東京大学の並木研究室では、障害や病気の有無に関わらず、科学の研究や学習ができるような環境をつくる方法を研究しています。その研究の一環として、このプログラム「インクルーシブラボで生物実験タイム!」では、障害や病気のある中学生・高校生を研究室に招き、実際に実験を行ってもらうことで、実験環境のバリアをなくしていくためにはどうしたらよいのかをいっしょに考えていきます。
障害のある生徒は、学校の理科実験では同級生の作業を見るだけで、自分自身で手を動かすことが少ないかもしれません。このプログラムでは、まず自分自身で実験を行ってもらうことを目指します。実験の作業が難しい場合は、どのような工夫や支援があればできるようになるかを考えます。社会生活において障害のある人の体験する社会のなかのバリアを解消するための対応のことを「合理的配慮」といいますが、実験室でも同じように、合理的配慮の具体的な方法を検討していきたいと思います。生徒だけで考えるのではなく、プログラムに参加する教員や研究者、支援機器の専門家、医療専門職のスタッフと話し合いをして、いっしょに手段を検討していきます。
今回取り組む実験のテーマは「生体電気の計測」です。生き物の電気を測る実験は、測定機器が高額で、また、機器のセットアップも複雑であるため、大学の生物学実験レベルでないと取り上げられることが少ないという事情がありました。しかし、米国の企業によって安価で小型の測定装置が開発されたため、このプログラムではそれを使います。手のひらサイズであることから、実験中の移動が少なくなり、手の動作の範囲もより狭いものになるため、例えば車椅子の利用者にとって使いやすいです。
実験内容は、大きくふたつに分かれています。前半は、手技としては比較的簡単な筋電の計測を通じて、生体電気の基礎を学びます。自分の腕などに電極を貼り、アンプを使って増幅した信号を、オシロスコープのアプリで確認します。また、音や振動に変換して同じ筋電位の信号を体験してみます。
後半は、より細かい操作が求められる植物の電気生理実験を行います。あまり知られていませんが、植物の体内でも動物の神経系のような電気信号による情報処理が行われています。虫にかじられたときなどに信号が発生しますが、このプログラムでは、観察がしやすい材料として、食虫植物のハエトリソウやオジギソウなどの動く植物をあつかいます。どちらの植物でも、機械的な刺激によって葉が閉じますが、このときに葉と土にそれぞれ電極をさすことで、間を流れる電気を測ることができます。
以下のスケジュールは大まかな目安です。参加者の様子を見ながら、実験の進行速度を調整したり、休憩を取ったりします。また、実験用の植物の状態によっても、実験内容がいくらか変更になる可能性がありますので、ご了承ください。
9時30分 受付開始
10時 参加者の自己紹介、研究室の紹介など
講義「実験室の合理的配慮」
11時 筋電位の計測
講義「生き物が使う電気について」
実験「自分の筋肉の電気を測ってみよう」
12時 お昼休み
13時 (必要に応じて、筋電位の計測の続き)
植物電位の計測
講義「植物の運動について」(資料:PDF)
実験「植物の電気を測ってみよう」
14時30分 休憩
15時 植物電位の計測の続き
16時 実験の振り返り
未来の博士号授与式
17時 解散
実習の参考資料(動画)
①合理的配慮(28分)
(実験室の合理的配慮、合理的配慮の事例、障害者のSTEM支援事例)
②動物の電気について(14分)
③植物の電気(11分)
自分の筋肉に電極を付けて、電圧の変化を測定する。筋肉に力を入れたり、力を抜いたりしたときに、どのような電圧の変化が生じるかなどを観察する。
測定装置 Muscle SpikerBox(Backyard Brains社)
分析用アプリ Spike Recorder(Backyard Brains社)
手順1.医療用の電極を皮膚に貼り付ける。計測したい筋肉の上に2枚、それ以外の皮膚の上に1枚、合計3枚の電極を用いる。
図.電極を貼り付ける様子
図.貼り付けた電極の金属部分をワニ口クリップでつかむ
手順2.3枚の電極と測定装置を導線でつなぐ。
図.ケーブルを装置(SpikerBox)に差し込む
図.電極とアンプをケーブルでつなぐ
赤いケーブルを測る筋肉へ、黒いケーブルは筋肉が少ないところへ(参照電極)(Backyard Brains社ホームページの画像)https://backyardbrains.com/cdn/shop/files/muscleSpikerBoxHand.jpg?v=1737581020
手順3.測定装置のスイッチを入れると、筋肉のつくる電気を検出することができる。
手順4.筋電をいくつかの方法で観察する。測定装置をスピーカーやイヤホンにつなげば、電気信号を音として観察することができる。また、タブレットやパソコンなどにつなげば、装置を作ったメーカーのアプリを使って、信号をグラフとして見たり、録音したりすることができる。
SpikerBoxで筋電図を測る様子:https://www.youtube.com/watch?v=ORKiNwgW9Lc
