※本原稿はメディカ出版様のご厚意により公開するものです。無断転載を禁じます。
いわゆる2020年の「新型コロナ禍」を契機として、さまざまな業務がリモートで行われるようになりました。この流れは産業保健活動も例外ではなく、「リモート業務に関する産業保健」と「産業保健活動をリモートワークで行う取り組み」、この2つが注目されています。
本稿で私がお話しするのは後者、その中でも「職場巡視はリモートで行う事ができるのか」。まずは「職場巡視とは何か」について考えてみましょう。
産業看護学の成書である『産業看護学』1)の「職場巡視」の章をひもとくと、「職場を訪れ(中略)、作業環境・作業条件などの実情ならびに保健施設の整備状況を、目、耳、鼻などの五感でとらえ、働く人々の健康を害する好ましくない作業環境や作業条件を把握するとともに、保健施設の快適性をチェックする」「産業看護職が、働く人々の健康と労働の調和を図り、心身ともに健康で充実した生活が送れるように支援するためには、一人ひとりの従業員がどのような環境で、そして、どのような作業条件で働いているかを知ることが必須の条件となる。その意味でも、職場巡視は産業看護活動にとって欠くことのできないものである」とあります。また、法令で職場巡視の実施を義務づけられている産業医にとっても、職場巡視は「産業医学の実践における基本」であり「五感を活用した職場診察」と言われています 2)。
最近ではオンライン診療なども行われていますが、診察の基本はやはり実際に患者に触れて行うものです。職場巡視も同じで、「職場を訪れる」ことが基本です。
本稿で説明する「リモートでの職場巡視」はリモートでの面談と同様、「ビデオ通話サービス(いわゆるビデオチャット)やビデオ会議システムを使用して行う巡視」と定義します。つまり、実際の職場を巡回しながら映像をライブで配信する者(実地配信者)と遠隔地にてライブ配信映像を見ながら職場の状況を確認する者(遠隔巡視者)とを、先に挙げたサービスでつないでリアルタイムにコミュニケーションを取りながら巡視を行います(図1)。
職場巡視を実施する際の課題として、「職場を訪れる」機会の確保があります。複数の分散事業場を一人で担当する場合や遠方の事業場を担当する場合は、職場の要請を受けてタイムリーに職場を訪問したくても、忙しくてなかなかその機会を作れない……なんてことがよくあります。リモートで職場巡視を行うことができれば、このハードルを下げることができます。
(図1)リモートでの職場巡視
それではいよいよ本題です。リモートで職場巡視を行うことは可能なのか、考えてみましょう。私の経験では「その限界や課題を理解して行うのであれば、リモート職場巡視は実地での職場巡視のよいサポートツールになり得る」と感じています。
本稿の冒頭で、職場巡視では五感を活用することを繰り返し述べました。つまり、職場の状況を把握するために、視覚・聴覚・触覚・嗅覚をフル活用することが必要かつ必須です(味覚はなかなか使いませんね……)。しかしリモート職場巡視では、この「五感の活用」が制限されてしまいます。わかりやすくたとえると、実地での職場巡視を「肉を目の前で焼きながらご飯を食べる」ものとするならば、リモート職場巡視は「テレビで肉を焼く映像を見ながらご飯を食べる」ものだと言えます(図2)。視覚(肉の焼ける様子)はカメラとテレビの性能および設定に左右されますし、カメラで写した範囲しか見えません。聴覚(肉を焼く音)はマイクとスピーカーの性能および設定に左右されます。触覚(肉を焼く炎の熱さ)や嗅覚(肉の焼ける匂い)は感じられません(肉の味ももちろんしません)。
