国家論草案

色々日頃考えたことを書き留めてみようと思っている。何か思いついたら書き込む事で何らかの形にしたい。

//2024/07/30新規作成 題名案一つとデモクラシーの結実をいくつか書いた。項目もいくつか書いた。仕事の要点にいくつか書いた。

//2024/07/31追記 愛の必要性と教育の必要性をいくつか追記した。花のある生活のリンクを末尾に追記

//2024/08/01追記 生活の要点と笑いの原点と物語の人生論と国家論の題名案を追記した。仕事の要点も今日の日付で追記した。

ここからがどうするか難問である。国家論というよりは国民論である。それでも良い気はする。民主主義の美しい国家像を作り上げるのが目標。

ボチボチやりたい。組織と個人主義、総論の二項目追加した。

//2024/08/02追記 組織と個人主義を追記した。総論は今の所あんまり思いつかない。まあ時間をかけてどうにかする予定である。

結局総論を書いてしまった。総論追記。もうちょっと私に興味の持つ他人や社会はないのかと文句タラタラである。私の一方的な国家論になった気はする。

国家のことは知らないので必然的に国民論である。しばらく読み返して良く考えたい。私の実在論は課題があるか無いかこれに影響されるものあるのだろうか?

ロシアもアメリカも中国も何の課題があるのか無いのか提示すべきだと思う。一般国民に課題があるか無いかの方が大事である。

//2024/08/04追記 総論に追記仏教の実在論について言及した。少しはキルケゴールに近づいたか?それでも何か文章が短い気はする。それまで色々あったけど合掌。

//2024/08/08追記 総論に追記商売と労働についてと課題について交えて書き込んだ。私は御坊さんではない。それぐらい修行に見合った病人なんだと思う。病人の苦行。

//2024/08/15追記 私はこの国家論草案の神髄は民主主義が成立する事だと思っている。それには会話で相互理解と問題解決出来る手段が必要である。

そのためにあらゆる知識を使って民主主義が成立する事が最大の目標である。それが出来れば国家論草案は成功し出来なければ失敗である。

//2024/08/15その2追記 私には彼をどうしようもない。そのどうしようもない感を表現してみた。そんな人を許して良いのか私にはわからない。

//2024/08/17追記 スキル向上のトップページから再活用、結果と民主主義の帰結である。

//2024/08/18追記 今日のツイッターから書き込んだ。本当に人間の信用問題だと思う。そんなの私にもどうしようもない。

//2024/08/18追記その2 物語の人生論に追記。今日のツイッターより。いい人じゃあないケースもあると思うので書き込んでみた。それぐらい想像の個性が貧弱のように思う。それぐらい想像の欠如は物語に入れないのが原因のように思う。もっと色んな人がいていいと私は思う。

//2024/09/08追記 他人が結果を残せないだから民主主義の結果が残らない。それで民主主義が終わる。そんなんで良いのだろうかと思う。学歴職歴問題だと思う。結局自分の事しか考えないのが間違っていると思う。それぐらい結果が残らない奴がいる。私には不可抗力である。

//2024/11/05追記 再現性と人間らしく生きる事について明記した。結構人間として生きるのは生物学上意味があるように思う。それぐらい人間が特異のように思う。だから地球的にも宇宙的にも意味があるような気がする。日本に民主主義が根付くのかはアメリカ見ているとなかなか難しい気はする。だけど日本の民主主義でいいと思う。何から何までアメリカナイズすることない気はする。それが私の中学時代の「坂の上の雲」の司馬遼太郎だった。民主主義の勝利だった。

