私の一枚

本研究会会員がイギリスロマン主義関連の絵画から「私の一枚」を選んで紹介する企画です。会員のみなさまからの「私の一枚」を随時募集しております。

2024年1月~4月 フランク・ブラムリー 《絶望的な夜明け》(1888 

Frank Bramley (1857-1915), A Hopeless Dawn, 1888, Tate Britain, London. Oil on Canvas 122.6 x 167.6 cm.

フランク・ブラムリー(1857-1915)はニューリン派と呼ばれる同名のコーンウォールの漁村に集った画家たちのひとりである。気象・海況予報や船舶・漁労についての科学の未発達が、貧しい漁民の生活水準どころか、人生そのものをおびやかしていた時代のとある「絶望的な夜明け」を描いた本作品は、キリスト者としての信仰についての凄絶なまでの問いかけとなっている。

わたしが本作品をはじめてテイト・ギャラリーで観たのは1995年。窓辺の燭台のもはや赤い点となって消えかけている炎と、食卓にむしろ力強く燃える炎の対比が、原画ではことのほか印象的であった。窓辺の燭台は、夜半の時化にのまれながらも小舟の舳先を向けるべき灯台のごとく、生還を信じて待つ漁夫の妻と母がともす希望の灯であった。傍らに新しい蝋燭がまだ二本置かれているが(マタイ25:1-13へのエコーか)、夜明けとともにその使命は失われた。窓辺に蝋燭はもう要らない。朝の光が世界を満たしているからではない。蝋燭の灯に舳先を向けるはずだった漁夫は、もうもどらないからだ。それなのにそれでも新しい朝はやってくる。無情を嘆くなかれと説かれても、そこに神意を推し量るには喪失感はあまりに大きい。「絶望」的な「夜明け」—なんというオクシモロンだろう。

対照的に煌々と燃えさかるテーブルの燭台は、質素な食卓のパンとともに、ミサを想起させることがしばしば指摘されている。生きなければ。開かれたままの大きな聖書や右の壁面に額装された、イエスから天国への鍵を預かるペテロを描く絵も、あるいはまた、劣化して踏み抜かれてしまいそうにへこんだ床板も、後に残された二人の女たちの今後の困難な人生を暗示してあまりあるものがある。日々のパンをもたらしてくれた最愛の夫、息子はもう戻らないからだ。テイトのサイトで読める解説によれば、この絵は当初、逆境にあってなお信仰の尊さを説くJohn Ruskinの章句ともに展示されたという。

愛する者との死別を経験しない人間はいない。絶望を運んでくる夜明けの残酷さにだれもが直面することになる。だが生きなければならない。いつか絶望の彼方に真の夜明けを見出すために。

 

(境野 直樹)

2023年9月~12月 ヘンリー・フューズリ 夢魔(1781) 

John Henry Fuseli (1741-1825), The Nightmare, 1781. Detroit Institute of Arts, Detroit. Oil on canvas. 101.6 x 127 cm.

18世紀は理性の世紀といわれる反面、恐怖・怪奇・狂気・邪悪な美を嗜好する不合理な感性を培った時代でもあった。おもに文学と芸術の分野において、その不合理な感性をもちいて、規範規律を重んじる時代思潮に対し、反逆を企てたのだが、その特徴として「性」と「暴力」の融合が目立つ。「黒いエロス」とも呼ばれるその融合をいち早く探求したのは、スウェーデンの彫刻家ヨハン・トビアス・セルゲル(1740-1814)であるとされているが、彼のエロティックな素画は陽気でユーモラスな雰囲気である。憂鬱で陰鬱な性と暴力の「黒いエロス」を開花させたのは、ヘンリー・フューズリ1741-1825)だろう。

フューズリはスイス・チューリッヒ出身の画家で、ロンドンに来てから絵を描き始めた。8年間のローマ遊学によって、16世紀マニエリスムのエロティックな世界に影響を受けただけでなく、フューズリ自身恋多き男であり、それらの経験も彼の作品に反映されている。

上掲のフューズリの代表作≪夢魔≫(The Nightmare, 1781)では恐ろしい夢魔と対照的な美しい女性が描かれているが、実生活で自分の求愛を受け入れてくれなかった女性への歪んだ想いを昇華させるための作品であったといわれている。フューズリの作品の中で、女性に対する否定的・攻撃的描写は「悪しき女」や「不吉な女」としてしばしば描かれている。好色家のように見えたフューズリであったが、潜在的に女性への嫌悪や恐怖を抱いていたことを彼の数多くの作品が物語っている。

 

(藤倉 ひとみ)

2023年5月~8月 ウィリアム・ホガース ファラオの娘たちのもとに連れられる幼児モーゼ(1752)

William Hogarth (1697-1764), Moses Brought to Pharaoh’s Daughter (And the child grew, and she brought him unto Pharaoh’s daughter; and he became her son. And she called his name Moses) (1752). Etching by William Hogarth. Engraved by William Hogarth & Luke Sullivan (1705-1771). 41.3 x 57.6 cm. The Metropolitan Museum of Art, New York.

ウィリアム・ホガースは18世紀のイギリス画壇を代表する国民的画家である。社会的な風俗的主題に諷刺の精神を取り込み,独特な風俗画の様式を確立し,写実的な場面描写と人間の内面の裏表を描いた作品で,高い人気を博した。

このエッチングは旧約聖書(出エジプト記2章5-10節)を絵画化したもので,制作する際に,義父のソーンヒル卿が描いた聖ポール大聖堂やグリニッチの王立海軍病院の大天井画を想起したとされている。堂々たる円柱,ゆるやかに引かれた荘重なカーテン,座椅子に横たわるファラオの娘の姿は,ソーンヒル卿の優雅でダイナミックな古典的バロック様式を窺わせるが,ホガースはそこに世俗的な生活態度を加えて人間味を挿入する。母の帯をしっかり掴み,離れようとしないモーゼ,乳母として養育費を受け取る卑しい女の態度,ファラオの背後で,女主人と母子関係を噂する召使いなどが巧みに描かれている。

 私が一枚に選んだこのエッチングは,30年程前にロンドンのハロッズ百貨店の画廊に立ち寄った時に,ホガースによるものではないが,Painted by William Hogarth / Engraved by T. Cookとして1801年に印刷されたもので,これを購入し,現在も手元に置いて毎日眺めている絵でもある。


(小野寺 進) 

2023年1月~4月 Thomas Cole, Desolation (from The Course of Empire), 1836. 

