安全であること

2018/03/18 横浜アディクションセミナー資料集

米グーグル社が2012年から取り組んできた労働改革プロジェクト、プロジェクトアリストテレスでは、チームメンバー一人ひとりがそのチームに対して、気兼ねなく発言でき、本来の自分を安心してさらけ出せる状態や雰囲気「心理的安全性」があることが生産性のカギであると報告されました。「心理的安全性」とは職場や家庭で、本来の自分とは異なる「別人格」を無理に演じることなく、そこにいる全ての人がリラックスした安全な状態で生活や活動ができるという意味です。

なるほど、心理的安全性が感じられれば誰でも失敗することを過剰に怖がらずに、のびのびと良い働きができる。ああ、そうか子供の頃の私にはきっとそれがなかった。

2017年夏頃、うすうす感じてはいたけれど、「まだ大丈夫」と認めたくない、仕事依存の症状がまた出てきていました。信頼できるボスが上へ報告するレポートを見て、自分がバーンアウト寸前であることも再認識。ああ、やっぱり。またか。

その頃の私はまるで、広大な海のど真ん中に一人ぼっちで、穴の空いた浮き輪に必死でしがみつきながら、休む間もなく穴あき浮輪に息を吹き込み続けているような状態。息を吹き込むのをもし止めてしまったら、きっと溺れてしまうという恐怖から、浮輪を手放せずにいました。穴あき浮輪とは、私の場合、共依存対象であるプロジェクトやその人間関係のこと。

それでも、WAで助けを求める大切さを少しずつ学んでいた私は、バーンアウト寸前の溺れる一歩手前で、ボスに助けを求めました。「ボス、私、もう無理。何のサポートもなしにこのまま続けられない!!」思わず泣きながら訴え、ボスは驚き、けれど静かに落ち着いて、私の拙い英語の訴えを何時間もかけて聞いてくれ、浮輪を手放すのは怖いと嫌がる私を、なだめすかし、それでも半ば強引に、ヤバいヤバい穴あき浮輪を私から引き剥がしてくれました。

こうして私は、ボスの助けを得て、穴開き浮輪をどうにか手放し、悠々と笑顔で私を先導して泳いでいくボスの後ろを、ボスにしがみついたりすることもなく、自分の力で泳ぎ出そうとするのですが、恐ろしいことに、穴開き浮輪が足に絡み付き、離してくれず、なかなか前に進めなかったのです。ひゃぁ、恐い。ボスは結局、私に代わって、今、穴開き浮輪の後処理をしてくれています。押し付けてしまった形になったことが申し訳なくて、何度も謝る私に「僕はマネージャーだから、あなたは穴の開いた浮輪を自分でなんとかしようとしなくていいんだよ。これはマネージャーである僕の仕事です。いいから安全な場所に逃げて。」とボスは言いました。自分が一人で泳げるようになるまで、まずここはボスに甘えていいんだって私は腹をくくりました。それ以降、私はみるみる健全な振る舞いができるようになったのです。派遣さんのちょっとした失敗を許せるようになり、誰かが不意に話しかけてくることに苛立たなくなり、夜眠れるようになり、何より自分に集中できるようになりました。無理な仕事を少しずつ断れるようにもなりました。

私はボスに、時々感情をコントロールできなくて、相手を責めたててしまうことを反省しているんですと話したら、「すごい!わかっているんだ。わかっているならその方が良いんじゃない?わからないでやってしまうよりもずっと」と微笑みながら言ってくれた。

「心理的安全性」は、こんな風に、上司がまず安全にしてくれないと、一人の力じゃどうにもならないし、たとえば、未熟な上司がイライラして怒鳴るような職場で安全に仕事なんてできないって思っていたけれど、「職場を今よりもっと安全にするために、まずは、周囲の同僚の話を否定せず聞いてあげてください。みなさんからまずは始めましょう」とある人に言われ、胸を撃ち抜かれました。ああそうだ。自分からできることをやればいいんだ。あの人が〇〇してくれない。会社が〇〇してくれない。国が〇〇してくれない。と相手に依存して、自分が動かない言い訳にしていた。

私がその英国人ボスに心理的安全性を感じるのは、自然に取れる適度な距離感や、メンバーを信頼し、他人の仕事に介入し過ぎない、コントロールしないこと、それだけでなく、いざメンバーが困った時には一緒に考えてくれて、100%的確なわけじゃなくても、何らかのアドバイスをくれる。「僕にできることはある?」と聞いてくれる。私のキモチを尊重してくれて「感情的だ」などと否定したりしない。ボスは、相手の気分に反応しない。相手がそれを口に出さない限り、ほとんど気にしない。実際は、相手が不愉快かどうか、表情や雰囲気、言葉に出さない不満などかなり繊細に読み取っている。でも気にしないのだ。過剰に相手の感情に反応しない。かといってまるっきり無視する訳でもない。私もこういう人間になりたいと思いました。

うちのチームはみんなそれぞれ癖もあるし、いいやつばっかりじゃないけれど、それでもチームミーティングは和気藹々と楽しく、「安全に」進められる。言いたいこともはっきり言える。その安全なチームが4ヶ月後、昨年11月末に解散することになりました。解散だというのに誰一人悲壮感などなく、とてもハッピーエンドで、かつ最後にボスが言うことには、ちょっと見てて、僕らはまたすぐ一緒に働くことになるよ😁、と。