御由緒

当社は元藤井大生浦(現在藤井稲荷神社のふもと)に鎮座し、宇野村の鎮守とて、又村民の心のよりどころとして崇められ、特に農海運業の守護神として祭られていた。

創立年暦は不詳であるが、寛文6年(1666)備前国内の小社を寄宮となされた時、産土神として残された社にて、享保3年(1718)この地(寛文6年寄宮となった御崎宮の跡地小丸山、(現軽島)に奉遷された。

その後、安永4年9月(1775)と天保3年4月(1832) に屋根の葺替が行われ、明治13年には桧造の本殿も建設されたが、昭和14年11月随神門を残し、不慮の火災にて全焼し、翌昭和15年、氏子崇敬者の寄進や奉仕により再建され、昭和17年竣工されたものが現在の社殿である。その折、境内も整備され神社運営の基礎を固めた。

終戦後、世の中の安定するに随ひ、昭和42年本殿の屋根の葺替が行われ、氏子崇敬者と当社の結び付きの一翼として昭和47年社務所の増築がなされた。

昭和59年「八幡宮」 通称「軽島八幡宮」を氏子地域との一体化を図るため「宇野八幡宮」と改称し、宇野・藤井・新地地区の鎮守として、また、国家安泰や家内安全・厄除開運・交通安全・当病平癒・農海運業の守護神として信仰を深めてる。

 宇野八幡宮には 【軽島八幡宮と神功皇后】 と【軽島という島のなのおこり】 という伝説が残っている。