Thomas Cole (1801-48), Desolation (from The Course of Empire), 1836. Oil on canvas. 99.7 x 160.7 cm. 


Thomas Cole (1801-1848) was a British-born painter whose career was based in the United States of America, to which he emigrated in 1818. (He was based in Philadelphia and New York.). Cole is acclaimed for producing Romantic landscape painting of the American frontier and wilderness, and therefore introducing a form of “American sublime.” He also produced a series of five allegorical paintings between 1833-36―called The Course of Empire―which attempted to represent the same imaginary landscape in five stages of human development: The Savage State, The Arcadian or Pastoral State, The Consummation of Empire, Destruction, and the final painting here, Desolation. Cole claimed partial inspiration from Byron’s Childe Harold’s Pilgrimage: “First freedom, and then Glory―when that fails/ Wealth, vice, corruption―barbarism at last.” Thus, in the early decades of the Unites States, Cole fantasises about the spread and decline of a civilization, through painterly visions of an Arcadian society on a coastal landscape that grows opulent and eventually destructive. Desolation is the aftermath: a quiet, crepuscular view of sparse ruins, even devoid of humans who might ponder at what is left (it reminds me of Mary Shelley’s The Last Man). Some critics see an allegorical commentary on U.S. politics in the series; its suggestion of a non-human landscape outlasting worldly affairs may also evoke a form of critical pastoral. In any case, Cole―from his time at the beginning of the “Anthropocene” carbon economy―imagines an “end of history” that still has pathos and grandeur.


(James Tink)

2022年9月~12月 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《雨、蒸気、速度グレート・ウェスタン鉄道》(1844)

Joseph Mallord William Turner, Rain, Steam and Speed ―The Great Western Railway (1844). The National Gallery, London. Oil on canvas. 91 cm × 121.8 cm. 


 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー(Joseph Mallord William Turner, 1775-1851)晩年の作品。全体としてぼんやりとした作品ではあるが、タイトルにある‘Rain’が鉄橋の右上から激しく吹きつける。霧が立ち込める中、産業革命の象徴である蒸気機関車が、遠近法を用いることで、迫力ある姿を見せ、煙を吐き出し、駆け抜け、テムズ川を渡る。当時最大であったグレート・ウェスタン鉄道は、ロンドンと南西部イングランド及びウェールズを結び、1838年に運行を開始した。それから6年後にこの作品は世に出た。蒸気機関車の前面には本来は見えないはずのボイラーの火が描かれ、勢いよく発展する近代文明を示している。蒸気機関車とは対照的に、左側に描かれた川には人を乗せた小舟が浮き、またその近くの川岸にも数名の作業員/人物がゆっくりと日々の仕事に従事している様子がうかがえる。蒸気機関車が通る鉄橋と左奥に見えるアーチ形の旧式の橋は新旧の対比をなす。現在、この絵画は色褪せ判別しにくいが、鉄橋には蒸気機関車から逃げようとする野うさぎが描かれており、蒸気機関車の速さを表すためにターナーが出品の直前に書き足したと言われる。

 ターナーは、実際には目に見えない「雨、蒸気、速さ」‘Rain, Steam and Speed’を可視化することで、いっそう躍動する蒸気機関車を描き、近代化を際立たせる。他方、それとは対照的に、古い橋や一艘の小舟は昔ながらののどかな雰囲気を醸し出している。ターナー自身が近代化に肯定的であれ否定的であれ、自然の崇高と近代化の象徴としての蒸気機関車は対等に描かれ、その均一性は、ほのかに明るい光と共に、その後の未来を垣間見せているのかもしれない。


(柴田 尚子)

2022年5月~8月 ジョージ・ウォーカー《第三図版 炭鉱夫》(『ヨークシャーの衣服』(1814)所収)

George Walker (1781-1856), "Plate III. The Collier" from The Costume of Yorkshire (1814).

 エドワード・P・トムスン著『イングランド労働者階級の形成』(1963)のペーパーバック版表紙として使用されていた時期があったため、この絵になじみがある方も多いだろう。産業革命期の労働者像としてしばしば取り上げられるこの絵は、ジョージ・ウォーカー(George Walker, 1781-1856)が描いた『ヨークシャーの衣服』所収の「第三図版 炭鉱夫」である。右奥に立坑坑口の巻き上げやぐらと煙突、そしてそこで働く人々と馬の姿が小さく見えるが、場所はリーズ南部のミドルトン炭鉱。帰路につく炭鉱労働者の背後の線路を走るのは、リーズの鉱山技師ジョン・ブレンキンソップ(John Blenkinsop, 1783-1831)が開発した最新のラック式鉄道(歯軌条鉄道)用の機関車サラマンカ号である。