国家論の題名案 


波状国民論

島国の国民論

ビジネス国民論

自然国民論

科学国民論

太陽の国民論 


デモクラシーの結実 


民主主義が成功するには

個々の自己ベストを更新する個人が大切である。それが個人に可能にならないのは人権問題である。




自己ベストを一定に保つのも大事である。それを許さないのは不正義で人権問題である。




民主主義は国民の総和であって多数決ではない。色んな意見を尊重するのが民主主義である。

それが実現しないのが封建主義である。




理想と現実は両立しないと民主主義は混乱し社会問題である。徹底した理想と現実を元に議論すべきである。

それが可能にならないのは民主主義ではない。




国家権力はよく国民の総和の理解に努めるべきである。国民が何を考えてるのかわからないのは避けるべきである。

そういう意味で社会は国民の意見をよく聞くべきである。それが出来ないのは民主主義ではない。




色んな人が関わりながらゴールを目指すのが民主主義の根幹である。だからみんなが色々工夫するのが推奨される。

それが当たり前だからこそ民主主義のパワーなのである。いくら統治が困難でも民主主義は忘れてはいけない。




民主主義は結果オーライだと思う。結果が出ないのは民主主義じゃあないと思う。それを自覚して結果オーライを目指すべきである。

それぐらい民主主義は国民の総和である。特別な個人主義は封建主義の残像である。 



愛の必要性 


愛があるから勤勉になれる。誰かのためなら生きられる。愛があるから笑いがある。それは最終的に自分のためだと思う。自分の愛が残る。そのために人間は愛するのだと思う。だから愛のあるところに救いがある。愛が無いのは地獄絵図である。



愛は人それぞれである。それを理解せずして社会生活は出来ない。だけど愛があるから人間は個々を尊重するのだと思う。なのに個人に敵対するのは愛がわからないからだと思う。そういう無理解が世の中を停滞させる。それは霞が関も同じである。



そんな色んな愛を感じて人間は成長する。だから人それぞれの愛を知るのは大切である。愛のために生きてると言って過言ではない。それぐらい人間は愛するために生きてるのである。



なのに私を押し倒そうとする。生き残り戦略のためである。そうやって他人を思い描けないのは想像力の欠如である。それぐらい愛が欠如してる。そんな人間になってはいけない。そんな人に負けてはいけないのである。それぐらい愛には愛が共鳴するのを肝に命ずるべきである。



それぐらい困れば困るほど愛が必要で愛が解決してくれる。ほとんど愛の問題である。それぐらいの世界観で一日一日勉強と勤勉は進む。


行動力は愛も必要だと思う。行動力の無いところに愛は無い。なので人生の最後は愛が残る。 


教育の必要性 


結局専門書読めるのが一番早い。なので基本読み書きソロバンを時代を変えて手段を見出すべきである。

結構書くのは書くで技術がいる。何でも書けるようにした方が表現力がつき発想の元である。書くには読書も必要である。ソロバンは計算である。代数方程式ぐらいは何とかしたい。それに微分積分かな。大学ではもっと違う数学がある。なので読み書きソロバンは人生ずっと続く。



研究は読書量と文章力がものを言う。それぐらい読み書きの格闘である。そういう事を通じてあの手この手が生まれる。説明も大事である。色んな人に説明するような機会も大事である。それぐらいわかりやすい説明を何遍もくり返すべきだと思う。それが自分の思考を鍛える。



外国語も格闘すべきだとは思う。結構気分転換にはなる。まあ英語がどうしても基準になるけれど色んな世界を知るキッカケのように思う。外の世界を感じるのは大切だと思う。



そういった事が先生を通じて可能になれば良いけれどなかなかそうならない。結局自分でやる部分は出てくる。それを覚悟して自分なりにやるしかない。自分でやる方が早い。他人まかせではどうしても遅れる。出来るなら自分でやった方が良い。特に高校ぐらいからは自分でやる方が強くなる。先生なんてアテにならない。



私は本当の教育は先生が生徒に色々つついて行動をうながすのが教育だと思っている。だから生徒は行動が主体であるべきである。その行動が止まっているのなら教育にならないと思う。用心する事はあるかもしれないが行動が主体的な実践方法だと思う。それをうながすのが先生だと私は思っている。

