イタリアの巨匠たち (2)
ラッファエッロの足跡をたどる
ラッファエッロ サンツイオ(1483-1520年):
ウルビーノからペルージア、当時ルネッサンス花盛りのフィレンツエを経て、1508年にローマへ。
最初の師は画家の父ジョヴァンニとペルジーノ。
彼の叔父になるブラマンテのグループに加わり、さっそく当時の法王ユリウス2世のために法王宮殿装飾を手がけます。
1520年に37歳の若さでローマで亡くなり、彼のお墓はパンテオンにあります。
彼の素晴らしさは、調和の取れた構図に、誰にでも分かりやすい絵を描いたことにもあるのではないでしょうか。
現在はヴァチカン美術館内に組み込まれている法王ユリウス2世のお部屋にフレスコ画を描いて行ったのです。
一番有名なものが、左のアテネの学堂でしょう。沢山の当時の人物がモデルとして描かれています。
ラッファエッロもいますよ。
そして、お時間がないとなかなか寄れませんが、ヴァチカン美術館内のピナコテカ、絵画館には、ラッファエッロのお部屋があります。
左は、そこにある絵の一枚、フォリーニョの聖母です。
彼の遺言と言われる、最後の絵、キリストの変容もここにあります。
ラッファエッロの下絵をもとにブリュッセルで織られた素敵なタペストリーもそこに掛けられています。法王レオ10世が大金を払って作らせたものです。実はシステイーナ礼拝堂の左右の壁の下部分に式典の際に掛けられたものなんですよ。
何故ブリュッセルかって?当時、ヨーロッパではまだそうそうタペストリーを織る所がなく、フランス北部からブリュッセルで作られるタペストリーが最高の技術を誇っていたからなんです。
お時間があれば、左上のガラテアの勝利のフレスコ画がある、ヴィッラ ファルネジーナや、左下のフォルナリーナ、パン屋さんの娘の絵があるバルベリーニ美術館、またパラ バリオーニと呼ばれる、キリスト降下の絵があるボルゲーゼ美術館なども。