 リーズの裕福な乾物商の家の五男として生まれたジョージ・ウォーカーは、実業の世界は選ばずに博物学や美術を学んでその道に専心した。そして彼は、摂政時代のヨークシャーの人々の衣服と風俗と労働を描くことにより、「この国の栄光と繁栄」に寄与した庶民の姿を残そうとしたのだ。『ヨークシャーの衣服』に収められた彼の四十枚におよぶ絵の主題は多岐にわたっている。「27 泥炭運搬車」や「35蛭取り人」などの伝統的な労働から、「26 棒乗り」と呼ばれる夫婦間の諍いを茶化して回る昔ながらの慣習や一年の農作業の始まりとされる「鋤の月曜日」に村を練り歩いて行われる「11 愚者の鋤」という出し物などの民衆伝統に基づく習俗。さらには、機械化の波が押し寄せたために「先頃の残念な騒乱」(ラッダイト運動のこと)を引き起こした「怠惰で放蕩無頼な」「6 剪毛工」や、今では工場主が対策を立てたとはいえ健康を害して青白い顔で立つ「36 工場児童労働者」による現代的な労働にまで及んでいる。

 ヨークシャーの生活における多様な歴史性がこの画集に流れていることを踏まえて第三図版を振り返ると、この絵が産業革命期の来たるべき新しい労働の風景であり、いわば技術革新の恩恵を受けた理想化された炭鉱夫の姿が描かれているのではないかと思われてくる。この絵を見た人が炭鉱夫の衣服とその飄々とした満足げな姿に違和感を覚えることを見越して、作者は図版に付された文章で以下のように説明している。「ここで描かれているのは、いつもの服装で仕事から戻ってきた労働者の一人である。この服が赤く縁取られた白い布地でできているので、暗闇での職業にそぐわないと笑われるかもしれない。しかし、頻繁に洗濯しなければならないことを考えれば、清潔さと健やかさにつながるものとして、確かにこれほどふさわしいものはないだろう。」新しい時代においては、蒸気機関車の使用によって大幅に労力が節約できるだけでなく、「清潔さと健やかさ」をもって炭鉱労働に従事できるとされているのだ。風で同じ方向にたなびく蒸気機関車の煙、炭鉱の煙、そして労働者のパイプから出た煙の様子が絵画全体に統一感を与え、満ち足りた「労働」の風景を生み出しているが、それはあくまでも支配層の側から見たものである。だからこそ、この絵には表されていない本当の「炭鉱夫」の姿を探しにいかなければならないのだ。


<参考文献>


Klingender, Francis D.  Art and the Industrial Revolution.  St Albans, Herts: Paladin, 1975.

Young, Roger.  “George Walker’s Costume of Yorkshire (1814): The Representation and Negotiation of Class Difference and Social Unrest.”  Art History 19. 3 (1996): 393–417.

Walker, George, Edward Hailstone, and Richard Jackson.  The Costume of Yorkshire.  Leeds: Published by Richard Jackson, 16 & 17, Commercial Street, 1885. 


(大西 洋一)

2022年1月~4月 カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ《氷の海》(1823-24年頃)

Caspar David Friedrich (1774-1840), The Sea of Ice (1823-24). Hamburger Kunsthalle. Oil on canvas. 96.7×126.9cm.

 カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(1774-1840)は彼の故郷である北ドイツの風景を数多く描いたが、中でもこの《氷の海》は彼の代表作の一つである。

 前景に配置された、土のついた矢印型の氷片や薄黄土色の大きな氷片の先端が指し示すのは、画面右の無残な姿の難破船である。続いて中央に描かれるのは、沈みゆく難破船がその一部となっているようにすら見える、大きな山のような氷塊。その頂上となる鋭く尖った先端は左上へと突き出し、大空へと向かっている。後景には大小さまざまな氷塊が浮かぶ北方の海が広がり、画面上部の厚い雲の切れ間には澄んだ青空がわずかに見える。中央の巨大な氷塊と、それに似た形をした左奥に浮かぶ氷塊は、雲の切れ間から差し込む光を受け美しい。

 この絵の中では、対照的な二つの世界が中央部でつながるように見える。一方は圧倒的な自然の力と人間の無力さ、さらには死や恐怖といったものが茶色の氷片や難破船に象徴される前景の世界。もう一方は彼方へと続く大海原や青い天空からの光、その光を受けて静かに輝く氷塊などから、生や未来、あるいは神聖さといったものがイメージされる後景の世界である。中央の山のような氷塊を介し、これら二つの世界は結び付いている。

 その結び付きが意味するのは、どれほど悲劇的な状況の先にも穏やかで、光りに満ちた希望の場所は必ず存在するということだろうか。少年時代、自分を救おうとして弟が溺死するという耐え難い体験により傷つき、その後長く苦しんだフリードリヒが描くその場所は、はるか遠くに見えてはいても、たどり着くことは出来ない場所にも思われる。

 この《氷の海》は、絵を観察するように見る面白さを教えてくれた「私の一枚」である。

 

(高橋 晶子)

2021年9月~12月 Joseph Wright of Derby, Two Boys with a Bladder (c. 1769–70)

Joseph Wright of Derby (English, 1734 - 97). Two Boys with a Bladder, about 1769–70, Oil on canvas. 92.7 × 73 cm, 2020.20. The J. Paul Getty Museum, Los Angeles. Digital image courtesy of the Getty's Open Content Program. 

This painting, unseen in public since the 18th century and largely unknown to scholars, was acquired by the J. Paul Getty Museum in 2020, after being granted an export license by the Arts Council of England. Painted around 1769–70, it is thought to be a pendant to “Two Girls Dressing a Kitten By Candlelight”, whose composition it echoes.

The painting displays several of Wright’s characteristic techniques, including vibrant colours, heightened realism, and chiaroscuro using artificial lighting. Two boys, their faces illuminated by candlelight, huddle around a table: one, seemingly the elder, inflates a bladder (a common toy in the period, often filled with dried peas and used as a rattle), while the younger boy watches. 

The painting can be connected to the popular eighteenth-century genre of the “fancy picture”, which featured children in sentimentalized, “cute” poses. In contrast to the idealized peasants later painted by Thomas Gainsborough, however, these children appear to be wealthier and less naive. Their costumes, which seem to have been invented by Wright, are in vaguely Oriental style, and the exquisite texturing and the luminescent colour palette of the fabrics give this painting much of its visual interest.

