※本原稿は健康開発科学研究会様のご厚意により公開するものです。無断転載を禁じます。
職場巡視は、実際の作業現場に赴き、労働者がさらされる作業環境や作業状況を五感で感じる事により、安全衛生上の問題点を把握して改善につなげていく、産業保健活動でも重要な位置を占めている活動である。産業医活動の全般を整理した成書である「産業医ストラテジー」1)では、職場巡視を「産業医学の実践における基本」であり「五感を活用した職場診察」と解説している。
職場巡視は法令にて産業医や衛生管理者による定期的な実施を規定されており、有事の際には臨時で巡視を行う事も必要となる。しかし、遠方の職場はそもそも訪問の機会を設けにくく、「巡視の機会をどのように確保するか」という課題は以前より認識されていた。
そのような中で、IT技術の進步や通信網の高速化により、以前であれば高価で特殊な業務用機器を使わなければ行えなかった「映像と音声の双方向でのリアルタイム通信」(ビデオチャットサービスやオンライン会議サービス)が、一般でも入手しやすい民生用機器で容易に行えるようになった。そしてこうした技術やサービスを利用した、リモートでの職場巡視の紹介記事が散見されるようになってきた。2020年の〝新型コロナ禍〞がそれに拍車を掛け、リモート職場巡視が一層注目を集めている。
しかしリモート職場巡視には様々な課題が存在するため、安易な実施は看過できない。そこで筆者は2019年にリモート職場巡視の試行を行い、課題を整理し、同年に開催された第29回日本産業衛生学会全国協議会にて一般演題として発表した。本稿ではこの試行について紹介し、その後の試行にて得た知見も踏まえ、リモート職場巡視の限界と課題そして実施にあたってのポイントについて見解を述べたい。
まず2019年に実施したリモート職場巡視の試行について紹介する。筆者のWebサイト2)にて発表時のポスター及びこれを元に講演した遠隔産業衛生研究会第7回自由集会(2020年5月)のスライドを公開しているので、そちらもご参照頂きたい。
誰でも入手・利用できる民生用機器とサービスを使用し、リモート職場巡視が可能であるかを検証する。
研究所内の模擬工場を仮想職場に設定した。状況は「前回の実地巡視での指摘事項の改善状況を確認」する事とした。
初めに実地巡視を行い、その後にリモート巡視を2種類の方法で実施した。全巡視後に各リモート巡視の所感や総評(実地巡視の代替として成立するか)をヒアリングした。
各巡視の時間は最大10分間とした。リモート巡視については、実地配信者(映像をリアルタイムで配信しながら仮想職場を巡回)はまず職場の外周をゆっくりと一周し、それから遠隔巡視者(研究所内の別室で指示しながらリアルタイム配信映像を閲覧し職場の状況を確認)の指示に従って移動し配信を行った。
巡視の際には、本試行のために準備した記録用紙を配布した(図1)。各巡視の際の確認ポイントは2つとした。
① 前回の巡視で指摘した事項について改善状況を確認できるか(5点[図1内に示す]、3段階で評価)
② それ以外の要改善事項(巡視者には事前説明なし)の有無を確認できるか(8種)
(写真はSkypeビデオチャットでの巡視の際のスクリーンショット)
実地配信者は配信用の機器としてiPhone7 Plus(Apple社、2016年発売)を使用した。遠隔巡視者は映像閲覧用の機器としてiPad Pro[9.7inch](Apple社、2016年発売)を使用した。
リモート巡視の1回目はビデオチャットサービス(Skype、Microsoft社)を使用した。2回目は360度VR映像配信サービスを使用した。2回とも、研究所内のWi-Fiに接続して実施した。
2回目のリモート巡視(360度VR映像配信)については、撮影機器は全天球カメラのInsta360 ONE(Insta360社、2017年発売)をiPhone7 Plusに接続して使用した。 配信サービスはFacebook(Facebook社)のライブ配信機能を使用した(配信設定:ビットレート 2Mbps、フレームレート 30fps、解像度 1280×720pixel)。会話は別途 iPhoneを用意して、Skypeの音声チャットを使用した。
遠隔巡視者は弊研究室に所属する男性5名。いずれも産業医資格を有しており、産業医経験は「0〜4年」2名・「5〜9年」1名・「10年以上」2名であった。日本産業衛生学会専門医制度の資格取得状況は「なし」2名・専門医1名・指導医2名であった。労働衛生コンサルタント資格を有する者は3名であった。実地配信者は1名で、産業医経験10年以上、日本産業衛生学会指導医及び労働衛生コンサルタント資格を有していた。
