山下渉/WATARU Yamashitaさん(無職)

投稿日: 2011/06/11 17:29:15

ミスコンに限らず、現代の日本社会に暮らす人は自分を商品として扱うことに慣れすぎているのでしょう。学生のうちから、己の商品価値を「自己分析」し、上手なプレゼンによって自分という商品を売り込むことが常態化してしまうと、人間を商品としてしか評価できない貧困さを身につけてしまうでしょう。そして、商品同士を競わせ審査し享受する側/商品として競わされ審査される側、という間の権力関係を批判的に捉える視点も失われてしまいます。こうした「己と人を商品として扱うことが常態化している」という意味で、残念ながら、日常生活そのものが「ミスコン化」されているのがいまの若者をとりまく環境なのかもしれません。ミスコンに象徴される、「売る側/売られる側」「審査する側/される側」の権力関係と、それがジェンダーと不可分に結びついていることがまったく問題として捉えられない有様です。

日常生活そのものがミスコン化していては、ミスコン批判を己の日常の否定と捉えて反発するのはまあ当然なのかもしれません。しかし、日常への批判意識無き学問&学生に存在意義などあるのでしょうか?