なのに大半は受け身の授業である。それがそもそもの間違いである。

色々行動してみて考えてまた行動が学校のやる事だと私は思ってる。



なので読み書きソロバンが格闘出来るのが成功の道だと思っている。格闘あるのみ。そこに発想が浮かぶ。ひたすら格闘。それが出来るのがアドバイスである。 


仕事の要点 


報告連絡相談を上司と部下で徹底する。


仕事量は普通並みが達成出来なければ他の仕事するしかない。その辺は上司と部下で認識を共有するしかない。

やってみないとわからない事もある。だから報告連絡相談大事。

//2024/08/01追記

もう題目とか座禅とかして集中力つけた方が良い。悟れない仕事とか悟れない生活とかしてる。それぐらい体感が東洋哲学らしい。

それぐらい一つ一つ集中出来ない悟りである。そんな事まで私は知らない。それも毎日くり返して朝から集中出来ないなんて悟りにほど遠い。

ここまで来るとお陀仏ぐらいしか思いつかない。


生活の要点 


食事も買物も時間がかかる。それもインターネットと車で半減される。

それなりに楽しもうとしたら工夫出来る気はする。

野菜が食べたいとか肉が食べたいとか辛いものが食べたいとか魚が食べたいとか買物もウインドウショッピングで時間は使える。

それぐらい楽しめるかが生活の要点だと思う。



生活に興味が無いなら厳しいと思う。色々自分でやる生活があるから工夫出来る気はする。

それぐらい生活にも自由度があるように思う。それを実行するかしないかは本人の選択だと思う。

仕事上生活にまわれないビジネスマンもいるように思う。自分なりにやっていけば工夫は出来る。

もうやるかやらないかぐらいしかない。



仕事の勉強もままならず生活もままならずというのが一番の悲劇だと思う。

自分なりに工夫が残らないからである。なのでどこで自分の自由度を獲得するか思案のしどころのように思う。

それぐらい人間は時間に追い立てられて何が残るのか難しい難問で結局色々楽しむのが問題の突破口ではある。 


組織と個人主義


組織と個人主義は表裏一体である。組織が成立しないなら個人主義も成立しない。個人主義が成立しないなら組織も成立しない。組織の行なう詳細と物量は個人主義の人数で支えられる。



それぐらい個人主義が連動しないと組織にならない。個人主義がわかるから組織がわかる。組織がわかるから個人主義がわかる。それがゴチャゴチャにしてるから顔の見えない組織や個人主義になる。