巡視に要した時間は、実地では平均7分10秒(6分〜9分30秒)で、全ての者が「時間が余った」(4名)あるいは「ちょうど良い」(1名)と回答した。ビデオチャットでは平均6分54秒(5分〜8分30秒)で、全ての者が「時間が余った」(4名)あるいは「ちょうど良い」(1名)と回答した。360度VR配信では平均8分59秒(7分45秒〜10分)で、4名が「時間不足」、1名が「ちょうど良い」と回答した。
研究所ネットワークの速度は下り(ダウンロード)が200〜300Mbps、上り(アップロード)が80〜100Mbpsであった。映像配信の平均タイムラグは、ビデオチャットでは平均1.6秒(1.0秒〜2.0秒)とおおむね良好であった。360度VR配信では平均15.0秒(8.0秒〜20.0秒)と大きなラグが生じていた。
巡視ポイント①前回指摘事項の確認については、全ての者がビデオチャット・360度VR配信の両方について5点とも「容易に確認可能」あるいは「注意すれば確認可能」と回答しており、「困難あるいは不可」と回答した指摘事項はなかった。
巡視ポイント②その他の要改善事項の指摘については、全ての者がいずれの巡視でもおおむね確認できていた(試行前の説明に不備があり、指摘件数での比較ができないため、データの紹介は省略する)。
巡視者からのフリーコメントについては、リモート巡視2種に共通のものとしては、画質補正によるメリット(例:映像の照度の自動補正による視やすさの改善)とデメリット(実際の状況が分かりづらい)、音声の主観評価の難しさ(騒音レベル等)、インターネットを経由する事による機密保持の問題が挙げられた。ビデオチャットについては、メリットとしてはタイムラグの小さささ・映像の解像度の高さ・実地配信者との視線の一致(指示しやすい)が挙げられた。デメリットとしては視野(画角)の制限があり、実地配信者への指示・連携が課題として挙げられた。360度VR配信については、メリットとしては視る方向を自分で操作できる事が挙げられた(「操作が面倒」という意見もあった)。デメリットとしてはタイムラグの大きさ・画質の粗さが挙げられた。
総評として「過去に実地で巡視した職場の改善状況の確認を、実地巡視の代替としてリモート巡視で実施する事は可能か」をヒアリングしたところ、ビデオチャットについては「容易に確認可能」1名・「注意すれば確認可能」2名であり、「困難あるいは不可」は2名であった。低評価の者が挙げた理由は主として「視野(画角)の狭さ」「新しい指摘事項を見つける事が困難(過去の指摘事項の確認ならば可能)」であった。360度VR配信については「注意すれば確認可能」3名・「困難あるいは不可」2名であった。低評価の者が挙げた主な理由は「タイムラグの大きさ」であった。
本試行では予想に反して「リモート職場巡視は意外と〝使える〞かもしれない」という手応えがあった。そこで本試行の成功要因と思しきものを整理する。
① 試行した巡視の目的を「前回の実地巡視で指摘した指摘事項の改善状況を確認」する事とした。
「巡視の目的を明確にする」、つまりチェックする箇所や事項を限定した事が成功要因と思われた。本試行で設定した前回改善事項は全て映像で確認できるものとしていた。
② 各巡視時間を「10分間」と短く設定した。
遠隔巡視者の健康面(画面酔い・集中して画面を見る事による眼精疲労等)や集中力の持続等を考えると、長時間のリモート職場巡視は厳しいと思われた。360度VR配信についてはVRゴーグルの使用も検討したが、ゴーグル着用時の安全確保(激突や転倒、いわゆるVR酔い等)が困難であるため見送った。
③ 遠隔巡視者・実地配信者とも産業医活動経験があり、実地での職場巡視のポイントを理解していた。
遠隔巡視者と実地配信者の連携が重要なポイントであり、遠隔巡視者はもちろんの事、実地配信者にもある程度の職場巡視のスキルが必要と思われた。
④ 遠隔巡視者・実地配信者とも同一のネットワーク環境下にあり、通信環境が良好であった。
通信環境はタイムラグや画質に直結するため、スムーズな巡視の実施にも、巡視の質の確保にも大きく影響を及ぼす。特に360度VR配信では下りだけでなく上りの速度も重要となる。
本試行では同一ネットワーク内での実施だったため、通信速度が高速であった。実際の運用では片方(特に実地配信者)が4G通信であったり、双方がLAN環境でも別ネットワークであったりするため、本試行よりも通信速度が遅くなると思われる。
⑤ 遠隔巡視者・実地配信者ともITリテラシーが高く、機器やサービスをスムーズに使用できた。
実際にリモート職場巡視をする場合は遠隔巡視者と実地配信者が離れた場所にいるため、双方に十分なITリテラシーがないとトラブルに対処できず、実施を断念せざるを得ない事態にもなり得る。
⑥ 今回使用した各種サービスが研究所ネットワークでの使用を禁止されていなかった。また巡視場所が撮影を禁止されていなかった。
