02 旧満州国の紙幣と国旗と偽宮

旧満州国の紙幣と国旗と偽宮

加藤正宏

 昨年九月から、吉林省の首都長春市(旧新京市)で生活している。吉林大学の日本語専家として、大学生と大学院生の日本語と日本文化を担当しているが、もともと歴史を専攻してきていることもあって、満州国時代の建物は勿論のこと、その時代に関わる全ての物に関心が向かう。当然、貨幣もその範疇である。

 満州中央銀行券甲号券なども入手したい物の一つである。重慶路の古玩城(骨董街)では、甲号券美品を揃えていている店が何軒かある。壱百圓券が三〇〇〇元、拾圓券が二〇〇〇元、五圓券が一五〇〇元、壱圓券が三〇〇元前後で売られている。現在、一元がほぼ一五円前後だ。換算してみると、日本に比べて少し安い程度だろうか。安くなっていないのは、そのほとんどの店主が『日本貨幣カタログ』のコピーを所持し、その価格を参考にしているからのようだ。少し色を付けた程度の安値にしかなっていない。

 小生が入手した五圓券は周囲の破損が大きいためか、二〇〇元で購入できた。甲号券はどの券種も図案は同じであり、この五圓券に見られるように、左に五族共和をデザインした黄色が基調の満州国旗、右に勤民楼が描かれている。

 勤民楼は、満州国皇帝として祭上られた溥儀が式典を挙行し、政務を処理した建物だ。現在、この勤民楼の他、同徳殿(政務関係)と緝熙楼(日常生活関係)の建物を合わせて偽皇宮陳列館と呼び、反面教師としての役割を担わすと同時に、その周辺をも含めて、長春観光の目玉として整備され始めている。

重慶路の骨董店には

満州銀行の貨幣が揃っている

 帝国が消滅した後、周辺にぎっしりと無秩序に建てられていた庶民の煉瓦造りのバラックが、今年になって一斉に取り壊され、除かれていく中で、取り壊され建物の後から、偽皇宮観光に付随するような建物が姿を現し、長春市の人々の関心を呼んでいる。汪精衛国民党南京政府の大使館の建物である。地元の日刊紙『新文化報』は「南京『汪偽』政権与偽満政権間的『外交関係』是在同一国土内両个由日本侵略者操縦的傀儡政権的『建交』在世界史上都是少有的滑稽『外交』。」と日本に操られた同一国内の二つの傀儡政権の外交は世界史上でも数少ない滑稽な外交だとして紹介し、同時にこの建物と溥儀の関係を紹介している。つまり、この建物は皇宮に付属する建物で、溥儀がここに遷って来たとき、溥儀の妹たち夫婦の住居として使用された建物だと。この建物も、勤民楼、同徳殿、緝熙楼などの皇宮も同時期に建てられた(一九一四年)建物で、これら全ては溥儀がここに遷って来るまでは吉林・黒龍江両省の塩に関する「吉黒権運管局」の使用下にあった建物だそうだ。

 皇宮としては、これらの建物は日本の関東軍司令部などに比べ貧弱な感じを免れない。そこで、新たな皇宮の建築が進められてはいたが、その途中、国は消滅してしまい、溥儀の皇帝としての生活は満州中央銀行券甲号券に描かれた勤民楼などでの簡素な生活でしかなかったようだ。

勤民楼が描かれた紙幣と勤民楼

旧汪精衛国民党南京政府の大使館の解体

 満州中央銀行券甲号券に描かれている、五族共和をデザインした黄色が基調の満州国国旗も、この長春に来てから、当時の郵便封筒などで何度か見かけていた。ここに写真で紹介しているのは溥儀の皇帝即位にあたっての『詔書』である。一九三四年(康徳元年)三月一日発せられたこの『詔書』の文面には、「経邦之長策 當與日本帝国 協力同心」などの文も見られる。『詔書』の中央上部に、国章を中心に満州国旗が左右対称に配置されている。その中央には満州国の国章が描かれている。(2002年2月記)

当時の封筒

『詔書』