わたしたちの生活を豊かにする製品に含まれる化学物質のなかに、動物の内分泌系に作用し、生殖や性決定・分化などに悪影響を及ぼすものがあることが明らかとなっています。このような化学物質の危険性については、1962年にレイチェル・カーソンが「Silent Spring(沈黙の春)」で、DDTなどの農薬により、産卵や孵化数が減少したり、孵卵中の卵が割れたりして、春になっても鳥のさえずりが聞けなくなるという懸念を指摘していました。その後、内分泌かく乱物質に対する国際的な関心が高まり、WHO(世界保健機関)やOECD(経済協力開発機構)をはじめとして、世界各国により内分泌かく乱物質の野生動物やヒトの健康影響に対する調査・研究が開始されるようになりました。内分泌かく乱物質の多くは下水や、農業・工業排水として水系に入るため、河川に生息している魚類など水生動物への影響が強く懸念されています。さらに、風邪薬や向精神薬、抗糖尿病薬などのさまざまな医薬品成分も、下水処理場の処理水から生理活性の高い状態のまま見つかっています。大部分は服用後に私たちの体から排出されたものですが、このようなヒト由来の医薬品成分による野生動物や生態系への影響は十分に調べられていません。
多くの内分泌かく乱物質はエストロゲン受容体(ER)を標的として作用します。女性ホルモンであるエストロゲンは、魚類を含む多くの動物で生殖腺の卵巣への分化やその維持に必須であるほか、特定の発生段階における作用すると、遺伝的なオスからメスへの性転換を誘導します。メダカを含む多くの真骨魚類は、少なくとも3種類のエストロゲン受容体サブタイプ(ERα、ERβ1、ERβ2)があります。どのエストロゲン受容体サブタイプが卵巣への分化や生殖機能に関与しているのか、また、どのサブタイプを介して内分泌かく乱物質が生体に悪影響を与えているのか、ゲノム編集技術を使って生体レベルで調べています。メダカで3つあるエストロゲン受容体サブタイプの生体内での役割がそれぞれ明らかになれば、内分泌かく乱の作用メカニズムの解明だけでなく、有害作用を持つ化学物質のスクリーニングを効率的に行うことが期待されるため、環境研究分野の応用面において有用です。エストロゲン受容体に加え、他のさまざまな核内受容体も対象としていて、研究をおこなっています。
現存する魚類の大部分を占める真骨魚類は多様に進化してきました。そこで、さまざまな魚種間の内分泌かく乱物質に対する応答性の違いについても検討しました。培養細胞を用いた実験では、コイよりもメダカのERαの方が、化学物質に低濃度で反応することがわかりました。さらに、このような反応性が進化の過程でどのように変遷してきたかなど、脊椎動物の脊椎動物のホルモン受容体のホルモン応答性の多様性と分子進化についての解析も行っています。
環境中に流入した医薬品(環境医薬品)は、そこに住む魚類など水生生物への影響が懸念されます。医薬品には神経細胞を標的とするものが多いことから、とりわけ魚類の神経中枢や神経内分泌系へ作用し、正常な行動や生理機能を阻害する可能性があります。魚類の環境医薬品の標的となるタンパク質と、環境医薬品によって誘導される行動などと関連した遺伝子を同定することを目指しています。環境医薬品の生物影響を正しく理解し、作用機序を明確にすることは、適正な医薬品開発・使用・処理を進めるために重要です。