目の前で肉を焼きながら食べるご飯はとてもおいしいです。肉を焼く映像を見ながら食べるご飯は、その味にはとても及びません。これがリモート職場巡視の限界と課題です。
つまり、入手できる情報は視覚と聴覚のみであり、しかも情報量はかなり制限されることになります。これまでリモート職場巡視を試行してきた実感としては、聴覚もあまりあてにならないので、頼れるのは視覚情報だけだと考えたほうがよいでしょう。
(図2)実地での職場巡視とリモート職場巡視の違い
次に、リモート職場巡視が活かせるシチュエーションについて考えてみます。そのために、まずは職場巡視で行っていることについて整理します。
職場巡視の内容は「探索フェーズ(search)」と「注目フェーズ(focus)」とに大きく分けられます。「探索フェーズ」では、職場全体を概観して、チェックの必要な箇所や問題のありそうな箇所を拾い出します。ここで気になった箇所について、「注目フェーズ」に入って細かくチェックします。過去の巡視で指摘した事項について、その改善状況をチェックするのも「注目フェーズ」です。職場巡視ではこの「探索フェーズ」と「注目フェーズ」を行ったり来たりすることになります。
これを踏まえたうえで、リモート職場巡視の場合を考えてみましょう。たとえば、実地配信者はスマートフォンのカメラで配信するとします。遠隔巡視者が見ることのできるのは、カメラで写した範囲だけです。探索フェーズではチェックの必要な箇所を拾い出すために五感をフル活用しますが、リモート職場巡視では視覚情報のみ、それもカメラを向けた場所だけしか把握できません。したがって、リモート職場巡視で探索フェーズを行うためには、カメラをさまざまな箇所に向ける必要があります。これは実地配信者も遠隔巡視者もかなり疲労しますので、探索フェーズに重点を置くような職場巡視をリモートで行うのはとても大変です。
注目フェーズについてはどうでしょうか。チェックするポイントが絞られていますので、それが視覚で確認できる内容であれば何とかなりそうです。つまりリモート職場巡視が活用できそうなのは、「注目フェーズがメインとなる(チェックするポイントがある程度絞られている)」「視覚情報にて確認できる」ということになります。
法令で定められた産業医(1カ月ないし2カ月に1回)や衛生管理者(週1回)による定期巡視は、探索フェーズをしっかりと行う必要があります。そのため法令の巡視をリモート職場巡視で行うことは奨められませんし、法的に認められるかどうかも明言されていません(本稿執筆時点・2021年2月)。
その一方で、「法令巡視で挙がってきた要改善事項について改善状況を把握する」などといった「フォローの巡視」については、タイムリーさも大事になりますので、内容に応じてリモート職場巡視で行うことも検討してよいと思います。これが「リモート職場巡視は実地での職場巡視のよいサポートツールになり得る」と述べた理由です。
ここからは、具体的にリモート職場巡視を行うにあたって必要な準備について述べていきます。リモート職場巡視を行うには、「実地での職場巡視が自信を持って行えること」が大前提となります。職場巡視に関する書籍や資料を挙げておきますので、しっかり勉強しましょう(表1)。
(表1)職場巡視の参考書籍・資料
『産業看護学』 河野啓子著.東京,日本看護協会出版会,2019,291p.
『産業保健と看護』2015 年 3 号(vol.7 no.3) 特集:総合実践力アップ特集 アセスメントの視点がまるわかり! 産業看護職が見るべきポイントはここ!職場巡“思”のツボ.8-38.
『改訂 写真で見る職場巡視のポイント(産業保健ハンドブックシリーズ 3)』 森晃爾編.東京,労働調査会,2010,140p.