企業や組織によっては機密保持のため職場での撮影を禁⽌されていたり、特定のインターネットサービスの使用を禁⽌されていたりする。セキュリティーの問題を解決したとしても、撮影される事に抵抗感を覚える者や職場がある事にも配慮が必要である。
以上を踏まえ、リモート職場巡視における課題を表1に挙げる。
入手できる情報の制限の理解
「リモート職場巡視」という作業そのものの安全衛生管理
職場巡視を円滑に行うために必要なスキルの習得(実地巡視/リモート巡視)
通信環境の確保
機器/サービスを使用するためのスキルの習得
セキュリティーの確保
職場の理解の確保
本稿のまとめとして、リモート職場巡視をスムーズに行うためのポイントを提言する。
(1) リモート職場巡視を行う目的を明確にする
職場巡視の内容を大別すると、探索フェーズ(search:職場全体を概観してチェックの必要な箇所・問題のありそうな箇所を拾い出す)と注目フェーズ(focus:探索フェーズで拾い出した箇所を細かくチェックしたり過去の巡視で指摘した事項の改善状況をチェックしたりする)に分けられる。
ビデオチャットは注目フェーズには有用であるが、探索フェーズには視野(画角)の制限があるため工夫が必要となる。一方、360度VR配信は視野を遠隔巡視者が自由に動かせるため、探索フェーズに有用である。注目フェーズについても、ビデオチャットよりは画質が粗いものの、チェック箇所に近寄ればカバーできる。
しかし360度VR配信には後述する問題があるため、現状ではリアルタイムでリモート職場巡視を行うならばビデオチャットを選択する事となる。そうなるとリモート職場巡視を効果的に活かす場面は自ずと注目フェーズとなる。さらに、五感のうちリモート職場巡視で活用できるのはほぼ視覚のみである。そのため、巡視でチェックする項目も視覚で行えるものにほぼ限定される。
遠隔巡視者はモニタ画面を注視する事になるため、長時間のリモート職場巡視は避けた方が望ましい。筆者自身も長時間のリモート職場巡視を試行した事はないが、集中力を維持できるのは10〜20分程度ではなかろうか。
リモートでの職場巡視を有効なものとするためには、「注目フェーズが主目的である」「視覚にて確認できる内容である」「集中を要する時間が比較的短時間である」といった条件を満たす必要があると考える(狭いエリアを巡視するのであれば、ビデオチャットでも探索フェーズを主目的としてよいかもしれない)。
(2) リモート配信機器・サービスの選択とセキュリティーの確保
機器としては、実地配信者は「可搬性の高さ」がポイントとなるため、スマートフォンを使用する事になるだろう。遠隔巡視者は「映像の視やすさ」がポイントとなるため、ある程度の大きさのモニタを使用する事が望ましい。
配信サービスについては、ビデオチャットであれば様々なサービスが選択できる。企業や組織のセキュリティーポリシーに合わせて選択する必要があるため、組織のネットワーク管理部門に相談して選択する。配信映像の録画の可否も相談する。
360度VR配信については、執筆時点(2021年1月)において双方向の対話を行える民生用サービスは存在しない(業務用では存在するようである)。2つのサービス(360度VR映像を一方向でリアルタイム配信するサービス+音声チャット)を組み合わせる方法を採る事となるが、比較的自由に使えるリアルタイム360度VR映像配信サービスはFacebookのみである(YouTubeでも配信可能ではあるが、スマートフォンで行うならばチャンネル登録者数が一定数以上でないと使用できないという制限があり、本用途においては現実的でない)。また高速なネットワーク環境が必要であるため、4G通信ではかなり厳しい。
配信サービスの問題・通信速度の問題から、現時点において360度VR配信でのリモート職場巡視は現実的ではなく、ビデオチャットでの実施が望ましいと考える。
(3) 企業・組織や職場の理解・協力の確保
機密保持の観点から、職場内での写真撮影・ビデオ撮影が社内規程で禁⽌されている企業や組織がある。そもそも通常の職場巡視ですら職場には警戒されやすいものである。
それぞれの理解を得るために、(安全)衛生委員会での説明、各職場への巡視前の説明を十分に行い、各部門から挙げられた課題や疑問に対して丁寧に対応する。配信映像の録画の可否は職場にも確認する必要がある。
(4) リモート職場巡視のスタッフの確保
リモート職場巡視は遠隔巡視者と実地配信者の連携が必要である。そのため、実地配信者は職場巡視のスキルを持ち、職場の状況を理解している者が望ましい(衛生管理者や安全管理者、(安全)衛生推進者、巡視職場の管理職等)。また機器・サービスを使用できる程度のITリテラシーが必要である。
