<剣 道・日本剣道形の歴史 >

■剣道・日本剣道形の歴史

剣道の前進である剣術は、古くは平安時代に起こり、鎌倉、室町、戦国時代の武家社会で「天 真正伝神道流」、「卜伝流」、

「新影流」といった三大源流の流派剣術へ発展した。

江戸時代になると、世の安定に伴い戦がなくなったため、実践よりも形の稽古が主流となり、さらに多くの流派が現れた。

その後、江戸中期になると、竹を四つに割った現在の竹刀の原型が出来、防具も発展したこと から、実践の剣術が主流と なった。

江戸時代末期には、国防意識の高まりからさらに剣術が盛んになり、他流試合等も行われるよ うになったが、その後の明 治維新により、脱刀令、廃刀令が公布され、身分制度も廃止されたことから、武士階級が消滅 した。

これにより、県によっては剣術も禁止されるところが出てきて、剣術も衰退して行った。

しかし、日清戦争を境に再び武道の必要性が唱えられ、明治28年には武道の総本山として、 大日本武徳会が設立された。

この頃から、剣術から剣道と呼ばれるようになり、学校の正課として剣道が取り入れられるよ うになった。

大正時代になると、それまで多くの流派に分かれていた剣道を、流派を超えた新たな形に統一 する動きが出てきて、大正 元年、大日本帝国剣道形(現在の日本剣道形)が制定された。


■剣道形の制定

根岸信五郎、門奈正、内藤高治、高野佐三郎、辻真平らが主査委員となって各流名派の形を取り入れながら検討を重 ね たが、その選定には各流派の威信がかかっており、自害覚悟で選定に望んだといわれている。

大正から昭和初期にかけて、軍国主義とともに剣道はますます盛んになっていったが、太平洋戦争での敗戦を境に 剣道 が禁止された。そんな中、「しない」競技としてポイントを競うスポーツが起こったが、剣道復活の気運が高く、 所先輩方の 努力により、昭和27年に全日本剣道連盟が結成され現在に至る。

以上のように、剣道、日本剣道形の歴史は、古くは平安時代に遡るものであり、衰退、反映を繰り返しながら、先 人達の 努力により現在に引き継がれているものです。


■太刀の形

一本目 (打太刀:諸手左上段 仕太刀:諸手右上段)

二本目 (打太刀:中段 仕太刀:中段)

三本目 (打太刀:下段 仕太刀:下段)

四本目 (打太刀:八相 仕太刀:脇構え)

五本目 (打太刀:諸手左上段 仕太刀:中段)

六本目 (打太刀:中段 仕太刀:下段)

七本目 (打太刀:中段 仕太刀:中段)


■小太刀の形

一本目 (打太刀:諸手左上段 仕太刀:中段半身)

二本目 (打太刀:下段 仕太刀:中段半身)

三本目 (打太刀:中段 仕太刀:下段半身)