イメージ・コレクション其之五

『視る欺瞞』


アナモルフォーズ(歪み絵)とは、そのままでは一見何が描かれているのか判らない絵を一定の視点から眺めることで、 あるいは円筒や円錐の鏡面体を絵の上に置くことで、はじめて描かれたものが見えてくる瞞し絵の手法である。種村季弘に よると「円筒アナモルフォーズの発祥地は東洋、それも中国であるらしい」(注 1)。17 世紀欧州に大流行したこの技法は、 デカルトとも交流のあったパリのミニム会修道士たちによって研究された。種村によれば、「デカルトの二元論が地上的な知 覚がとらえる『かくある存在』の欺瞞と、神の自然法則を通じてしか見えない現存在との分裂から出発しているとすれば、 彼がミニム会士のアナモルフォーズ研究におのれの哲学の幾何学的証明を見たとしても一向に不思議はない。アナモルフォー ズはたしかに遠近法という知覚の固定観念を逆用した遊びには違いないが、同時に現象界と知覚の欺瞞をあばく哲学的懐疑 論の申し子でもあったのだ」。だが、「デカルト時代には遊びでもあった精神の光学は産業革命以後の生真面目なアカデミシャ ンに引き取られて、現実の『自然らしさ』、もっともらしさを定立する証明法へとふたたび一元化され——中略——自然らし さを混乱させる知覚のトリックは、子供部屋か手品師の小屋以外の場所では御法度」になったという。 キリスト教世界のように視覚トリックが深刻な神学・哲学的隠喩とはなり得ない東洋では、アナモルフォーズは専ら遊興 の具であった。日本でも古くから円筒鏡のかわりに刀の鞘を使って判別不能な絵を正しく写して見る「さや絵」がある(注 2)。 図 1 は江戸後期の深鉢で、見込みの定位置に錫の銚子のような円筒鏡状のものを置くと龍の頭部が鉢から立ち上がって見え る趣向である。おそらくは宴会の席上で余興として楽しまれたのだろう。図 2 の明治印判小皿も同様で、皿を回すと鏡に映 る風景が次々と変化していく。こうした江戸の洒脱な遊びの文化を明治新政府は近代化の妨げになるとして目の敵にしたの である。

明治 10 年代に再渡来した西洋幻燈を啓蒙教育に使おうと考えた政府は、鶴淵初蔵と中島待乳に幻燈機とガラススライド(当 時「映画」とか「種板」と呼ばれた)の製造を委嘱したが資金が続かなかった。困った鶴淵らは「教育幻燈会」と称して各 地を巡業、その普及に勉めた結果、幻燈興行や安価になった機器による家庭幻燈会も盛んになっていった。図 3 と図 4 は共 に教育幻燈会に用いられたもので、ガラスに原画のモノクロ写真をポジ転写し手彩色した上でもう 1 枚のガラスを重ねて周 囲を布テープで貼っている。どちらも奇怪な絵柄ではあるが、種を明かせば前者は「女の口車に乗る人」、後者は「宴会は頭 割り(つまり割り勘)」とういういたって単純な判じ絵である。だが教育勅語を国是として文明開化と倫理的啓蒙を推進する 明治政府の謹厳実直や公徳心といった建前が、庶民にはおなじみの江戸趣味の洒落である言葉のトリックのイメージ化を通 じて喧伝されたというのは何とも皮肉な話であろう。西欧近代が虚像の遊びと隠喩を捨てて産業社会の現実主義へと転じた、 その分裂によって苦悶し歪んでいる実像だとすれば、東洋初の近代国家日本とは、とりもなおさずそのパロディ、「子供部屋 か手品師の小屋」でしか見られないアナモルフォーズそれ自身に見えてくるのではなかろうか。


注 1:種村季弘・高柳篤『だまし絵』、河出書房新社、1987 年刊、60 頁以下。以下の引用も同じ。 注 2:山本慶一『さや絵考』私家版、1975 年刊。




図版 所蔵:松本夏樹

撮影:原田正一

デジタル制作:福島可奈子



図1 おそらく杯洗として水を入れて使っ たので、昇り龍の像は立身出世を表して いる

図2

図3

図4