11 山東の縦長銭荘票の図柄と中国の伝統文化

 八仙及び囲碁 その1


加藤正宏


 雑誌『収集』2012年10月号に掲載したものに花銭の内容を加えて紹介するものである。

雑誌では紹介できなかった写真なども多く追加しているので、雑誌とはまた違った感覚で目を通していただけるものと思う。

山東の縦長銭荘票の図柄と

中国の伝統文化

八仙、及び囲碁 (その1・八仙)

加藤正宏

日本で仙人といえば、私などは小島功の漫画「仙人部落」『週刊アサヒ芸能』が先ず頭に浮かぶが、しかし、日本の正統派の仙人としては久米仙人であろう。 


 

 漫画「仙人部落」

『今昔物語』集の巻第十一・本朝付仏法・第二十四「久米の仙人、はじめて久米寺を造りたる語」には「今は昔、大和国、吉野の郡、龍門寺といふ寺あり。寺に二の人籠もりゐて仙の法行ひけり。・・・・・・。一人をば久米といふ。・・・・・・。その後、久米もすでに仙になりて、空に昇りて飛びて渡る間、吉野川の辺に、若き女衣を洗ひて立てり。女衣を洗ふとて、女のはぎまで衣をかき上げたるに、はぎの白かりけるを見て、久米、心けがれてその女の前に落ちぬ。」とあり、更に後日談として、久米の祈りで「大中小の若干の材木、しかしながら南の山辺なる杣より空を飛びて、都を造らるるところに来にけり。多くの行事官の輩、敬ひてたふとびて久米を拝す。」と記載されている。

彼の場合、一度は心けがれて、神通力を失ってはいるものの・・・・、この説話には仙人とは何たるかの多くが示されている。修行を経て、心清浄な無欲の状態となり、空を駆け巡ぐり、一瞬にして物を遠くに移動させるなどの神通力を発揮できる能力を得た者である。

大辞林によると、「①中国の神仙思想や道教の理想とする人間像。人間界を離れて山の中に住み、不老不死の術を修め、神通力を得た者。やまびと。②世俗的な常識にとらわれない、無欲な人。」となっている。

八仙は中国人に愛され親しまれてきている仙人たちだ。現在の八仙は明末に確定したそうで、それぞれが神通力を身につけているが、中国の庶民は八仙群像に懲悪揚善、駆瘟避邪(瘟=伝染病、生気が無い)、済世済貧(済=救済)、劫富済貧(=富者から物を奪い貧者に施す)、抑富済貧、祈求吉祥を求め、吉祥喜慶の象徴だと見ている。

ところで、道教の考えは囲碁にも通ずる。碁石の黒白は日月・陰陽・昼夜を象徴し、碁盤は天、碁石は天空の星をも象徴している。囲碁での対局は碁盤上の碁石の有無が全てで、無の中に有あり、また有の中に無がある。道教の考える宇宙の変化もまた同じだとする。仙人と囲碁の逸話も多い。銭荘票の図柄には囲碁の図柄が幾つか見られる。

一、八仙

 八仙とは李鉄拐・張果老・曹国舅・藍采和・呂洞賓・韓湘子・何仙姑・漢鐘離の八人の仙人である。

 大義徳

 東盛祥

  杏村居

 益盛號

 同興永油房

 慶華園

 慶華園背面

 慶華園背面一部分

 大義徳、東盛祥、杏村居、益盛號、同興永油房、慶華園、衆源永、これらの劉海さん所蔵の銭荘票に八仙の図柄が見られた。その多くは正面外枠に個々に八仙が描かれて、その八仙の並べ方には定形がない。中にはその枠の上下部分は福禄寿三星や和合仙人を描き、枠の左右だけに八仙を描いたものもある。慶華園の銭荘票には正面だけでなく、背面にも八仙(集団図)が描かれている。また、衆源永の銭荘票は背面のみに八仙の集団図を描く。この図では囲碁が行われている。これについては囲碁のところで紹介しよう。正面に八仙集団が描かれている銭荘票としては、鴻信銀號の正面上部と、鶴祥誠號の正面上部がある。後者は八仙集団の上部に福禄寿を描く。

