伊弉冉(イザナミ)族は、紀元前306年ころ楚によって滅ぼされた越の王族の末裔か?イザナミ族は良質の砂鉄が採取できる奥出雲においてたたら製鉄の研究をしていた。その中心がイザナミ族の金山彦、金山姫であり(古事記ではカグツチを生んで苦しんでいるときの吐しゃ物から生まれたとされている)、その子供が金屋子(かなやご)である。金屋子神は鍛冶の神として崇められており、それを祭るのが金屋子神社でありその総本山は奥出雲、イザナミが葬られた比婆山の近くにある(2か所あるが比婆山久米神社が最終的に葬られた場所)。
斐伊川上流の奥出雲は非常に良質の砂鉄が取れることで、たたら製鉄の本拠地として知られている(①日立金属の説明②鉄の歴史博物館③奥出雲たたらと刀剣館)。
伊弉諾(イザナギ)族は、紀元前437年ころ、越によって滅ぼされた呉の末裔と思われる。イザナギ族は、九州北部に住む倭国連合のリーダー格であった。倭国連合国は、青銅器や朝鮮半島から輸入した鉄板で鉄器を生産していたが、越人であるイザナミ族が奥出雲に進出し、たたら製鉄の技術を確立、自分らが作る製品よりもより強い鋼(はがね)を生産するよういなったため(これが日本刀のルーツ)、その技術を奪うととともに越人をけん制するため、奥出雲に攻め込んで製鉄所を破壊した(記紀にあるイザナギによるカグツチ殺しである)。そのため、イザナミ族と全面戦争となるが敗退する。それが黄泉平坂の戦いである。
イザナギは倭国連合からその責任を問われて失脚(これがイザナギの禊である)し、淡路島に逼塞し、伊弉諾神宮の地で死亡するに至る。
オロチ族は、イザナギ族と戦ったイザナミ族の末裔である。
オロチ一族は、侵攻してきた布流一族のスサノウによって征服され、奥出雲の支配権を失うことになる。これがヤマタノオロチの伝説として残っている(日立金属の説明)。スサノウがおろちの尻尾から天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を取り上げるくだりはこれを意味している(天叢雲剣ゆかりの地→御代神社 ヤマタノオロチの正体は、テナヅチ・アシナヅチだった!)。ヤマタノオロチは高志之八俣遠呂智。