The attention of viewers is also inevitably drawn to the pig’s bladder at the centre of the painting. Bladders are an unusual theme in eighteenth-century British paintings: Wright seems to have borrowed them from Dutch art, where they often feature as symbols of vanity and transience (see, for example, the mischievous child playing with a bladder in the background of Caspar Netscher’s “Slaughtered Pig”, 1660–62). 

Nevertheless, in context the bladder seems to be more than just a symbol of the fleeting diversions of childhood. Other works by Wright on industrial subjects, such as “The Alchymist” (1771) and “Iron Forge Viewed from Without” (1771), show a fascination with the scientific advances of the period (depicted, with dramatic use of chiaroscuro, as a literal “enlightenment” of the surrounding darkness). In this context, the bladder might be taken as a symbol of anatomy: the blood vessels elegantly sketched out on the surface of the bladder suggest the contemporary dissections of Honoré Fragonard, or the vascular studies of John Hunter. Notably, the younger child stares directly into the face of the boy inflating the bladder, as if captivated by his expression, which suggests the single-minded dedication of the scientist or inventor.


(Laurence Williams)

2021年5月~8月 The Female Spectator(1746)扉絵 

R. Parr (fl. 1736-51), Frontispiece to The Female Spectator (1746). EC7.H3362.746f, Houghton Library, Harvard University. 

 本作は、女性読者をターゲットとした、イライザ・ヘイウッド(Eliza Haywood, 1693?-1756)による月刊誌The Female Spectatorが、全集として1746年に出版された際の扉絵である。版画の製作者とされるR[emi] Parrの詳細は不明だが、政治諷刺The Agreeable Contrastの挿絵で審問されたNathaniel Parrに関係する人物と考えられている。詳細こそ不明だが、R. Parrの有名な作品には、ヴェニスの景観画家カナレットの絵画をもとに彫られた、ウェストミンスター橋のアーチから覗いたロンドンの風景などもあり、当時の流行版画家の一人であったと思われる。

 この扉絵は、4人の女性たち(向かって左から、開いた本を前に羽ペンを手にするヘイウッドと思われる人物、未婚女性、人妻、そして未亡人)が、恋愛や結婚、子育て、教育といったさまざまな問題を論じるという本書の設定を描いている。3人の女性たちが、人生の先輩である未亡人の知恵や経験談を熱心に聞いている様子がわかる。後ろには詩人サッフォー(右)と古典学者・翻訳家のダシエ夫人(左)の胸像、そして壁に名声(ファーマ)の絵が配され、古典に連なる知識の伝達者、教育者としての女性の系譜が高らかに宣言されており、この時代、女性が書き手としても読み手としても、市場において重要な役割を果たし始めていたことを示す一枚である。

(梶 理和子 )

2021年1月~4月 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー《モルトフォンテーヌの思い出》  

Jean-Baptiste Camille Corot (1796-1875), Souvenir of Mortefontaine (1864). Musee du Louvre, Paris. Oil on canvas. 65 cm×89 cm.

 世界中を瞬く間に混乱の渦に巻き込んでしまったCOVID-19 (2020年12月1日現在、いまだ終息の兆しは見えない)。新しい生活様式を求められ右往左往する中で、常に傍らにあって変わることのないものが自然である。

 フランスの画家ジャン=バティスト・カミーユ・コローは、自然観察を通し多くの風景画を生み出した。中でも最も有名なのがこの《モルトフォンテーヌの思い出》だろう。コロー晩年の作品である。ヤドリギに手を伸ばし実を摘んでいる乙女と幼い少女たち。枝を伸ばし、今にも覆いかぶさってきそうな樹木。少女たちを守ろうとしているのだろうか。うっそうと茂った草花に、静けさを漂わせる湖。そして、湖面にその姿を映し出しながらどこまでも続く薄暗い森。時間が止まったかのような、美しく静謐をたたえた抒情的で詩的な世界。コローが好んで用いた銀灰色が、ノスタルジックな雰囲気を助長する。

 20代半ばに画家を志したコローは、フランス各地やイタリアで印象派の画家たちに先駆けて戸外制作を試みた。自然と対話することで、彼の中にあった自然を賛美する気持ちが深まっていったのだろう。コローはごく普通の風景を題材に情感を込めて描いた。

 《モルトフォンテーヌの思い出》は、皇帝ナポレオン3世(1898-73、在位1852-70)の命により国家が買い上げた作品としても知られている。今も昔もコローの風景画は、観る人をどこか懐かしい穏やかな夢のような世界に連れて行ってくれる。この風景画は私の涙を誘ってやまない。

 ヤドリギの花言葉といえば“Kissing under the mistletoe”を思い出すが、「困難に打ち勝つ」という意味もあるそうだ。世界中を苦しめているCOVID-19に、我々も打ち勝ちたいと思う。

(矢元 祥子 )

2020年9月~12月 メインデルト・ホッベマミッデルハルニスの並木道》 

Meindert Hobbema (1638-1709), The Avenue at Middelharnis. (1689). Oil, 103.5cm×141cm. 

