08 山東の縦長銭荘票の

図柄と中国の伝統文化 

三星福禄寿の図柄

と花銭(吉祥銭)1

加藤正宏

雑誌『収集』2012年6月号に掲載されたものに

花銭(吉祥銭)を追加して3回にわたって紹介する

山東の縦長銭荘票の図柄と中国の伝統文化

三星福禄寿の図柄と花銭(吉祥銭)―1―

加藤正宏

 今回も青島の貨幣商劉海さん所持の縦長銭荘票の話である。三星福禄寿の図柄と中国の伝統文化について見てみた。

 中国の吉祥語句に「三星高照」というのがある。「三星」とは伝説による福星、禄星、寿星のことで、それぞれが禍福、官録、寿命を管理すると言われている。官録というのは昔の官吏の給料、俸禄のことで、現在の日本でも、高級官吏の給与・高級官舎・退職金・天下りなどの役得による富裕が話題に上っているが、中国の古代にあっては、官録は財富と関わり、即財富とも考えられていた。つまり、「三星高照」とは、幸福と富裕と長寿が高まることを意味する。

 この三星がどの星であるかについては、いくつか説がある。夜空高く、まとまって輝く三つの星として、彦星(牽牛星)を中心とした三星、白鳥座の翅膀上にある三星、蠍座のアンタレスとその両脇の三星なども意識されるが、中国民衆の間に伝えられているのは、春節前の大晦日の夜、爆竹の鳴る賑やかな雰囲気の中、南の空に見える三星が禍福、官録、寿命を管理する吉祥星だという説で、これが最も信じられている。「三星高照 新年来到」というのはこれを指す。そして、これはオリオン座の四画の中に輝いて横に連なる三星だと言われる。①

① 三星









② 福禄寿

 しかし、別な説では、連なった星を指すのではなく、木星(歳星とも言うそうだ)を福星、北斗七星のα星メグレス(中国では文昌星、或いは文曲星)を禄星、竜骨座のα星カノーブス(中国では南極老人星)を寿星と考えている。この寿星は大犬座のシリウス(中国では天狼星)に次いで二番目に天空で明るい星である。中国ではめったに見られない星で、見えても、南の地平線に近くに現われるだけだ。このため、見えれば天下太平、見えなければ戦乱発生の予兆だとも考えられていた。また、生死を司る星でもあった。なお、木星が歳星とも言われたのは、星空が古代にあっては大時計(暦)の役割を果たしていて、その大時計の指針の役割を木星が果たしていたからだ。

 これら三星はそれぞれ人格化されたり、象徴的な生物や物で表されるが、福禄寿を纏めて表す図柄は一般に蟠桃を手にした寿星が鹿・蝙蝠・仙童と共に描かれたものになっている。蝙蝠の「蝠」の字は「福」と同音のfuの4声であり、「鹿」と「禄」は同音でluの4声で、同じ発音であることから、蝙蝠と鹿は福と禄を象徴している。寿星が手にする蟠桃は仙桃とも寿桃とも言い、三千年に一度花が咲き実が付くという桃で、これを食べると長寿が得られるという果物だ。

 劉海さん所持の銭荘票で言えば、莱陽の「菴裡 同興永油房」の銅元壹千文の図柄はその一つだ。銭荘票の枠内上部に「莱陽」と「菴裡」に上下挟まれて描かれている図柄④がそれである。モチーフは同じだが、描き方には少し違いを見せている。寿星と鹿(禄)が大きく描かれているが、福である蝙蝠がどこか定かではない。しかし、良く見ると、寿星と童子の頭の間の奥に蝙蝠が見られる。童子が手に持つ瓢箪(葫芦)の「葫」は現在用いられている横文字の拼音(発音表記)ではhuの3声であるが、fuの4声である「福」と諧音(発音が同じ、或いは似ている音)だと、中国人は考えていて、「葫芦」も「福」を象徴したものと考えられている。つまり、福星・禄星の人物は描かれていないが、福禄寿の図柄なのだ。

 銭荘票の中には瓢箪(葫芦)を大きく描き、これを主題にしているものもある。大きな瓢箪の切り口内に風景、その外に蔓を伸ばし多くの瓢箪を結実させている図柄だ。「同豊桟記」の壹千文である。「葫芦」は「福禄」であり、瓢箪(葫芦)の蔓帯(長く伸びた蔓)は諧音が万代と同じwan3声dai3声であり、万代はつまり寿である。このため、瓢箪(葫芦)は福禄寿を纏めて表現していることになる。また、成熟した瓢箪(葫芦)には種子がいっぱい詰まっており、子孫万代、繁茂吉祥をも表している。

 福の象徴である蝙蝠を描くものもある。「振華公司」の壹吊である。外枠上部に一匹の蝙蝠、左右と下部には多くの胡蝶を配している。胡蝶は朝鮮では蝙蝠の一部を変形させたものとして扱っているから、中国でも同じような扱いがあったのかもしれない。内部図柄の故事は見当がつかないが、ここにも鶴が描かれている。「公積紙幣」の壹仟文⑦の背面には周囲全体に多くの蝙蝠を描き、中央下部に鹿を描く、「六区公積紙幣公会」の背面も全く同じである。