『産業保健 21』2015 年 4 月号(第 80 号) 連載:労働衛生対策の基本④職場巡視のポイント.岩崎明夫.12-5. https://www.johas.go.jp/Portals/0/data0/sanpo/sanpo21/sarchpdf/80_2.pdf
リモート職場巡視を行っている実地配信者の姿を想像してみてください。カメラを持ったスタッフがブツブツ言いながら職場内をうろつく姿は、職場にいる従業員のみなさんの大いなる不安と不信を招くことでしょう。そもそも実地での職場巡視ですら、職場には警戒されやすいものです。
そのため、まずはリモート職場巡視を行うことについて、組織や職場の理解を得ることから始めます。リモート職場巡視を導入する目的や意義、メリット、リスクと対策について、きちんと説明できるように整理します。リモート職場巡視の大きな課題として機密保持がありますので、それに大きく関連する配信機材とサービスについても併行して検討を進めます(後述)。こうしてまとめた資料を基に(安全)衛生委員会や巡視対象となる各職場に説明します(試しに行う程度であれば巡視対象職場だけでもよいでしょうが、正式に取り入れるのであれば委員会でも諮ったほうがよいように思います)。各部門から挙げられた課題や疑問に対して丁寧に対応することで、職場の理解を得やすくなります。
「リモート職場巡視」という作業に関するリスクアセスメントを行うことも大切です。カメラを持って配信していることが事故や労働災害の原因になったら、それこそ冗談ではなく「Smartphone zombie」になってしまいます。企画段階だけでなく、巡視前にも巡視対象職場の方と一緒に行えるとベターです。
実地配信者が使用する配信機材は、取り回しのしやすさ、リモートサービスを使用することなどから考えて、現状ではスマートフォンが最も便利です。遠隔巡視者については、ある程度の大きさのモニターを持つPCやタブレットを使ったほうが配信映像をチェックしやすいです。
ところで「全天球カメラ」と言われるカメラをご存じでしょうか(RICOH THETAシリーズや Insta360シリーズ、vecnos IQUIあたりが有名です)。全天球カメラは1台に複数のレンズを搭載しており、1回のシャッターで周囲の空間、 360度全体を写真あるいは動画で撮影します。この全天球写真(動画)はPCやスマートフォン・タブレットで見るときに視点を自由に動かすことができますので、探索フェーズが一般的なスマートフォン(カメラ)より行いやすくなります。スマートフォンとVRゴーグルを組み合わせれば、職場に実際にいるような雰囲気で巡視できるはずです。
しかし本稿執筆時点においてはリモートサービスや通信速度などの問題から、リモート職場巡視に全天球カメラを利用するのは現実的ではありません(詳しく知りたい方は私のウェブサイトに資料をまとめています)3)。そのため、実地配信者側の機材の選択肢としては、やはりスマートフォンになると考えてよいと思います。
リモートサービスにはいろいろなものがあります(表2)。選択の際に留意するのは、組織の機密保持ポリシーです。規程・規則で構内での写真撮影やビデオ録画を制限している場合がありますので、ネット経由で配信することについてはさらに慎重に検討する必要があります。どのサービスを利用するか、情報セキュリティ部門と入念に相談しながら決定しましょう。
配信映像の動画での録画の可否については、情報セキュリティ部門だけでなく、巡視対象となる職場にも確認するようにしましょう。クラウド(ネット上のサーバー)に録画するのか、ローカル(遠隔巡視者のPC)に録画するのかでも取り扱いが変わってきます。配信映像のスクリーンショットについては、写真撮影と同じ取り扱いで対応してよいと考えますが、念のため可否を情報セキュリティ部門や巡視対象職場に確認したほうが無難です。
(表2)リモート職場巡視に利用できる主なネットサービス
ビデオ通話サービス
Skype(Microsoft)
LINE
FaceTime(Apple)
ビデオ会議システム
Zoom
Microsoft Teams
Cisco Webex Meetings
Google Meet
必ず準備するほうがよいのは、いわゆる「自撮り棒(一脚、selfie stick)」です。スマートフォン本体を手で直接持つと、いわゆる「歩きスマホ」になりやすく、手を滑らせてスマートフォンを落としてしまうリスクがありますし、配信映像が揺れやすくもなります。これらを防ぐのに、自撮り棒はとても便利です。また自撮り棒を上手に使えば、実地巡視では見ることのできないような高い箇所や低い箇所もチェックできます。