 私が選んだ一枚の絵は、17世紀後半のメインデルト・ホッベマの風景画《ミッデルハルニスの並木道》である。いつ頃以来だったかは忘れたが、ホッベマというオランダ人画家が私の記憶にはあった。なぜ彼の名前が私の記憶にあったのか、その理由を私は思い出せない。私がホッベマの絵に特に惹かれたのは、20代のころアムステルダム郊外でホームスティした際に、ホッベマの絵とそっくりの風景を目の当たりにしたからである。道路の両側に高くそびえるポプラの木のある道路を車で走っていた時私は、「車を止めて」とオランダ人の運転手に言ったほどだった。車から降り、しばらく私は道路を歩き、道路の両側の木を眺めた。木がなければ何ということのないどこにでもあるような平凡な道路だったが、木のある道路を見て私はなぜだか安堵した。私は、オランダに来る前ギリシア、イタリアを歩き回っていたが、そこではemotionalな風景に出会うことがなかった。それだけに一層、アムステルダム郊外の木のある光景には心が引かれた。そのとき私は、おそらく日本の風景を思い出していたのだろう。田舎には、刈り取った稲を干すのに使用する「はさぎ」と呼ばれる木が田んぼの脇にあった。《ミッデルハルニスの並木道》に親近感を覚えるのはそのせいかもしれない。

 《ミッデルハルニスの並木道》は、遠近法をうまく使い、見る者を絵の中央の道路の奥に引き寄せる。青空と白い雲が見え、季節は初夏であろうか。絵の奥に一人の男性が犬と一緒にいる。画面の中央のまっすぐ延びているぬかるんだ道路には、轍の跡が見える。農民にとっては重要な生活道であろう。絵を見る者は自然と道路の奥へと進み、集落へ行き着く。絵をよく見ると 肩に銃を乗せた狩人が、犬を連れて歩いている。狩人はこれから狩りに行くところであろうか、それとも狩りの帰りであろうか。道路の両側の十数本のポプラは、集落への道案内のように立っている。のどかな、沈黙の光景は日々の生活から人を一瞬解放してくれる。

高橋 正平 

2020年5月~8月 フランシスコ・ゴヤ《理性の眠りは怪物を生む》 

Francisco Goya (1746-1828), The Sleep of Reason Produces Monsters. (c.1799?). Etching, aquatint. 21.5cm×15cm.

 スペインの画家ゴヤは、宮廷画家として『カルロス四世の家族』(1800-01)を描く一方、赤裸々に女性の裸体を描いた『裸のマハ』(1797-1800)、あるいは晩年に描かれた『我が子を食らうサトゥルヌス』(1819-23)など、その作品は多岐に亘る。<画家にして版画家>であるゴヤによる本作は、版画集『気まぐれ(ロス・カプリチョス)』(1799)に収められている。当時のスペインは、啓蒙主義に影響されたカルロス三世がさまざまな改革を進めてきた時代が終わり、社会が大きく乱れ始めたカルロス四世の時代。啓蒙思想のひとつの頂点であるフランス革命がロベスピエールの恐怖政治を経由してテルミドール、ブリュメールのクーデターで終わりを告げる時代である。《理性の眠りは怪物を生む》には、眠る人物の背後に飛び交う怪しげな蝙蝠と梟の群れ、画面右下の目を爛々と輝かせた山猫が描かれ、理性による人間の奥底に眠る欲望の制御不可能性、啓蒙主義の終焉を読み取ることができるだろう。一方、『狂気の歴史』の最後でミシェル・フーコーは、ゴヤやサドによって、抑圧されてきた人間の奥底にあるもの、非理性的な情念が表象可能となったとし、そこに人間の新たな創造/想像力の可能性を読み込んでもいる。

川田 潤

2020年1月~4月 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス 《シャロットの姫》(1888) 

John William Waterhouse (1849-1917), The Lady of Shalott (1888). Oil on canvas. 153 x 200 cm. Tate Britain, London.

 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(1849-1917)は、ギリシャ神話、伝説、シェイクスピア、キーツ等の幻想的な物語を、女性人物を中心に描く作品で知られる。本作はアルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1809-92)の同名の詩を題材にしたウォーターハウスの代表作のひとつである。

シャロットの姫は呪いのために城の外の世界を直接見ることが許されず、鏡に映る景色をはたに織り続けている。ある日、近くを通った騎士に惹かれて禁を破り、鏡が割れる。

本作が描くのは、その直後、運命を悟った姫が城を出て小舟で川に出る場面である。背景は暗めのトーンで統一されたおぼろげで地味な野外風景のようにみえる。それとは対照的に、姫の憔悴した表情、金の装飾が施された純白の衣装、小舟のへりにかけられた彼女の織物(鏡を模した円形模様には騎士の姿がみえる)、そして小舟の描写は極めて鮮明である。それはカメラで焦点を合わせたような鮮明さであり、写真のような現実味と迫真性がある。

 筆者が初めて本作を目にしたのは、20年ほど前にテート・ブリテンを訪れた時のことだった。予想以上に大きな作品で、テニスンの幻想詩の主人公を現実世界に現出させたかのような画家の筆致に大いに興味をかきたてられた。「私の一枚」はウォーターハウスの《シャロットの姫》である。

(竹森 徹士 )

2019年9月~12月 クロード・ジュレ(ロラン)《キューピッドの館とプシュケのいる風景、あるいは 魔法をかけられた城》(1664) 

Claude Gellée, alias Lorrain (1600 or 04/5? - 82), Landscape with Psyche outside the Palace of Cupid, or The Enchanted Castle (1664). The National Gallery, London, Oil on canvas. 88.5×152.7cm. 

 クロード・ジュレは、一般的にはフランスの出身地の地名からクロード・ロランと呼ばれることが多い。このもと菓子職人は、ローマの画家アゴスティーノ・タッシ(Agostino Tassi, c.1580-1644)に弟子入りして画家として頭角を現す。

 この絵の主題であるキューピッドとプシュケの話は、アプレイウス(Lucius Apuleius Madaurensis, c.124- c.170 AD)の『変身物語』(別名『黄金のロバ』)(The Metamorphoses, or The Golden Ass, c.170 AD ?)による。姉たちに唆されたプシュケが、毎日夜明けと共に去っていくキューピッドの正体を見ようとした途端、彼は去ってしまい、彼女は川のほとりに一人取り残されてしまう。絵の前景には、その悲しみに暮れているプシュケがいる。中景には、彼女がそれまで幸せに暮らしていた城が描かれ、遠景の夕日を背に浴びている。絵の両袖にある木々や岩山は、鑑賞者の視線を前景のプシュケから中景の城へ、そしてその彼方の夕日が輝く遠景へと誘う。この夕日の光は、この絵全体に奥行きを持たせると同時に、影になっている前景を際立たせて優しく包み込んでいるようである。

