回 「書」を「遺した」盲目の 国学者塙 保己一

ページ作成日:2021年8月25 (2023年7月29日サイト移行に伴い一部修正)

第2回目のWeb展示のテーマは「国学者・塙保己一(はなわ・ほきいち)」です

なぜ、塙保己一は群書類従を出版し、「書」を「遺した」のでしょう?

それは「あちこちに散らばっている貴重な一巻、二巻といった書をまとめて、出版して遺しておけば、わが国について学ぶものに非常な助けになるに違いない」と考えたからです。

保己一は「群書類従」の編纂を志してから、幕府や大名・公家・寺院の援助を得て、全冊(666冊)の刊行を終えるまで、実に41年もの歳月を費やしました。後に続編続編(1,185冊)の編纂を子や孫が受け継ぎ、完全な刊行は保己一の死後90年が経ってから達成されました。ちなみに2021年はちょうど、保己一の没後200年でした。

なぜ「書」を「遺した」ことは、大事なこととされるのでしょうか?

一つの答えとして、「書」を後世に遺すのは「書と人とを結びつけることで、新たな創造に繋げることができる」という意義があると思います。

例えば江戸幕府には紅葉山文庫と呼ばれる、将軍が使う図書館がありました。

その紅葉山文庫を熱心に利用したのは、かの名将軍・徳川吉宗と言われています。

吉宗は新たな施策を立てるため、多くの情報・知識が必要でした。そこで紅葉山文庫から先人の智慧が詰まっている「書」を取り寄せ、利用したのです。その「書」から得た知見により、吉宗は「享保の改革」と総称される数々の施策を打ち出していきました。

このように「書」と「人」が出会うことで、新たな創造が生まれ、引いては社会が良くなる可能性があると考えられるでしょう。

 

そんな群書類従を編纂した保己一を語る上で外せないこと。

それは彼が盲目だったことです。

彼は目が見えないので、周りにいる人から本を読んでもらい、その内容を完璧に暗記したと言われています。かのヘレン・ケラーが人生の目標にしたという逸話も残っています。

の写真は、昭和12年にヘレン・ケラーが塙保己一の偉業顕彰を目的に設立された温故学会を訪問した様子を収めたものです。

 現在はWeb技術が発達し、群書類従は冊子からデータベース化し、便利に利用できます。

もし保己一がデータベース版「群書類従」に触れたらどのような感想を持つのか…そんな想像をしながら、「書」を楽しんでいただければ幸いです。

<塙保己一に関連する図書館資料>

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