 八仙迎寿

 八仙慶寿


 八仙過海

 八仙群像

 個々でなく、八仙を纏めて話題にし、吉祥図案としてよく描かれているのが「八仙迎寿」「八仙慶寿」「八仙過海」である。「八仙迎寿」は鶴に跨り降りてくる寿星(寿老人)を八仙が迎えている図で、吉祥如意を表すという。「八仙慶寿」は西王母(女仙人の統括者、支配者なる女神)の蟠桃(仙桃=三千年に一度結実し、これを食べると長寿になる)会に八仙が集まり、寿いでいる場面だ。「八仙過海」はこの宴会で集まった八仙が帰途に東海に遊びに出て、仙人の一人呂洞賓の提案で各自の宝器を用いて海の渡り比べをしている場面である。各仙人の神通力がここで発揮される。中国民衆にとって、この話は自己の特別能力を頼り奇跡を生じさせる比喩として受け止められ、愛されている。

 八仙の簡単な紹介をしておこう。

李鉄拐:

 跛(びっこ)でルンペンのような姿をしている。これは太上老君(神格化された老子)のお供をして、魂が身体を放置し留守にしている間に、一週間の留守番を任された弟子が、母の病で、その日数を繰り上げて6日目に彼の身体を焼却してしまっていた為である。近くにあったルンペンの死体を借りて、そこに魂が入り込んで復活した。彼の宝器は瓢箪(葫芦)で、「葫芦豈止五福(瓢箪は五福のみならず・・・)」と言われ、衆生を救済できる仙丹や五匹の蝙蝠(福)が入っている。ルンペンの所持していた杖は神通力で鉄の拐(つえ)に変わっており、これが名の由来でもあり、もう一つの宝器である。

左から江西省萍郷市安源電影城(映画村)内部壁画

・左下ー益盛號、・右上ー東盛祥・右下ー同興永油房の部分

呂洞賓:

 剣を背負い、凛々しいハンサムな壮年の道士姿で描かれている。もともと科挙の受験生であったが、雲房(漢鐘離)に出会い出家している。そこにはかの有名な「邯鄲の夢(仮眠中に栄枯盛衰の自己50年の人生の夢を見て虚しさを感じて道士となる)」と同じような「黄梁一夢」の逸話があったとされている。宝器は降魔太阿神の剣で、「剣現霊光魁魅?」と言われ、邪悪を鎮め魔を駆逐することができた。漢鐘離を師とする。日本の画家雪村(雪舟とよく比較される画家)が水墨画『呂洞賓図』(縦120、幅60センチ)を描いている。

左から江西省萍郷市安源電影城(映画村)内部壁画

・左下ー益盛號、・中ー東盛祥・右ー同興永油房の部分 

漢鐘離

でっぷり太って腹が出ていて、胸からその腹まで曝け出している。美しい髯に頭髪は子供のように両側で巻き上げ小さな輪を形づくる。宝器は芭蕉扇で、「軽揺小扇楽陶然」と言われ、軽く扇を振れば心をうっとりさせて和ませるだけでなく、死者の魂をも蘇(黄泉帰)らさせた。

 雪村 水墨画『呂洞賓図』

(縦120、幅60センチ)

 左上から江西省萍郷市安源電影城(映画村)内部壁画・益盛號、

同興永油房の部分・右ー東盛祥

張果老

 八仙の内で最長老で、驢馬に後ろ向きに騎乗して一日に千里も移動できた。この驢馬は食物や水をやる必要がなかった。それだけでなく、不必要なときには一枚の折畳みの驢馬にして持ち運びができた。必要時には息を吹き掛けると驢馬に戻った。宝器は魚鼓(一種の楽器)で、「魚鼓頻敲有梵音」と言われ、魚鼓からは梵音が聞こえ、人生を占うことができた。なお、紙の驢馬も宝器とされる。

 左から同興永油房の部分・中ー益盛號、・右ー東盛祥

・下ー江西省萍郷市安源電影城(映画村)内部壁画

韓湘子

 若者の姿で描かれる。唐代の著名文人である韓愈の甥だとされる。韓愈の左遷時に起こることを、眼前で咲かせた花の花びらに字を写して予告したと言う逸話がある。宝器は笛で、「紫簫吹渡千波静」と言われ、その妙なる音は纏わりつき、万物に精気を与えた。

 左上ー江西省萍郷市安源電影城(映画村)内部壁画・左下ー益盛號、

・中ー東盛祥・右ー同興永油房の部分

曹国舅:

