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ふくろうをめぐって

P.N.らんまる

何度もみて筋がわかっていても思わず笑ってしまう、狂言のおもしろさというのはそんな種類のものだ。だからなぜ面白いのかと口で説明するのはなかなか困難である。しかも「徹底的なナンセンス」ともいわれる梟山伏のおもしろさはなおさら説明しがたい。けれども、確かに面白いからこそ今なお演じられ続けているのである。

この狂言の笑いの基本は山伏狂言一般に共通する山伏の空威張とその失敗、という類型にそったものであるが、その失敗の場面の面白さを増すポイントとなっているのはフクロウの鳴きまねである。「梟山伏」のクライマックスはこのフクロウの声によって盛り上げられるのである。けれども現在生のフクロウの声をきいたことがあり、「ホーホー」という鳴きまねからすぐに実際のフクロウの声を思い浮かべることができる人は少ないのではないか。少なくとも都会に住んでいる限り、フクロウは身近な鳥ではなくなっている。

それではどうしてフクロウの鳴き声をおもしろく感じるのか。動物の鳴き声など、音に関する印象というのは純粋に聴覚的に導かれるものではない。フクロウの鳴き声が滑稽という場合でも、滑稽と感じる文化的な背景があるからで、鶯山伏などとはいかないのである。それでは梟山伏という狂言が生まれてきた、フクロウをめぐるコンテクストをおってみたい。

現在ではフクロウというと眼鏡をかけた博士のように図案化され、書店のマークに用いられたりするが、この学問的なフクロウイメージは実は明治以降西洋から伝承された比較的新しいものである。西洋には学問の女神アテナの使いとしてのフクロウの伝統があるのだ。一方近世までの日本のフクロウのイメージについて文献をたどって考えてみると、大きくわけて不吉な鳥としての不孝鳥の系譜とのんきな庶民鳥の系譜があることがわかる。

不孝鳥の系譜は平安時代にさかのぼることができ、中国漢代の儒教的なフクロウ観が文献の継承によって日本に入ってきたもののようだ。フクロウが父母を喰う不孝鳥だという記述は様々な節用集の類にもみえ、中世・近世へと引き継がれてゆく。このようなイメージのもとは、おそらくフクロウの肉食・夜行性といった性質から生まれてきたものであろう。

けれどもフクロウは忌み嫌われていたかというと決してそうともいえない。もうひとつの流れ、庶民鳥の系統のフクロウイメージからは親しみやすいフクロウ像が浮かんでくる。庶民鳥としてのフクロウイメージは中世・近世と主に天気予報の鳥とみなされていたことに顕著である。どうして天気予報かというとフクロウの鳴き声が「ほほんのりすりおけ」ときこえ、「のりすりおけ」が「糊摺り置け」であり、晴天を予告すると考えられたからという。そのなごりは現在もフクロウを「のりつけほうほ」とよぶ等、各地の方言にも残っている。それだけ当時フクロウは身近な鳥であったのだ。大蔵流虎明本「梟山伏」のフクロウの声も「ほほんのりすりおけ」と表記され、庶民鳥の系譜を継ぐ物ものであることがわかる。

もうひとつ、庶民のフクロウイメージとして仏教的にとらえられた場合のイメージがある。室町時代の御伽草子「鴉鷺合戦物語」を例にみてみよう。御伽草子は民衆むけの娯楽と啓蒙のための単純な読物としての性格をもち内容も多様だが、いくつかの類型がある。その中に動物を擬人化して描く異類物とよばれる類があるが、「鴉鷺合戦物語」もそのうちの一つに位置付けられ、その中にフクロウを擬人化した人物「梟木工允谷朝臣法保(ふくろうもくのみつやあそんのりやす)」が登場する。法保=ほほうである。そこでフクロウの擬人化である法保は醜いが、物知りでかつ強い法力をもつといった性格付けがされている。当時の庶民のフクロウ観を反映したものだろう。

