Post date: 2020/03/13
Keywords: 佐賀、歴史、北海道開拓史、障害福祉史
ここ1年ほど、佐賀で撮影した写真の整理をしています。写真のいくつかは講義や研修でネタとして使ったりしています。備忘録として3つ書いておきます。
石井亮一・筆子(ふでこ)夫妻
佐賀市内のメインストリートに点在する偉人像の1つ、石井亮一・筆子夫妻。
大隈重信や、江崎グリコ創業者江崎利一・森永製菓創業者森永太一郎と比較するとマイナーですが、特別支援教育・障害福祉の歴史では有名な二人です。
・石井亮一(1867−1937)佐賀市出身
濃尾大震災で両親を亡くした少女達を引き取り、孤女学院を開設。引き取った1人に知的障害があったため、知的障害児教育の必要性を感じ、方法論を学ぶためアメリカへ。孤女学院を「滝乃川学園」と改め、知的障害児教育に取り組む。
・石井筆子(1861−1944)長崎県大村市出身
19歳でフランス留学、帰国後は津田梅子らと女子教育に取り組む。知的障害のある娘を滝乃川学園に預けた縁で、石井亮一と再婚。障害児福祉に取り組む。
(説明:さが偉人ラリー立て看板より)
ふるさと納税で寄付を集めて設置された佐賀七賢人像の1つ。大学の近くなので、何気なく通過していて、気づきませんでした。札幌から来られたK泉先生が、「島判官の像がある!」と感動されてました。
・島 義勇(1822−1874) 佐賀藩士、北海道開拓の父
安政3年~4年(1856年~1857年)に藩主・鍋島直正の命で、蝦夷地と樺太を探検調査し、『入北記』という記録を残す。
明治2年(1869年)、蝦夷開拓督務になった鍋島直正のもと、開拓使判官に就任。銭函に開拓使仮役所を開設し、札幌に「五州第一の都」を造るという壮大な構想を描き、京都や故郷の佐賀などを念頭に置いて、碁盤の目のような整然とした町並みを目指し工事が進められた。
島判官は江戸時代からの請負人制度による腐敗?アイヌ搾取?に対して、急進的な改革を行ったようで、鍋島の後任長官、東久世や役人、商人と予算面や制度運用について衝突し、明治3年(1870年)に解任されたようです。
佐賀に戻った後、明治7年(1874年)に江藤新平と共に佐賀の乱を起こすが 、失敗・斬首された。命日の4月13日には、北海道神宮で北海道開拓と神宮創祀のその功績を偲び、「島判官慰霊祭」が毎年催されている。 ちなみに北海道神宮の六花亭では、限定商品「判官さま」が食べられるらしい。
(説明:Wikipediaより)
島 義勇(しま よしたけ)
大学近くのお堀外周に立っています。この像の目の前に、日本酒の酒店といえば、佐賀市ではココという有名なお店があります。
ゾンビランドサガ
写真はプロジェクションマッピング等の空間演出を手がけるNAKEDが携わった「ゾンビナイトサガ(アート県庁プロジェクト)」のもの
ゾンビとして生き返った少女たちがプロデューサーに導かれながら、佐賀県を救うためにご当地アイドルとして活動する様子を描いたアニメ「ゾンビランドサガ」
縁のない佐賀県内の大事なことはこのアニメで学んだ気がします。
佐賀県内の至る所に聖地や足跡があります。らき☆すたの鷲宮神社、ガルパンの大洗に続くことができるか?佐賀駅前の立ち飲みで、聖地巡礼に佐賀に何度も来ている関東のお兄さんと仲良くお話した時があります。佐賀は県も市も良い雰囲気の町で楽しめると思いますよ。
だいぶ昔ですが、北大の先生がらき☆すたの聖地巡礼の観光学的な論文を書いていて、院生時代に「萌え(燃え)も研究になる」んだなぁと思ったことがあります。ボスからもそういう研究を〜と冗談で言われていましたが、気付けば、ERP研究のN先生がKawaiiの脳波研究を行っているんですから、ちゃんと実験しとけば良かったと思います笑