 北宋時期の仁宗の皇后の親族で、権力を傘に着る弟を見かねて、道士の道に入る。豪華な衣装を身につけた姿、つまり、頭に紗帽を被り、身体に紅袍を纏う文官の正装をしている。宝器は拍板(大きなカスタネットのようなもの)で、「玉板和声万籟清」と言われ、その神秘な響きは周囲の環境を静まり返らせ、落着かせた。呂洞賓と漢鐘離を師とする。

上ー江西省萍郷市安源電影城(映画村)内部壁画・

 左から益盛號、・中ー東盛祥・右 同興永油房の部分

藍采和

 片足は裸足で、夏は毛皮(綿入れとも言われる)の衣服を身に着け冬は肌着だけの奇妙な姿で現われたという。多くは男の子として描かれることが多いが、男なのか女のかもはっきりしない仙人で、ルンペンのような姿で、拍子木を打ち鳴らし、歌を歌って投げ銭をしてもらっていたという。その歌詞は実は予言の内容であった。宝器は花籠で、「花籠内蓄無凡品」と言われ、籠の中には、普通のものではなくて、神の花や特別な果物が入っており、諸神と通じていたと言われる。

 江西省萍郷市安源電影城(映画村)内部壁画・

左から益盛號、・中ー東盛祥・右ー同興永油房の部分

何仙姑

 八仙のなかで唯一の女性で、雲母を食べて、身体が軽くなり、空に舞い上がったと言われる。宝器は荷(=蓮)の花で、「手執荷花不染塵」と言われ、荷花は泥の中から出てくるのに、泥に染まらず、清らかで美しく、身を修め養生することができた。また、払子を宝器だとする説もあるようだ。

 左から江西省萍郷市安源電影城(映画村)内部壁画・益盛號、・東盛祥・同興永油房の部分

 人間界に現われたこれら八仙の故事は一般の神仙と異なり、民衆に深く愛されるものであった。彼らは生まれながらの仙人ではなく、或る者は将軍であり、或る者は皇族の親族であり、或る者は乞食であると言うように、社会での身分や階級が異なり、様々な階層を代表していた。八仙は男(呂洞賓)女(何仙姑)老(張果老)幼(藍采和)富(韓湘子)貴(曹国舅)貧(李鉄拐)賎(漢鐘離)をそれぞれ代表していると言われる。加えて、李鉄拐のように酒におぼれ酩酊してしまったり、呂洞賓のように喧嘩早かったり、それぞれにいくらか欠点があって、庶民にとって、身近で親しい仙人たちであった。

 正面背面各四仙

  呂洞賓・何仙姑

 この内の二枚が手持ち

 手持ちの張果老仙はこのシリーズの未掲載の一枚か

 『中国花銭』と『古銭新典(下)』から八仙を刻む花銭を見ておこう。この二冊の参考図書には三形式の八仙の花銭が見られた。図をご覧頂こう。何仙姑には何仙先姑、何氏仙姑、何仙姑仙の三様の名が見られる。韓湘子は韓仙湘子と韓担子仙の二様の名が見られる。

 手持ち張果老



手持ち何氏仙姑



と漢仙鐘離 

 私が所持しているのは、何氏仙姑と漢仙鐘離と張果老仙の三枚である。前二者と最後のとは形式が異なる。前者は上下右左と読み、後者は左から右への廻読である。後者の方が前者より径が一廻り大きい。前者は背の右に仙人、左に宝器が描かれている。後者の張果老仙は右に驢馬に乗った仙人,左に斧を描く。上記二著には掲載されていない花銭だ。『中国花銭』で未収の掲載されず欠けていた花銭(張果老、曹国舅)の一枚であろうか。張果老と斧の関連は分からないが、彼の伝説的な逸話に固鎮橋の話がある。伝説的な名工である魯班(中国古代最大の土木建築技師)が架けた石造の橋を、造りは大丈夫か安全かと試し渡りをする話である。驢馬に十分と河の水を飲ませ、橋を渡ろうとすると、橋が揺れ倒壊しそうになる。慌てて魯班が神斧を橋下にかませて倒壊を防いだという。これは安徽省固鎮県人民政府旅遊局の紹介内容だが、全国に知られている河北省の趙州橋逸話の亜流の感じだ。趙州橋では、倒壊を防ごうとして魯班が自分の身体で支えている。どちらも、試しているのは八仙の張果老である。張果老の宝器でもない斧がどうして取り上げられているのか、実のところ分からない。