このようにみてみるとフクロウは昔から互いに相反するようなイメージをあわせもった鳥として認識されていたといえよう。そして梟山伏という狂言をフクロウのこの多面性を通してみると、その性格を驚くほど巧みに生かした筋書きとテーマであることがわかる。身近でのんきなフクロウイメージは気軽な笑いを誘うし、また仏教的な力をもつというイメージは、山伏をやり込めてしまうという設定にいきている。また少し無気味な感じというのも梟山伏のナンセンスの底にある、どこかひえびえとさえた感じとして、この狂言に魅力を添える隠し味になっているように思う。三つめに関してはあくまで現在の感覚かもしれないが、フクロウの多面性の魅力は当時にも通じると思われる。こうしてみてみると、室町時代にフクロウが題材に選ばれたのもうなずける。

ところで天正狂言本には山伏の登場するものが五曲あり、その「いぐい」「ふくろふ」「つとくわい」「かきくい山ぶし」「鬼松風」の中の一曲が梟山伏の原型である。意外に思われるかもしれないが、現在の山伏とは異なるこれらの山伏の特徴として、基本的に呪術能力があるとみられることがあげられる。以下に天正狂言本「ふくろう」の全文を引用する。

ふくろふ

一人出て子を山へやりて候へば 物つきかあるとゆふて山ぶしをよび出し さんおかせる ふくろふのたゝりあるとゆふ いのる子ふくろふのまねする おやにもつく はらかふ/\/\や はしのしたのしやうぶはたがうへそめし いち殿二い殿三み殿四殿五いりまめに六ちさう はらかふ/\/\や 山ぶしあくびする 山ぶしにもつく ほほや/\ ひやうしとめ

これをみると「ふくろふ」の山伏は事件の原因をたしかめるために算をおき、いのり自体には功がないものの、算によって原因を突き止めることには成功している。「ふくろふ」の山伏は定住した山伏だが、他をみても「つとくわい」等の大峯がえりの山伏にはいのりの効験がある。つまりこの時代には山伏のいのりの失敗という行動の面白さは類型化されてはいない(田口和夫氏『狂言論考』参照)

いのりの失敗を必要としない山伏狂言では、必ずしもいのる動作を必要としない。現在の類型化された山伏狂言のようにいのりの失敗のおかしさを必要とするようになってから、いのる動作の面白さを追求するようになるのである。こうした山伏狂言の展開を考えると、「ふくろふ」の山伏が算をおくという効験をもつ山伏でありながら、いのるという行動で失敗するという要素を含んでいることは注目に値する。なぜなら呪術能力をもつものとしての山伏がいのり、しかも失敗するという場面がたまたま取り入れられていたことが、それ以後いのりの失敗という演技の面白さへと着眼点が変わる契機となったと考えられるからである。

ここで再びいのりの場面でのフクロウの鳴きまねの趣向に戻る。フクロウの声はいのりの失敗の演技を滑稽な場面として注目させるのに非常に効果的である。現在の視点からするとフクロウの鳴きまねが取り入れられたのは、いのり自体の演技にもともと面白さを求め重点をおいていた結果の工夫のようにもみえる。しかし逆に、先にフクロウの声が題材としてあり、それが結果的にいのりの面白さを際立たせているものとして働いたと考えると、山伏狂言の新展開を方向付けたのに一役買ったと考えられはしないだろうか。そして梟山伏は新たな形式を持って現在の山伏物の中に生き残ってこられたのではないか。

室町時代の狂言が時代も社会も違う現在にまで残っているのは、ある意味不思議である。それは面白さを追求して、たえず変化しているからかもしれない。現在も残っているということは面白いからというのは確かだ。しかし残る作品とそうでないものの境目はどこにあるのだろうか。梟山伏の変遷を追っていると、なぜか生き残る要素を初めから胚胎していたように思えてしまう。生物は適者生存の原則に従って自然淘汰され進化するが、しかしその過程で起こる突然変異はランダムではなく、奇跡的とも思われる確率であらかじめ将来的な環境に適合性を増すような方向性をもった変異がおこるという。狂言という芸能にもそんな底知れぬ何かがあるように感じられる。