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30年のつきあい

小井沢和明

1973年、第一次石油危機の年に大学入学と同時に狂言研究会に入部しました。それまで狂言に縁があったわけではありませんが、面白いものが好きだったこと(当時のテレビのお笑い番組でいうと、「ゲバゲバ90分」はすでに終了していましたが、本当に面白い時期は過ぎていたもののコント55号が全盛期で、さすがにあまり見なかったもののドリフターズの「全員集合」は相変わらずの人気番組でした。今の人には通じませんね。)、そしてなによりも縁がなかったが故の日本の古典芸能が持つエキゾチシズムへのあこがれが入部のきっかけでした。

当時の狂言研究会には、後に中世文学の研究者になった先輩が複数いらっしゃるなど、アカデミックな雰囲気がありました。確か結構まじめな論文を載せた雑誌も作ったはずです。もっとも私たちの世代がその雰囲気を壊してしまいましたが。

鑑賞の面でいえば、今ほどの狂言ブームではありませんが、亡くなったそれぞれ先代の野村万蔵、三宅藤九郎、茂山千作といった名人たちが活躍中で、万之介先生はまだ30代、今の萬斎より若かった時代です。今まで知らなかった狂言の世界が何とも新鮮で面白く、ずいぶんたくさんの狂言を見たものです。特に印象深かったのは先代万蔵の「木六駄」で、水道橋能楽堂(今の宝生能楽堂です)の見所で実際に寒さを覚え、舞台に牛がいるのを見ました。状況劇場(唐十郎の赤テントです)やコント55号の舞台などに比べてもはるかに面白く(何でそんなものと比較するのかと今なら思いますが、当時はそんな目で見ていたものです)、世界で最高水準の演劇を見ているという確信を持ちました。

狂言を演じる方は、今と同様春秋の学園祭を中心に練習しました。私たちの一つ上の世代は万作先生に師事したこともあるようですが、私たちの世代からは全て万之介先生に教えていただきました。他大学との交流などのなかから学園祭以外の場での発表の機会も得、私自身は卒業直前に杉並能楽堂で「六地蔵」を演じることができました。

私の後何年間かはかなりの人数の入部者があって東大狂言研も活発で、また五狂連の活動も楽しく、学生時代の良い思い出になりました。

大学を卒業して社会人になると、時間的、精神的余裕が無くなり、狂言とは縁が遠くなってしまいました。たまに能楽堂に出かけるのがせいぜいで、自己紹介の時に「趣味は狂言」という声が次第に小さくなっていきました。もう一度やってみようと思ったきっかけには外国生活の経験があります。ブラジルのリオデジャネイロに3年間赴任する機会があり、とても貴重な経験をしましたし、ブラジルが大好きになりましたが、その一方で自分が日本人であることを痛感しました。サンバのリズムに血は踊るものの、体の奥底には狂言の謡の方により共感する部分があるとでもいいましょうか。

帰国後タイミング良くお誘いいただき、ちょうど同じように再開する人もいたことから20年ぶりに万之介先生にお教えを請うことになりました。「樋の酒」の次郎冠者役で主人に呼ばれて「はぁ」と返事をするのが練習の第一声でしたが、声がひっくり返ってしまい冷や汗をかきながら20年の月日を思ったものでした。以来昨年の万酔会まで5回舞台に立たせていただきましたが、息子と一緒に狂言を演じるなど貴重な経験をさせてもらっており、堂々と「趣味は狂言です」といえるようになりました。

いま狂言の魅力を考えると、学生時代とは違った感じ方もあります。最大の魅力はやはり古典であるという点で、台本も演出も長い年月の間にとても洗練されたものになっていることでしょう。シンプルになっているが故にいろいろな解釈が可能なこともあり、同じ狂言を見ても学生時代と今では違った目で見ることができます。また、私たち素人が演じる際に先生から全く同じせりふと所作を習っているにもかかわらず、演じる人の個性が出てくるのも台本と演出がしっかりしているからなのだと思います。特に万之介先生のご指導は、厳しいながらも我々の上達具合にあわせた丁寧なもので、稽古の時には普段の生活では味わえない気持ちの良い緊張感を実感しています。これからも狂言とのつきあいを深めてさらに新しい魅力を見つけていきたいと思っています。

狂言の魅力は奥深いものです。若い方々にも是非長くつきあってもらいたいと思います。そうすればきっと狂言に新しい魅力を感じるようになると確信しています。