 このようなピクチャレスクの風景は、ロマン主義の時代に多くの人の心を惹きつけた。キーツ(John Keats, 1795-1821)は、当時病床にあった友人レノルズ(John Hamilton Reynolds, 1794-1852)に宛てた書簡体詩の中で、この絵の城に言及して「ああ、太陽神アポロよ、もし御身の神聖な言葉があれば、病に伏せっている友に、美しい夢のようにこの城のことを語ってあげられるのに」と述べている(“To J. H. Reynolds, Esq.”, ll. 30-32)。この絵の景色は確かに詩人の想像力を掻き立てる力を有している。

笹川 浩

2019年5月~8月 ヘンリー・ウォリス《彫刻家の工房、ストラットフォード・アポン・エイボン、1617年》(1857)

Henry Wallis (1830-1916), A Sculptor's Workshop, Stratford-upon-Avon, 1617 (1857). Oil on canvas. 31 x 53cm. Royal Shakespeare Company Collection. 

 ヘンリー・ウォリスといえば、17歳で貧窮のため砒素を飲んで自殺した詩人トマス・チャタートン(1752-70)を描いたThe Death of Chatterton (1856)が、現在では代表作だろう。しかし、その翌年に発表された上記の作品も隠れた名作である。1849年、独人画家ルドウィック・ベッカーがシェイクスピアのデス・マスク(現在では贋作とされている)を発見したと発表し、センセーションを巻き起こした。ウォリスはそれにインスピレーションを得て、彫刻家(おそらくはGerard Johnson [fl. 1612-1623])が、シェイクスピアの死の翌年、自分の工房で彼のデス・マスクをもとに、その似姿を彫っている姿を想像で描いている。彫刻家の背後には詩人の故郷のエイヴォン川が流れており、遠くに見えるのは彼が眠っているホーリー・トリニティ教会である。左手の彫刻家の子供たちの愛らしさや窓から見える花々の細密描写などのラファエロ前派的な特徴と、シェイクスピアの故郷をリアルに描く現場主義、そしてロマン派的なシェイクスピア崇拝(bardolatry)が融け合って、見事な仕上がりの一枚になっている。 

(佐々木 和貴 )

2019年1月~4月 ダニエル・マクリース(1806-70)《ネルソンの死》(1859-64) 

Daniel Maclise (1806-70; RA 1840), The Death of Nelson (1859-64). Walker Art Gallery, Liverpool.  Oil on Canvas.  98.5 x 353.0 cm. 

 2018年の創立250周年に向けて、ロイヤル・アカデミーはヴィクトリア朝時代のダニエル・マクリースの歴史画の再評価を試みた。その代表作は、ウェストミンスター宮殿の壁面を向かい合うようにして飾る宮殿内最大のフレスコ画(それぞれ幅35.3m以上)であり、そのひとつが、1805年のトラファルガーの戦いを描いた《ヴィクトリー号船上でハーディー大佐に看取られて死するネルソン》である(1865年完成)。ここに掲示した油彩画は、壁画の本来の色彩を今日に伝える貴重な下絵である。

 ラファエル前派のダンテ・ガブリエル・ロセッティに称えられた肖像画の技術や、シェイクスピア劇の場面を描くことで培われた人物のポーズや表情、動きの演劇的な描写は、事実の詳細な再現によって裏付けを与えられ、登場人物の多さにも関わらず画面は作品としての一貫性を保ち、英雄の最後の瞬間へ、物語と視線を静かに集中させる。対を成す壁画は、1815年の出来事を描く《ウォータールーの戦いの後のウェリントンとブリュヒャーの邂逅》の図である。ロマン主義時代の史実を題材にしたアイルランド人の画家は、アルバート公やディズレイリ、そしてディケンズからも信頼を得て、歴史画の「ジャンルとしての評価」を高めたといえる。

(樋渡 さゆり )

2018年9月~12月 ヘンリー・フューズリ(1741-1825)《血の短剣を夫から奪うマクベス夫人》 (1812) 

Henry Fuseli, Lady Macbeth Seizing Daggers. 1812. Oil on canvas. 1016 x1270mm. Tate Britain. 

 これは『マクベス』名場面の一つ、第2幕第2場54行-55行の、強烈な印象をそのまま視覚化したヘンリー・フューズリの油絵(1812)である。ダンカン王殺害直後、血の滴る二本の短剣を手に恐怖に慄くマクベスにマクベス夫人は「意気地のない!短剣をおよこしなさい」(小田島雄志訳)と迫っている。

 フューズリと言えば、メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』(1818)の第3巻6章のエリザベス殺害場面は、彼の《夢魔》 (The Nightmare, 1781) の女性像から感興を得たものという指摘はよく知られている。フューズリには、上掲作品以外の『マクベス』の場面を含めシェイクスピアを題材にした独自の美術作品も幾つかあり、1789年開設のボイデル・シェイクスピア・ギャラリー (Boydell Shakespeare Gallery) に発表された。上掲作品はその後の経過を経て現在テート・ブリテンに展示されるようになったと思われる。

 メアリ・シェリーにはシェイクスピアからの引用、言及は多数あるが、『マクベス』に関して特別なものはない。『フランケンシュタイン』は、「自然(“nature”) のすみか」を犯し怪物を創出したヴィクターが当の怪物との間で演じる復讐劇である。上のフューズリの油絵を見て(いるとすれば)メアリは『マクベス』第2幕第2場にどんな感想を持ったか聞いてみたいものだ。

(平井 山美  )

2018年5月~8月 ウィリアム・ブレイク《チョーサーのカンタベリー巡礼者たち》 

Chaucers Canterbury Pilgrims. Engraved by William Blake. 1810. 35.3 x 94.2 cm. London: British Museum. 

 ウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757-1827)の手による《チョーサーのカンタベリー巡礼者たち》(Chaucers Canterbury Pilgrims, 1810)。ジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer, c. 1343-1400)の『カンタベリー物語』(The Canterbury Tales, 1387?-1400)、「総序」(General Prologue)に登場する、ロンドンのタバード・インを出て、カンタベリーへ向かう巡礼者一行を描いた場面である。2003年の頃だったと思うが、冬のカンタベリーで泊まったホテルの暖炉の上にこの絵がかかってあった。騎士、免罪符売、法律家、修道僧、バースの女房等……。異国の地で旧友に会ったような、故人の家で故人の写真を見たような、懐かしさを感じたことを思い出す。

 『カンタベリー物語』は、様々な社会階層の旅人たちが聖人トマス・ベケットの聖地へ巡礼するという名目はあるにせよ、お伊勢参りのような「物見遊山」の面もあり、14世紀版観光旅行を扱った作品ということができよう。タイトルこそ「カンタベリー」であるものの、巡礼者たちがカンタベリーにつく前に物語は終わってしまう。チョーサーの寿命が尽きてしまったからかもしれないが、仮にチョーサーが当時の寿命をはるかに超えて長生きしたとして、果たして聖地にたどり着く場面まで書いたかどうか。極端に言えば、巡礼者たちはあれだけ自分の話を喋りまくっていれば、聖地に着かなくても旅に満足したのではないかと思わせる。チョーサーがどこまで意図したかわからないが、合間に巡礼者同士や宿屋の主人とのやり取りを挟みながら話のリレーをしていく一行を通して、観光の本質は、観光資源を楽しむことだけでなく、その過程で会った人々とのつながりを味わうことだ、と示唆してくれているのではないか。ブレイクの巡礼図は、そうした巡礼者たちを鮮やかに描き出し、物語を浮かび上がらせている。

(菊池秋夫 )

2018年1月~4月 ダニエル・ガードナー《マクベスの三⼈の魔⼥》(1775)

Daniel Gardner(1750-1805), The Three Witches from Macbeth (1775), National Portrait Gallery, London. Gouache and Chalk, 37 in. x 31 1/8 in. 

 ドルリー・レーン劇場の俳優兼劇作家であり、共同経営者となったデイヴィッド・ギャリック(1717-79)によって18世紀中葉から次々とシェイクスピア劇が翻案上演され、新古典主義からロマン主義にいたる多くの画家達がシェイクスピア劇を題材とした。サー・ジョシュア・レノルズ(1723-92)の《悲劇のミューズ神に扮するシドンズ夫⼈》(1784)をはじめ、⼗⼋番の役に扮する⼈気⼥優たちの肖像画が流⾏し、⼀⽅でヘンリー・フューズリ(1741-1825)は幽霊や魔⼥といった超⾃然的な場⾯を幻想的に描いた。

 ダニエル・ガードナー(1750-1805)はパステルやグワッシュの⼩肖像画を得意とした画家で、この作品は『マクベス』の⼤釜を囲む魔⼥に扮した貴婦⼈達の肖像画である。左からメルバーン⼦爵夫⼈エリザベス・ラム(1751-1818)、デヴォンシャー公爵夫⼈ジョージアナ・キャベンディッシュ(1757-1806)、彫刻家アン・シーモア・デイマー(1748-1828)である。三⼈の友情と素⼈家庭演劇を主題としつつ、この⼤釜の場⾯によって彼⼥達が有していた強い政治的影響⼒が⽰唆されている。ガードナーの軽妙でゆるやかな筆致は、レノルズともフューズリとも異なる独⾃のスタイルを形成している。⼥性の政治的活動への制約や風刺をものともせず、当時したたかに⽣きた彼⼥達を雅やかに描き出しており、その姿は今なお⼈々を魅惑し続けるだろう。

(佐藤恵 )

2017年9月~12月 ジョゼフ・ライト・オブ・ダービー《真空ポンプの中の鳥の実験》 (1768) 

Joseph Wright of Derby (1734-97),  An Experiment on a Bird in the Air Pump (1768). The National Gallery, London. Oil on Canvas. 182.9 x 243.9 cm.

ライト・オブ・ダービー(1734-97)の真骨頂は、キアロスクーロすなわち「陰影法」を駆使したcandlelit piecesと呼ばれる作品にある。画面全体を覆う闇とのコントラストにより、蝋燭や炎の光に照らされた場面がドラマティックに浮かび上がる。この作品では、真空のガラス器の中のインコが息を吹き返すか否か、その瀬戸際の瞬間が描かれている。

10名もの人物が描き込まれているが、光源に最も近いのは、ガラスの中の鳥に心配そうな視線を送る幼い少女である。顔をそむける年上の少女、そして父親らしき紳士の傍で、眉を寄せ鳥の運命を見つめる少女の表情は印象的である。その左隣では、独特な風貌の科学者が、ガラス内に空気を戻すタイミングをはかっている。そして一番左側では、実験のゆくえに微塵も関心を示すことなく、若い男女が見つめ合っている。

複数の人物を描き分ける手法は、例えばウィリアム・ホガースの風俗版画にも見られるが、類型化された定型表現ではない。各々の個性は、方向の異なる視線によってとりわけ強調されている。実際、ハイライトが当たった人物で、先の少女以外に鳥を見ている者はいない。鳥の運命を握る科学者ですら、目線が実験対象から外れている。光が暴露するのは、同じ場に居合わせながらも経験を共有しない人間たちである。

