Search this site
Embedded Files
Skip to main content
Skip to navigation
獅子ヶ谷剣道クラブ
ホーム
クラブ紹介
入会案内
獅子剣会報
活動記録
掲示物
剣道あれこれ
剣 道・日本剣道形の歴史
木刀による剣道基本技稽古法
蜻蛉(とんぼ)について
見取り稽古について
剣道着・袴について
剣道具(防具)について
竹刀の点検と手入れ方法
真竹の竹刀について
獅子剣リモート稽古
過去のトピックス
獅子ヶ谷剣道クラブ
<蜻蛉(トンボ)について >
■佐藤先生作 蜻蛉やじろべえ
蜻蛉(勝ち虫)
割れた竹刀を活用した、蜻蛉のやじろべえです。
佐藤先生の剣道と同じで、絶妙のバランスで、まっすぐ大空を飛び回っている様な風格があります。
共に稽古に励んだ竹刀、竹刀としての役割を終えた後は、やじろべえとして新たな命を吹き込まれ、いつまでも大空を滑空することでしょう。
■剣道と蜻蛉(とんぼ)の関わり
日本最古の史書といわれている『日本書紀』にも、当時の日本を「あきつ」(蜻蛉の異名)と呼ばれていた事が記されています。
それによると、初代天皇とされる神武天皇が大和国(現在の奈良?)の小高い丘に登り、自分の領土を見渡して、その形が「あきつ(蜻蛉)が交尾しているようだ」と言ったことがきっかけだそうです。
また、第21代の雄略天皇が、吉野の原野で狩りをしたとき、アブがその腕を刺したところへ蜻蛉が飛んできて、そのアブをさらっていった故事が記されており。そこから強い虫、縁起の良い虫とされ勝虫と呼ばれるようになったという説や、蜻蛉は、前へ前へと進んで決して後ろに下がらず、空中で獲物を捕まえることから勇猛果敢で強い虫とされ勝虫と呼ばれるようになったという説などがあります。
昔の武士は、常に死と隣りあわせだったため、常に縁起を担いでいたといいます。
そんななかで、蜻蛉(勝ち虫)は勇敢で強いイメージから、武具の装飾に好んで使われてきました。
そのほか、蜻蛉にまつわる言い伝えには、以下のものがあります。
・幼虫のときは甲冑のような姿をし、成虫になり獲物を捕らえたまま空を飛ぶ姿の勇ましさから、戦国の世の人々が縁起をかついだものらしいです。
・疫病にかからないためのまじない事として始まったお正月の「羽根つき」もカトリヤンマというトンボがモデルになっています。
・弥生時代の中期から終わり(紀元前2世紀頃~紀元3世紀頃)にかけて作られた銅鐸の原始絵画には、トンボの図柄が数例見られる。これはカマキリやクモなどとともに、稲の害虫を捕食する益虫として、豊作への祈りを込めて描かれたものであろうと考えられています。
■最後に
上記のような理由から、本ホームページの背景としても蜻蛉を使っています。
Google Sites
Report abuse
Google Sites
Report abuse