 写真は富岡鉄斎の福禄寿の絵を袱紗にしたものである。白鹿の後方に、白鬚で額が隆起した寿星が仙桃を手に持ち、瓢箪(葫芦)を腰にぶら下げ立っている。その右には蝙蝠も描かれている。左隅には福禄寿の文字が右から左へ書かれ、寿は一段大きく、その下には同じ大きさの老が書かれ、寿老と縦に読める。印には鉄斎外史と刻まれている。外史とは中国の古代の官名で書家や画家の号として用いられ、鉄斎もこの号を用いていた。

 同じような福禄寿の絵に、鉄斎外史と署名し、富岡百錬と刻んだ印を押したものもある。これも袱紗に描かれ活用されている。大正三年に描かれた寿老人(寿星)の墨絵では五匹の蝙蝠が飛び交っている。かの有名な富岡鉄斎もこのように寿星を題材にしていた。

 福禄寿三星の図柄には、三星それぞれを人物で描いたものもある。それには鹿を伴った禄星を中心に三星の人物が描かれたものと、三星の人物だけを描いたものがある。

 劉海さん所持の銭荘票で言えば、前者は膠州山貨市の「瑞隆徳」の銭荘票上部と金口の「慶華園」の銭荘票背面上部である。どちらも鹿と禄星を中央に、向って左に寿星、右に福星なる人物が描かれている。後者は青州の「協和泰」の銭荘票銅元参吊背面中間、牟魯家の大義徳の銭荘票壹吊上部、莱陽の「益盛號」の銭荘票壹吊文上部、そして、寿星を中央にした異色なものだが西坦村の「徳盛和」の銭荘票壹吊文上部も三星を表した人物図であろう。更に、印刷所の見本段階の銭荘票だが、ここにも三星を表した人物が上部中央に描かれている

 ⑭ 「益盛號」壹吊文


  「徳盛和」の銭荘票壹吊文上部


⑯  福禄寿の図柄

福禄寿の図と篆字

③④     ⑱ 

 莱陽の「菴裡 同興永油房」

⑤  全体が瓢箪のかたち

 

⑥  「振華公司」壹吊

 

⑦ 「公積紙幣」壹仟文 ⑧


 ⑨ 富岡鉄斎の福禄寿の絵


⑩  「瑞隆徳」


⑪  「慶華園」

 ⑫ 「協和泰」の銅元参吊文 

(「鴻吉立」の参吊文も同様)


⑬  「大義徳」

三星がどのような姿で描かれているか、見ておこう。

 最も分かりやすいのが寿星である。背が低く、頭が大きく、白髪で長い白い髯、その頭も額が前に隆起している。この隆起は丹頂鶴のそれに似ている。片手に杖をもう一方の手に桃を持つ平民服の姿は、福星、禄星と異なる。福星と禄星はどちらも王朝に仕える官吏の服装をしている。つまり、官帽官袍の姿で表現される。紅い袍服、龍の刺繍の玉帯、そして髯を五つに束ねた姿で描かれている。個々に描かれるときは、福星は「福」の字を手にし、禄星は両手で金元宝を所持していると言われるが、福禄寿三星が描かれている図ではこれらの特徴は描かれておらず、どちらがどちらかと多少迷う。その見分けは官帽の左右に伸びた細い棒(或いは帯)状の装飾にあるようだ。この高官の官帽を頭に頂くのが禄星である。

 三星それぞれについて、もう少し解説しておこう。

 福星の司る「福」についてだが、中国では「吉祥」というのは多くは「福」のことを意味しており、吉祥は福そのものといっても過言でない。福の内容には主に五つの内容があるとされている。つまり、五福である。この五福については本誌2010年12月号『吉林永衡官帖官銀銭号と山東の縦長銭荘票(下)』で一つの解釈「寿・富・康寧・所好徳・考終命」を紹介したが、これも時代の変遷に伴い少しずつ変わっていっている。漢代には「寿・富・貴・安楽・子孫衆多」に、そして明清から現代に到っては「福・禄・寿・財・喜」が五福と考えられるようになってきている。

とにかく、中国人にとって五福は人生において追い求め続ける大目標である。新正月(勿論旧暦の春節)に各家の門口に福の字や福の字を逆さまにして貼り付けられているのを見かける。後者は福運を授かり賜るようにとの思いに因る。「福倒」と「福到」の発音が同じだからである。写真は青島で見かけたものである