M・H・エイブラムズ風に言うならば、ロマン主義時代前夜に一人の画家が切り取ったのは、「鏡」のごとき模倣から表現者の存在が前景化する「ランプ」の世界へと向かう、狭間の一瞬なのかもしれない。

(今井裕美 )

2017年5月~8月 ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー《カルタゴを建設するディド》(1815) 

Joseph Mallord William Turner (1775-1851), Dido building Cartharge, or The Rise of the Carthaginian Empire (1815): Nationl Gallery London. Oil on Canvas 155×231.85cm 

 ターナー中期の歴史的風景画。左前景の青灰色の衣装を纏った人物がディドでありその対面の人物がアエネアス、右前景の建造物がディドの亡夫シュカイオスの墳墓。ターナーはウェルギリウス『アエネイス』中のアエネアスとカルタゴの女王ディドの悲恋を題材にした数多の歴史的風景画を生涯にわたって描いた。ターナーは、『アエネイス』をジョン・ドライデン (1631-1700) の翻訳 (1697) で読んでいた。ターナーは、私淑したフランス古典派の巨匠クロード・ロラン (1600?-1682) の2枚の絵の間に、この「カルタゴを建設するディド」と「蒸気の中に昇る太陽」(1807以前) を展示するように遺言に残し、今もそれが守られている。  英国ロマン派の風景画家ターナーの本領は、古典主義的伝統とロマン主義的革新の併存にあり、印象派に先駆けるその斬新性の在処もその辺にあるではないか。ウィリアム・ハズリット (1788-1830) は『ラウンド・テーブル』(1815-17)所収の「模倣論」(1816) の結論部の脚注で、技術に偏りがちな芸術家(詩人・画家)のひとりとしてターナーを挙げ、「彼の絵は、空気と土と水という要素からなる絵なのである。… この画家は、世界の原初の混沌への回帰を悦んでいるのだ」と述べたことがある。この評言は、ターナー後期のかたちが曖昧で漠然とした、印象派の光の表現に影響を与えたと画風そのものを既に言いあてている。そして、1815年ロイヤル・アカデミー出展のこの絵をハズリットは「模倣論」執筆前後に観ていたものと思われる。


(遠藤健一 )

2017年1月~4月 ウィリアム・ブレイク《乞食オペラ》

Beggar’s Opera, Act III (1790),  engraved by William Blake after Hogarth's Painting, The Beggar's Opera (1729), Tate Britain.

 ジョン・ゲイの『乞食オペラ』は、1728年の初演以来、62回の連続公演を果たし、ゲイに巨万の富をもたらした。ポップな歌謡曲(ballad)が散りばめられたこの作品は、ミュージカルの原点でもある。劇の総監督であったリッチは大いに気を良くして、ホガースに記念の絵を発注した。ここに掲げる版画は6点の油彩画の中でも特に秀でた絵に基づく。画面中央で両足を鎖に繋がれて仁王立ちするのが物語の主人公である追剥ぎのマクヒース。好色な伊達男である。獄中で、彼の悲運を嘆き悲しむのが二人の妻である。画面左手で背をこちら側に向け、膝まづき懇願するのは看守の娘であるルーシーで、看守である父に取りなしを願い出ている。一方、右手にはもう一人の妻であるポリーがいる。彼女は、ハンカチを振り絞るようにして父ピーチャムに告発の取り下げを懇願している。父は、盗品の買い上げを生業(なりわい)とする悪党であるが、義理の息子を密告し、官憲に売り渡したのだ。

 画面の両端には観客席があるが、これは当時の慣習そのままで、俳優たちが演じる舞台上に観客がいた。右端の人物は、実在したボールトン伯爵。彼はこの劇でポリー役を演じた女優を見初め、愛人として囲うことになる。なるほど、版画中のポリーの視線を辿ると伯爵と視線が交差している。二人の妻の間で困惑するマクヒースには、時の宰相ウォルポールが織り込まれており、彼が正妻と愛人の板挟みになっていたことを揶揄する。すなわち、フィクションのように見えて実はノンフィクションという仕掛けがそこかしこにある。

 この図版は一見するとロマン主義とは無縁である。だが、ロマン派の大詩人ブレイクがこの版画を彫版した。ホガースの油彩画の魅力を余すところなく伝えるブレイクの確かな彫版技術がこの一枚から透けて見えてくる。のみならず、猥雑な民衆オペラの一コマを切り取ったこのタブローには「経験の歌」の余韻が残る。

(中村隆)

2016年9月~12月 ジョゼフ・ファリントン《ライダルの下滝》 

 湖水地方のピクチャレスク旅行には必見の地点があった。ライダル・ホールはワーズワスが暮らしたライダル・マウントに隣接するが、その敷地内にあるライダルの下滝(Lower Fall at Rydal)はその一つであった。ウィリアム・メイソン(William Mason)は、グレイの『湖水地方旅日記』(Mr. Gray’s Journal of His Northern Tour, 1775)の注で、この滝を「ここでは自然が、細密画家のように、あらゆる細部を入念に仕上げた感がある。滝つぼに突き出た小岩から滝の岩肌に生えた小木の幹まで、すべてのものがピクチャレスク的意味合いを有している。そして、流れの中心は黒味の強い岩石に刻まれた滝道を落下するが、それは筆舌に尽くしがたく美しい光と影の効果を生み出している」と描写している。これは、ギルピンの『湖水地方のピクチャレスク美の観察記』(1786)上巻の記述とともに、この滝の存在をピクチャレスク愛好家に広く知らしめたのであった。

 「私の一枚」は「ライダルの下滝」の版画である。原画を描いたのはファリントン(Joseph Farington, 1747-1821)で、彼は早くから湖水地方の自然美に注目し、繰り返し足を運んだ画家であった。この版画には、ピクチャレスクが追求した低い視点、近景・中景・遠景を備えた構図、明暗の対比があり、メイソンの言葉による描写が巧みに視覚化されている。

 

(小田友弥)