遠隔巡視者は、可能であれば一度は現地を実際に巡視している事が望ましい。一定のITリテラシーが必要なのは実地配信者と同様である。
(5) リモート職場巡視のための機器の準備
実地配信者のスマートフォンの把持しやすさ・「歩きスマホ」対策・配信映像の揺れ対策として、いわゆる「自撮り棒(一脚、selfie stick)」の使用が望ましい。自撮り棒を上手に活用すれば、本来見えないような高い箇所や低い箇所もチェックできる。これは実地巡視にはない、リモート職場巡視の利点である。
視野(画角)の確保も重要である。スマートフォンに装着できるワイドレンズは視野(画角)の拡張に有用である。
リモート職場巡視ではほぼ視覚しか使用できない。そのため、巡視の目的に応じて職場環境を視覚化できる機器(WBGT計・風速計・照度計・騒音計・CO2モニター等)を携行する。
騒音職場でリモート職場巡視を行うのであれば、実地配信者−遠隔巡視者間のコミュニケーションを取りやすくするため、実地配信者側での骨伝導イヤホン(耳栓を着用しながら使用可)の使用を検討する。有線式だとコードの取り回しやそれに伴う安全確保の問題が生じるので、可能であれば無線式(Bluetooth接続)が望ましい。
(6) リモート職場巡視の実施前の準備
通常の職場巡視と同じように種々準備を行う。特に重要なのは、職場の地図を見ながらあらかじめ移動ルートを決定しておく事である。遠隔巡視者はどこの映像が配信されているのか分からなくなりやすいためである。
手間は増えるが、全天球カメラでポイントとなりそうな箇所の全天球写真を撮影し、事前準備として遠隔巡視者・実地配信者と共同で簡単な探索フェーズを行っておくのもよい。
工場現場内等の安全リスクの高い職場については、実地配信者・遠隔巡視者・職場代表にてリモート職場巡視についてのリスクアセスメントを行う事も必要である。配信に気を取られての激突・転倒、機器の取り回し(自撮り棒の振り回し)による激突・感電等は容易に想定される事故である。
(7) リモート職場巡視の実施
実地配信者と遠隔巡視者とで綿密にコミュニケーションを取りながら進める事が肝要である。
リモート職場巡視では入手できる情報が制限されるため、見落としが発生しやすい。遠隔巡視者は正面を視るだけでなく、適宜上下左右にもスマートフォンを向けてもらうように指示する。チェックリストも上手に活用したい。
高さや距離の感覚は分かりづらいので、物差しやメジャーで実測したり、同行者を立たせる・座らせる等して目安にしたりする。スマートフォンを実地配信者の目の高さに構えてもらうのもよい。
実地配信者はスマートフォンを構える際、腕の負担を軽くするためと配信映像の揺れを抑えるために、脇を締めて胸の前にスマートフォンが来るように自撮り棒を持つ。スマートフォンの画面を注視しないように注意する(「歩きスマホ」をしない事)。
移動する際や視点を動かす際は、映像配信のタイムラグがある事を意識し、ゆっくりと移動する(動かす)。これは配信映像の乱れを防ぐためにも大事である。
実地での職場巡視が「五感を活用した職場診察」である事を考えると、リモート職場巡視がいかに制限の多いものであるか、ご理解頂けたであろうか。少なくとも現時点においては、法令に定められた職場巡視に置き換えられるものではないと筆者は考えている。
リモート職場巡視には多くの課題がある。それはIT技術の進歩で解決できる課題(5G通信網の普及、セキュリティーの高い配信サービスの出現、使いやすい機器の開発等)もあれば、技術の進歩では解決できない課題(入手できる情報の限界、組織や職場の理解の確保等)もある。
こうした限界と課題を正しく理解した上で運用するのであれば、リモート職場巡視は通常の職場巡視をサポートするツールとなり得る。筆者が耳にした事例として、「経験の浅い産業医が職場巡視を行う際に、指導医が遠隔巡視者として参加して指導する」といった教育ツールとしての活用がある(ちなみに全天球カメラで撮影した360度VR映像は、職場巡視の教育ツールとして既に活用事例がある)。面白い活用方法を思いついたら、筆者にもご教示頂けると幸いである。
付録:テスト巡視の映像リモート職場巡視の雰囲気を少しでも感じて頂けるよう、屋外を歩きながら撮影したテスト映像を公開した3)。本サイトや映像のURLリンクをSNS等に投稿する事は禁⽌する。
上原正道,梶木繁之編集.産業保健ストラテジーシリーズ第1巻・産業医ストラテジー,バイオコミュニケーションズ株式会社 , 2013
くろさきしずか労働衛生コンサルタント事務所 Web サイト https://sites.google.com/site/oh963ch/
[筆者註]テスト映像のURLは紙版の雑誌を購入してご確認下さい。