キリスト教福音宣教会で行う讃美
▲鄭明析牧師の讃美を指揮する姿
キリスト教福音宣教会での讃美の力と恵みは大きく、人を意識することなく、ただひたすら聖三位に向かう真心で歌います。
人を意識して歌う讃美は讃美ではありません。
大勢で歌う讃美だとしても、神様と私は一対一です。
礼拝をはじめとして、御言葉の前には十分な讃美を歌います。
説教者や講師を通して神様、御子が最高に働きかけてくださるように、熱く聖三位を愛する思いで讃美を歌い、自らの心を溶かし、心を空けて、霊的な環境を準備するのです。
讃美するときは、本当に嬉しい心で、ただ神様、御子だけ見て行うようにと徹底して学んでいます。
真心から湧き出る讃美を通して、御子が心の中に入ってきてくださることを悟るようになります。
讃美は「美しいメロディのついた祈り」です。
このように学ぶため、心情を込めて、歌詞の意味を考えながら、敬虔な祈りと信仰告白の心情で歌うときに、すっきりと歌うことができます。
鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師 は、20年以上に及ぶ修道生活の中で、ひとけのない故郷ウォルミョンドン(月明洞)の山奥で
「わが喜びわが望み」
「わがたまの深き奥より」
「ここも神の」
などなど、讃美を一度歌い始めると心がすっきりするまで、2,30回も心情を込めて歌い続けました。
鄭明析(チョン・ミョンソク)牧師が神様、御子の前で讃美を真心で捧げてきたように、歌のうまい下手ではなく、神様に栄光を帰して、聖三位の心をすっきりしてさしあげることがいかに大切であるかと学んでいます。
人に聞いてもらう讃美ではなく、
ただひたすら天だけを見て、わたしを生かしてくださった天に感謝し、天をお迎えする讃美なのです。
キリスト教福音宣教会では、礼拝や御言葉の前に限らず、生活のなかでいつも聖三位に向き合って讃美を捧げることを心がけています。
私たちの讃美は、生活が讃美となり、生活が生きた礼拝となるべきだからです。
(ローマ12:1「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」)
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