リモート職場巡視はカメラで写す範囲(画角)しか配信できません。ワイドレンズを使うと画角を広げることができます(写真1)。スマートフォンにクリップで装着できるタイプのものもあり、比較的安価ですので、試してみる価値はあると思います。
映像揺れの対策機材としてはジンバルがあります。ただ、画面中央の揺れは軽減されるのですが周辺の揺れはあまり変わらないので、リモート職場巡視という用途に限定すると、あまり効果を実感できませんでした。価格や重量とその効果を天秤にかけると、私としては自撮り棒で気をつけて対応すれば十分ではないかと思います。
(写真1)ワイドレンズ使用による画角の変化
実地配信者・遠隔巡視者とも、使用する機材やリモートサービスを困らない程度に使えるITリテラシーが欲しいところです。リモート巡視は実地配信者と遠隔巡視者との連携が必要となりますので、実地配信者となる方は、巡視対象職場の状況を理解している方が望ましいです。また遠隔巡視者も、可能であれば一度は実地で巡視できていると、リモートでもスムーズに巡視しやすくなります。
実地での職場巡視と同じような準備はもちろん必要です。とくに大事なのは、職場の地図を見ながらあらかじめ巡視ルートを決定・共有しておくことです。遠隔巡視者は配信映像しか見えませんので、自分の位置を見失いやすくなります。格子状にエリアを区分けして、番地を振っておくと便利です。
リモート職場巡視で探索フェーズを行うのは大変ですので、事前準備として全天球カメラでポイントとなりそうな箇所の全天球写真を撮影して簡単な探索フェーズを行っておくのも一手です(なかなかそこまでの時間は取りづらいものですが)。
リモート職場巡視では視覚しか利用できませんので、巡視の目的に応じて職場環境を視覚化できる機器を携行しましょう(WBGT計・風速計・照度計・騒音計・CO2モニターなど)。物差し・メジャーなども持っていきましょう。
騒音職場でリモート職場巡視を行う場合は、遠隔巡視者からの指示を聞き取りやすくするため、実地配信者は骨伝導イヤホン(耳栓を着用しながら使用可)を使うとよいでしょう。有線式だとコードの取り回しが大変ですし、どこかに引っ掛けたりするリスクにもなりますので、可能であれば無線式(Bluetooth接続)のものが望ましいです。
とにもかくにも、実地配信者と遠隔巡視者との間でしっかりとコミュニケーションを取ることがポイントです。
実地配信者は、「カメラ(スマートフォン)の画面を注視しない」ことを常に意識しましょう。「歩きスマホ」は絶対に避けなければなりません。視るのは画面ではなく職場です。
脇を締めて胸の前にカメラが来るように自撮り棒を持ちます(写真2)。こうすることで、腕の負担を軽くすることができるとともに、配信映像の揺れを防ぐことができます。カメラの向きを変える際は腕だけを動かすのではなく上半身ごと動かすようにすると、カメラを注視することなく遠隔巡視者と視線を一致させやすくなります。移動する際やカメラの向きを変える際は、映像配信にはタイムラグがあることを意識して、ゆっくり動くようにしましょう。これは配信映像の揺れを防ぐためにも大事です。
遠隔巡視者はカメラを向けた箇所しか見ることができませんので、見落としがないように正面だけでなく上下左右にもカメラを向けてもらうように指示しましょう。高さや距離の感覚はわかりづらいので、物差しやメジャーで測ってもらったり、巡視同行者を立たせたり(座らせたり)して目安にするとよいでしょう。カメラを実地配信者の目の高さに構えてもらうのも一手です。見落としを防ぐために、チェックリストを上手に活用しましょう。
巡視時のメモを取る際にも工夫が必要です。遠隔巡視者は簡単ですが、実地配信者はカメラを持っているのでメモが取れません。カメラとメモをいちいち持ち替えるのも大変ですので、巡視同行者にお願いするのが無難です。
(写真2)実地配信者のカメラの持ち方
リモート職場巡視についていろいろ述べましたが、どのようなものかイメージできましたでしょうか。いざ正式な形で導入するとなるといろいろと大変なので、まずはちょっとお試しで実施してみてよいか相談できるとよいと思います。
最後にもう一つ。リモート職場巡視の要領で、屋外を歩きながら撮影したテスト映像を公開しています4)。リモート職場巡視の雰囲気を少しでも感じていただければ幸いです。
河野啓子.産業看護学.東京,日本看護協会出版会,2019.
上原正道ほか編.産業医ストラテジー.東京,バイオコミュニケーションズ,2013(産業保健ストラテジーシリーズ第1 巻).
くろさきしずか労働衛生コンサルタント事務所 Web サイト. https://sites.google.com/site/oh963ch/
[筆者註]テスト映像のURLは紙版の雑誌を購入してご確認下さい。