 「禄」は広義の福の概念に含まれる内容だが、それが分化し、庶民が特に追い求める内容の一つになってきた。封建時代にあっては高官(高級役人)になることで、高給が得られた。「高官厚禄」である。封建社会では朝廷の官職の等級は権力を強くするだけでなく、経済収入や社会的地位を左右したのだ。そこで、「一品當朝」「進爵封侯」(本誌1987年9月号「中国便り⑫再び『吉語銭と・・・』」で紹介済み)などと高官になる願いを追求することになる。唐以降、科挙(高級官僚選抜試験)が充実してくると、貴賎の区別無く庶民にも門戸が開かれていた科挙は、学問に励むことで、誰でも合格すれば、官になり、自己の運命を改変することができた。そこで、息子全員が科挙に合格したり、上位で合格することを願って「五子登科」「状元及第」(状元とは科挙の最後の試験での首席を指す)などと祈願されるようになった。このように、禄星は禄神(財神)の面以外に文神としての面も担わされるようになった。日本の天神さんのような学問の神様の側面も見せるようになったのである。

 「寿」も広義の福の概念に含まれる内容だが、それが分化し、独立して、禄と同様に庶民が希求するものになっていった。「長生不老」「延齢益寿」などに見られるように、長命を指す概念である。干(甲乙丙・・・)支(子丑寅・・・)の組み合わせで、昔は年代を表現していた。この組み合わせが一巡するのが六十年、だから六十一歳を還暦と言った。そして、六十歳を超えれば、長命と考えられていた。六十歳を下寿、八十歳を中寿、百歳を上寿と言ったものだ。長命を祝う類の言葉にも、還暦、古稀(杜甫の『曲江』という詩に「人生七十古来稀」とある)、喜寿(喜の草書は七十七)、傘寿(八十)、米寿(八十八)、卆寿(九十)、白寿(百から一を引くと九十九)、百寿、茶寿(十と十と八十八で百八)などがある。私たちも、これらの言葉の幾つかは目にしたり耳にしてきていよう。

 長寿の象徴として、松や亀や鶴や白鹿などは我々日本人も馴染みが深い。「亀鶴延年」「亀鶴齊齢」「鶴寿松齢」「松鶴延年」「鶴鹿同春」「六合同春」は、鶴・亀・鹿・松などと同じように長命、長寿であるように願った言葉である。「六合同春」は「鹿鶴」lu・heと「六合」liu・heの発音が諧音(発音が同じ、或いは似ている音)であり、更に「桐」が「同」と諧音のため、鹿と鶴と桐の木を描くことで、この語句を示している。六合とは上下天地と東西南北を指す言葉で、全宇宙天下を指し、全宇宙が同春、つまり春と同じように活力生命力が溢れた状況だということだ。

 これらも銭荘票に描かれている。

 先ず「六合同春」の図柄を見てみよう。「同興永油房」の銅元壹千文背面上部には同興永油房の文字を挟んで右に六合の文字と鹿、左に同春の文字と鶴が描かれている。

㉔  「益盛號」

上下㉖  「協和泰」 


㉗   「裕興和」の銅元壹吊文

⑰  各家の門口に福の字や福の字を逆さま


 ⑲ 「裕和號」背面上部に桐と鹿、

下部に松と鶴

 ⑳ 「義盛公」の壹吊


㉑ 「華永茂」の大銭壹吊

 

 「泰東」の壹吊背面

㉒ 「広徳銭荘」の壹千文

㉓ 「錦徳銭鋪」貮吊

㉕  「全祥東」の背面


㉘  「蔚蘭齊」銅元伍千文

「裕和號」(額面無記載)の背面上部に桐と鹿、下部に松と鶴を描く、これも「六合同春」の一つであろう。「義盛公」の壹吊は山野を背景に鶴や鹿や松が描かれている。鹿は右下に小さく描かれている。「華永茂」の大銭壹吊も山野の松や竹を背景に鹿も鶴も大きく描かれている。「広徳銭荘」の壹千文も「錦徳銭鋪」貮吊も山野を背景に鶴や鹿や松を描いている。「益盛號」大銭壹吊文は額面左右に対称に鹿と鶴が描かれ、左右のそれは鹿と鶴の位置が上下逆になっている。背景に桐と松を淡白な色で描く。「泰東」の壹吊背面には中央飾り枠の中に鶴・鹿・松が描かれている。「全祥東」の背面鹿鶴商標は中央に松の下に仲良く語りあうような鹿と鶴を描く。

 鶴と松の図柄には、「協和泰」の銅元参吊文の背面下部、「鴻吉立」の参吊文の背面下部や、「裕興和」の銅元壹吊文の背面上部などに見られる。

 鶴だけの図柄の銭荘票もある。「蔚蘭齊」の銅元伍千文である。瑞雲と共に動きの違う4羽の鶴を左右対称に8羽描いている

鹿や鶴や松を描く銭荘票は多いが、亀を描く銭荘票が劉海さんの収集の中には1枚も見当たらなかった。同じ長寿を表す生き物だとされていたのに、中国ではしだいに亀は避けられ嫌われ蔑まれてゆき、図柄としては専ら長寿の象徴を鶴に代表させるようになってしまったかのようだ。「烏亀」とは妻を寝取られた男を指すし、「王八」とは鼈(スッポン)の俗称で、これも妻を寝取られた男を指す。このような罵詈雑言が中国社会に定着しているのだから、鶴に比べて亀の図柄が見当たらない或いは少ないのも当然なのかも知れない。