イメージ・コレクション其之九

『映像に遺された満州』


本学美術館・図書館民俗資料室ギャラリー展示 19「承徳の民藝品−伊東祐信・知恵子コレクション展−」関連企画「映像に 遺された満州」(2014 年 9 月 22 日~ 10 月 11 日、於イメージライブラリー)で映像展示したフィルムは二つの点で重要で ある。

ひとつには、これがフランスのパテ・ベビー 9・5 ミリフィルム、映画発明後に初めて登場した個人向け小型映画による 映像であり、発売翌年の大正一二(1923)年の関東大震災直後に日本に到来、個人の映像記録が可能であった為に、時代状 況からして中国サイドから撮影・現存の可能性がほぼ皆無な当時の満州の姿が個人映画に残されていること、そしていまひ とつの点とは、これらの映像が立場の異なる二人の民間人によって違う時期に撮影されていることである。 一人はおそらく企業活動の視察で「満州國」成立以前に渡航して彼の地でカメラを回し、もう一人は医師で、まさに「満州國」 建国の瞬間、昭和七(1932)年三月一日の祝賀大会からその撮影を開始しているのである。 前者の撮影時期は大正一三(1924)年から昭和五(1930)年までであろう。なぜなら昭和六(1931)年に関東軍による 南満州鉄道爆破「柳条湖事件」から満州事変が勃発、翌年三月一日には「満州國」が成立して、長春を新首都「新京」と改 名するが、映像には南満州鉄道(満鉄)の車窓から撮った遼陽、撫順、奉天そして長春の駅名も写っているからである。奉 天では忠霊塔などを訪ね、また長春の街並み、ハルビンのロシア人街の景観とその賑わい、黒龍江辺のロシア人村落など、 関東軍の傀儡国家「満州國」成立以前の姿を知ることができる。 後者の医師が撮影した二巻のフィルム缶には各々「建国運動」と「家庭生活」と記してある。「建国運動」巻頭では祝賀行 列中に伝統芸能「高足踊り」や、関東軍指導下の新制満州国軍騎兵隊がみられる。続いて所謂匪賊(抗日ゲリラや統率を離 れた国民党軍残党など)を河原に引き出し公開銃殺するさまが写っている。医師が関東軍上層部と親しくなければ勿論こう した撮影が許可されよう筈もなく、おそらく監察医だった為に死亡確認の要から処刑現場に赴いたのだろう。民間人とはいえ特殊な立場にいればこそ、個人の小型映画に稀有な情景が残されたのである。 「家庭生活」の巻には医師の家族がピクニックやテニスをしたり、毛皮に身を包んで犬の散歩をするなど「満州國」支配階 級日本人としての優雅な外地生活を楽しむさまがみられる。満鉄の食堂車や豪華なソファー付展望車で旅行もしている。こ の映像が現存しているのは、ソ連軍侵攻の際に悲惨な運命に見舞われた満蒙開拓団などとは違い、医師一行が想い出のフィ ルムを持って早々と日本に引き揚げることができたゆえであり、当時の個人映画という存在の皮肉を思わざるをえない。 未だ江戸情緒を残していた東京が、関東大震災を契機に舞台装置めいた看板式建築の林立するモダン都市へと変貌し、明 治以来の日本国家が日清日露、第一次大戦の相継ぐ勝利を背景に推進した近代化は、ここに西欧追従を脱して、やがて自覚 的な様式として選びとった「大東亜」のモダンスタイルを獲得していく。「昭和モダン」と命名される内向きの時代定義とは 相違して、疑似的国際社会としての大東亜スタイルは、政治的立場の如何を問わず、日本人の謂わば未来志向の表象となっ て出現した。 そして、個人映画が登場したのは、まさにそうした変貌の時代の最中であった。近代アジアの未来国家である王道楽土「満 州國」が成立する。震災直後にアナーキスト大杉栄を暗殺した甘粕元憲兵大尉を長とする満州映画協会「満映」が、そして 最新鋭蒸気機関車「あじあ号」を擁する国策会社「満鉄」が、大東亜モダニズムの尖兵として東亜の盟主ニッポンのイメー ジを増幅する。昭和三年の御大典当時、官製唱歌に「昭和、昭和、昭和の子供よ僕達は...」と唱われたアジアの夜明けの子、 少国民は、この自覚された近代アジアの未来を担う子供たちというイメージを自らに課していく。彼らはやがて十数年後、 未来社会の範となる筈の日本のモダン都市群が焦土と化すさまを目のあたりにするだろう。 擬態された東亜のモダニズムはただフィルムの薄明の中にのみその幻影を留めるに過ぎない。しかし生き残ったかつての 小モボ、モガたちは、敗戦後の新生日本建設に彼らの未来像を重ねていく。だとすれば現代日本とは、とりもなおさず幻影 の幻影、フェイクなインスタレーション未来国家のそのまた投影像ではないのだろうか。「満州國」が偽皇帝愛新覚羅溥儀と、 男装の麗人川島芳子と、支那の歌姫李香蘭こと山口淑子に象徴される、つまり追放された者と皇帝、男と女、中国と日本の 差異の越境とアイデンティティーの曖昧さの中に、薄明「彼は誰れ」の内に立ち現れるのであれば、満州帝国成立八十年後 の現代日本もやはりレビュー終演後の舞台装置の如き、曖昧な時の中に投影された未来像だとは云えまいか。


図1 満州国騎兵隊

図2 満州に暮らす日本人