小澤伊久美さん(ICU)

投稿日: 2011/06/13 16:20:23

開催に反対でもありますし、この声明文にも賛同しますが、今回さまざまな方のやりとりを見ていて、お互いにこのような意見の述べ方でいいのかと思う気持ちが強まっているのも事実です。

このサイトで署名した人全員の行動について知っているわけではないし、呼びかけ人の方々みなさんの行動いついて知っているわけではないので、私が念頭においている行動の方がどれだけそこに含まれるかわかりませんが、ここで署名することと、行動の仕方に賛同することとは別に受け止めてほしいという気持ちが率直な気持ちとしてあるので一言コメントを残すことにしました。

ちなみに今回反対声明に署名したので、反対する方々の行動のありようについてのみ意味しているように見えますが、そうではなく、賛否のいずれにおいてもあるいは判断保留の方についても同様です。

私自身が反対したいと思う理由は声明文の内容と齟齬を来すものではありませんが、このような目的を達しようと思った場合に、果たしてこのような意見を直球でぶつける形のみでいいのかということを感じています。一番理解してほしい相手が、結局のところ「面倒くさくて」あるいは「圧力をかけられたと感じて」押し黙り行動を控えるが信念は変わらずにいるという結果をもたらすだけに終わる可能性はないかと感じるのです。それが本当に反対する側のみなさんが欲している結果なのか?と疑問を覚えます。

CGSの記事を読みましたが、あのような対話の場こそが本当は今回必要なのではないでしょうか。どうして企画者はこのようなことを思い立ち、それに賛同する人々はなぜ賛同しているのか、そこを企画者・賛同者側も考え、語り、私達も理解しないことには前進しないように思うのです。

ネットを活用した意見のやりとりは便利さもありますが、今回FBやtwitterなどでのやりとりにはそうした対話的側面が観察されていないように思います。この共同声明の内容には賛同するのですが、今の現状でこうした内容を声を大にして叫ぶことで、ますます対話の場から人々を遠ざけることにならないことを私は心から願っています。

声明文を出す重要性がないと言っているのではありません。単に互いが意見表明しあうだけでは全く「対話」になっていないということ、対話なくして双方が理解しあい、問題を解決することはないのではないかと私は考えていると伝えたいだけです。

呼びかけ人にも、賛同者にも、また、この声明文を受け取る側も、賛同する気持ちなくしても目にする人にも、ぜひそのようなことを考えてほしいと思い、長文ですがコメントに残させていただいた次第です。