植物に電極を付けて、電圧の変化を測定する。今回の実験では、ハエトリソウという速い動きを特徴とする植物を実験に使用することで、植物の動きに伴って生じる電気信号を計測する。
参考ウェブページ:基礎生物学研究所「食虫植物ハエトリソウの記憶の仕組みを解明」
https://www.nibb.ac.jp/press/2020/10/06.html
測定装置 Plant SpikerBox(Backyard Brains社)
メーカーウェブページ:https://backyardbrains.com/products/plantspikerbox
使用法の説明文書:https://backyardbrains.com/experiments/plantspikerbox_VenusFlytrap
製品紹介動画(TED):https://www.youtube.com/watch?v=pvBlSFVmoaw
分析用アプリ Spike Recorder(Backyard Brains社)
手順1:ハエトリソウの葉の外側に接触するように、金属線でできた電極を設置する。
手順2:葉と電極の間に導電性ジェルを付けて、通電しやすくする。
手順3:参照電極を近くの土にさす。
手順4:2つの電極と測定装置を導線でつなぐ。
手順5:測定装置とタブレット端末(またはパソコン)をケーブルでつなぐ。
手順6:測定装置のスイッチを入れ、タブレットのアプリを起動すると、ハエトリソウの電気を計測することができる。
手順7:葉の内側にある感覚毛のうち、1本を1回だけ触る。(2回触れたり、2本の感覚毛に触れたりすると、葉が閉じてしまう。1度閉じると、数日間開かなくなることがあるので注意する。)
以上の実験内容を紹介する写真の著作権は、Backyard Brains社に帰属します。
2025年3月26日
健全な科学技術の発展のためには、様々な属性の方々が研究に参加することが重要です。しかし、現在、科学技術に携わる研究者には偏りが見られ、女性、特定の人種、障害のある方々など、参加の少ないマイノリティが存在しているのが現状です。科学における多様性の価値は、様々な機関に認知されています [1]。 国連の障害者権利条約では、締約国は障害のある方々が平等に教育・就労の機会を享受することを確保すると記載されています。国内でも、障害者差別解消法の施行や、合理的配慮に対する認識の高まりに伴い、大学に進学される障害学生の数は増加傾向にありますが、理工系分野への参加は依然として少ない状況です。多くの学生が理工系分野への参加を諦めてしまう要因として、実験室の物理的なバリアや実験における合理的配慮の不足に加え、実験する機会が得られないことも理工系分野を選択しない理由となっています [2]。
米国では、科学技術機会均等法により、マイノリティの方々のSTEM分野における教育・就労を支援する制度や文化が醸成され、参加が進んでいます [3]。米国で取り組まれている支援プログラムでは、同じマイノリティ属性の学生を集め、集中的な研究体験を提供することで、STEM分野のキャリアを選択する確率が高まるというエビデンスが明らかにされており、マイノリティの方々を対象とした科学実習が政策として推進されています [4]。一方、わが国では、障害のある高校生・大学生を対象とした科学実習などの研究体験の提供は行われていないのが現状です。申請者らの研究グループでは、これまでに実験室のバリアフリー化や、合理的配慮の検討支援システムの研究を進めてまいりました。本提案では、アクセシブルな実験室環境と実験に関わる合理的配慮を手配することで、障害のある生徒の方々に科学の体験を提供いたします(図1)。実習を重ねることで、環境整備と合理的配慮に関する知識を整理し、障害のある方々の科学実習を行う際のガイドラインを作成してまいります。
[1] US National Science Foundation. “Broadening Participation in STEM”, Major Initiative.
[2] Sukhai & Mohler (2016) Creating a culture of accessibility in the sciences. Elsevier.
[3] (地球科学) American Geosciences Institute (2015) Consensus Statement Regarding Access and Inclusion of Individuals Living with Disabilities in the Geosciences; (化学) American Chemical Society (2015) Teaching Chemistry to Students with Disabilities.
[4] NSF INCLUDES Coordination Hub (2020) Inclusivity and Accessibility for Individuals with Disabilities in STEM.