私の事は十分過ぎる。むしろ下ばかり見てる人が仕事になるのかの方が大事だと思う。

それぐらい組織の存続が危うい。もちろん個人も義務を果たさないのだから権利が無い。存在してるだけの基本的人権しかない。

そして私には基本的人権が無い。

本当にこの日本は犯罪大国日本である。それぐらい社会の接触が無い。



それぐらい義務を果たさないと下ばかり見てる人は

人件費さえまかなえない。私にはその方が問題が多いと思う。

それは教育が間違っているからだと思う。それぐらい個人が仕事に結びつかない。

組織と個人主義的に社会問題である。それぐらい仕事にならない。

私にはどうしようもない。それぐらい組織と個人主義が連動しない。

それが日本の最悪な所である。教育と社会と人間が成立しないのが問題である。 



笑いの原点 


子供心に面白いと思う事がテレビにもあった。そういう意味でテレビの情報が貴重だった。

そういう意味で面白い事には貪欲だった。

そういう十代だったのが私の学生生活だったのが私の笑いの原点だったような気はする。



競馬もしたしカラオケもしたしボーリングもしたし麻雀もした。最近はあんまり麻雀の勉強もしない。

そんな時間が無い。ゲームもプログラミングがらみである。

Minecraft educationを週三でPythonコーディングを今やっている。



落語や漫才やコント見るのもあるし能や狂言や歌舞伎や文楽もある。

荒木又右衛門と曽我兄弟の本も読んでる。短歌や俳句も自分なりに作ってる。



それが私の笑いの原点になると思って過ごしてる。

私の爺さんが落語をラジオで聞いてると母が言ってた。

まさか私が落語を聞くとは思わなかった。

そういう人間関係が色んな興味に発展してる。 


物語の人生論 


色んな物語が色んな世界に色々作用してる気はする。それぐらい物語に多様性を生み出してる。

一人の世界にしておかない物語の力がある。だから物語が人間に力を与える影響は絶大である。



西遊記と三国志演義の本は中国由来である。小学生の時読んだと思う。

何か孫悟空と諸葛亮孔明は縦横無尽だった。孫悟空なんて天界から何から何まで暴れてた。

諸葛亮孔明は軍師の魅力たっぷりだった。本だけでなくテレビや漫画も見たり読んだりした。


他にも江戸川乱歩とかシャーロック・ホームズとかも読んだ。

高校の時は剣士もの読んで私も剣道もっと色々やるべきだったかもと思った。

それぐらい物語には人に力を与える力がある。多角的なものの見方を与える。

それぐらい狭い世界で考えるのは危険である。

それぐらい自然にも色々ありそうである。ネバーギブアップである。 

//2024/08/18追記その2

物語に入っていけないから「いい人」になろうとする気がする。物語があれば「いい人」にこだわらないと思う。

要するに他の人もありになる。それぐらい成功するケースは様々なのに「いい人」しか生き残れないのは明らかに中年のやる事ではない。

それぐらい色んな成功例がわからないのが物語に出てる。

そんな多種多様な物語が無い。それが他人につまらなくする原因だと思う。それぐらい物語には可能性があるような気はする。

何も主人公だけがスポットライトに当たるわけでない。そんな物語が無いのが人間をつまらなくさせていると私は思う。

決して「いい人」だけで世の中は成立していないと物語で思う。もっと色んな人が居ていい。

それがわからないのが物語に入れないからだと思う。なので私は基本的に彼に関わりたくない。関わるだけつまらないからである。



総論

総じてやる事やるとやる事あると毎朝の計画に集中する。そんな毎日が送れないのは国家や社会や会社や学校が悪い。

それぐらい世界には色んな事がある。それでもやる事は善処ぐらいである。出来るだけ自分の最善を尽くすしかない。

それが出来ないのは何かが間違っている。



プログラムやっていると整合性は大事のように思う。それぐらい端末の整合性の方が上回るように思う。

それが人間にとって端末に追いつかない理由に思う。もっと人間の価値を見出さないとエラーばっかり起こる。

それぐらい人間より端末の方が正確である。それを肝に銘じてプログラムをする必要がある。



何となくデータより理論の方が大事だと思ってしまうのは私のせいだろうと思う。それは物語の方が大事なのと似ている気はする。

その方が人間らしい気はする。データで色々言われても効果的な経済に持ちこむまで物語に近いものがあると思う。

なので物理の物は物体の物で無く物語の物ではないかと私は思う。なのでものがたりのことわりが物理のように思う。

そのため物理にも人文的要素が研究に影響するように私は思う。数学的なのは直観的だが問題解決は人文的だと思う。



これでも物理と数学の勉強する課題がある。もうなんか時間が足らない気はする。それでも何か人間的使命のように思う。

なので私の実在論は自分の課題があるか無いかぐらいしかない。課題が無いとしたら違う世界に飛び込むしかない。


//2024/08/04追記

実在論仏教の悟りが物事の根本なのかと思ったけどひたすら課題をこなすのが仏教の実在論のような気がする。

