サルタヒコは、ニニギニが天孫降臨するに際し、道案内した神として記紀に登場する。
サルタヒコは、佐太彦であり、佐太大神として佐太神社に祭られている。
佐太彦の母は、加賀神社に祭られているキサガイヒメである。キサガイヒメは、カミムスビの娘である。
キサガイヒメは、加賀の潜戸で佐太彦を生んだとされている(佐陀正神主家 朝山氏参照)。
佐太彦の父については、出雲風土記では麻須羅神(ますらがみ)としか記載されておらず、特定されていないが、島根県口碑伝説集によると「昔、出雲国に伎佐貝比売(キサカイヒメ)という女神がいた。彼女は大歳神の妻となり、夫と共に国を巡り農業の道を教え、国土経営にいそしんでいたが、懐妊したので、大歳神と別れて加賀の里に行き男子を出産した。・・・中略・・・母はわが子が優れて雄々しいのを深く喜び、掌中の玉といつくしみ、常に御祖素盞嗚尊の雄図、父の大歳神の勧農の事績を教えるうちに年月が巡って御子はもはや壮齢となり、身の丈は七尺を超え、あっぱれな威丈夫となった。ある時山に登り、国見をして、「私が住む島根は山連なり谷流れて狭田を為している。よい国だ」と言い、それからももっぱら墾田に力を注ぎ、耕地を開き、年年人口も増加し、杵築と共に国の都となった。よってこの神を狭田彦命といい、この地を狭田と云うようになった。彼はまず狭田の国に宮造り(今の佐太大社)し、父の大歳神のわざを受け継いで国を開き民を導いた。」とされているそうで(引用)、それが本当なら大歳(饒速日)ということなる。
ウエツフミによると、父は、大歳の神の御子で、久久紀若室葛根(ククキワカムロツナネ)とされているらしい(引用)。
いずれにしても、饒速日の子孫ということになる。ちなみに饒速日は、スサノウが稲田姫の後妻・神大市比売(かむおおいちひめ)との間にもうけた子である(系譜・父は大山津見)。宇迦之御魂は饒速日の弟であり、佐太彦にとってはおじさんとなる。
佐太彦は、伏見稲荷大社において、宇迦之御魂の次に祭られている。宇迦之御魂はおじさんだから一緒に祭られてもおかしくないけど、父親の饒速日はどうなったのか。伏見稲荷で祭られている宇迦之御魂は饒速日なのかもしれない。
猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村、現松阪市、阿射加神社(あざかじんじゃ)のあたり)の海で漁をしていた時、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死に、鈴鹿の椿大神社(つばきのおおやしろ 伊勢国一之宮・猿田彦大本宮)に葬られた。
『倭姫命世記』(神道五部書の一つ)によれば、倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。大田命は伊勢神宮近くの猿田彦神社に祭られている。
神戸の生田神社の末社に大海神社(だいかい神社)がある。祭られているのは猿田彦である。その口碑には、猿田彦は古くからのこの地で地主神として祭られていたとされている。神戸も猿田彦の支配地だったようである。