫌いになることはできないと思った。
「……そんなに褒めてくれてありがとう。いや、少し照れるな」
「だから、褒めてなどいない!!」
頬を赤くし頭をかいて不器用に微笑む担任教師の隣で、いつも揉め事を起こしがちな青獅子の問題児は眉を吊り上げて怒鳴りつけた。
集まってきた学級の生徒たちに仲裁されるまで、あと少し。