だとしたら他人は他人の課題をこなす必要があり私なんて関係無いと思う。なのに私に関わることで実在論を獲得しようとする。他人依存症。 

何か課題をたくさんこなすうちに物事をこだわらなくなるのが悟りのように思う。だから何でも課題はこなすべきである。

それぐらい一日が充実すれば悟りに近づく。執着を捨てるのは課題をこなすから自由度が生まれる。

あんなことこんなことが普通になって特別にならない。そこで冷静な対応が生まれる。 


//2024/08/08追記 /*私は御坊さんではない。それぐらい修行に見合った病人なんだと思う。病人の苦行。 */

存在するだけで価値があるなんて「我思う故に我あり」しか思いつかない。

何か商売考えるよりは労働した方が良いと思うのが労働者のように思う。

そういう意味では課題を片付ける方を選択する我が身としても労働者に近い気はする。

正確に労働者かは判断難しいけど我が身はそういう位置づけだと思う。

だけど色んな事を考えてきた。そこら辺が若干労働者と違う点かなと思う。手と足を動かして何かを考えてきた。

それは商売でもあり労働でもあった気はする。しかしそんなに時間労働して生産性上がるのか私には不思議。

長時間労働なんて耐えられるのホワイトカラーだけのように思う。それが私の本音。

何となく今までの私自身の存在は「課題があるうちが花」のように思う。それぐらい要所要所で課題を乗り越えてきた。

それは大学を出てからも続いた。もちろん大学の中でも色々あったけど大学の外でも色々あった。

だから自分に課題があるか無いのかは重要項目。課題が無ければ外の世界へ出る。


//2024/08/15追記

私には私の辛い経験がわかってくれない。他人は他人の辛さしかわからず他の辛さがわからないのである。だから一方通行なのだと思う。

会話が成立しない。それでは民主主義が成立しない。私には絶望としか思えない。会話で済まないからである。

私は民主主義が成立するとは会話で済むからだと思っている。 

//2024/08/15その2追記

やる事やるの勇気と覚悟と愛があり課題と自由と自然体を目指さないと成就しない気はする。ほとんど私の問題というより彼の問題だと思う。

なのに何で私が悪くなるのか理解が出来ない。 それぐらいのやる事やらないと民主主義も成立せず会話が成立しない。

何もかも不安や結果が出ないのはやる事やって物事が済まないからである。私には不可抗力である。

それぐらいの生活や仕事が成立しない。是々非々で進まない。民主主義が結果オーライにならない。それは日本社会の敗北だと思う。

そんな事を許して良いのか私にはどうしようもないのである。

//2024/09/08追記

自然体で習慣的にやるのが最強だと思う。自分が疲れてるか疲れてないかの判断も大事だと思う。基本疲れたら休むだとは思う。

だから自然体で習慣的にやるように持ち込む自分がいないと何やっても無駄。そんな事まで私にはどうしようもない。

私が極悪非道なのに私に関わろうとする。自己矛盾と思う。

それぐらいわけのわからん奴だぐらいしかない。それだから犯罪だと思う。何やっても許される状態だからである。

それで向こうは正義のつもりでいる。なので勉強のしない民主主義は成立しない。棚からぼた餅では結果が出ない。

結果の出ない民主主義は成立しない。返って向こうが極悪非道。接点無し。

//2024/08/18追記

自分を信じないと何をやってもうまくいかない。自分の信じる道を行かないと間違った道になる。

人間関係も自分の事を棚上げするからうまくいかない。そんな事は常識でわかる。それなのに非常識が当たり前なんて私の思考に入らない。

民主主義で結果が残らないのは非常識のせいで自分と他人が成立しない。信用問題。

//2024/11/05追記

まあ正論よりは再現性ですよね。その辺が理系なのかもしれないけど正論が再現性が無ければただの迷惑でしかない。

なので私は私の中の再現性を求めているだけである。私はもっと人間らしく生きた方が良いと思う。

それぐらい人間のやる事は多岐に渡る。それを知らずして人間と思えない。人間なめてる。

人間の世界はそんなに簡単なものじゃあない。そこに敬意があっていい。なのに人間の苦労がわからないだけである。会話が成立しない。

これでは民主主義は成立しない。そんな事まで私はどうしたらいいのかわからない。しかるべき専門家が考えるべきである。

それを土台に共有すべきだと思う。私には無理。 

//2024/08/17追記

そして最後は民主主義だと思う。それが成立するのが大切だと思う。それは民主主義で結果が残るのが一番大事だと思う。

結果が残るから国民が活躍するという相乗効果である。それぐらいヒーローが色々入れかわるから層が厚くなる。

それには当然結果がついてくるからだと思う。それが結果につながらないから民主主義が危うくなる。それは避けないと民主主義は成立しない。



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