イメージ・コレクション其之四

『動く驚異』


日本に幻燈がもたらされたのは 18 世紀後半のことと考えられる。幻燈に関する最初の邦語文献『天狗通』(安永八年、1779 年) の記述を、その発見者山本慶一の著書から引用すると、「幽魂幽鬼をあらわす術、影絵目鑑と言う物目鑑屋にあり。これを用 うべし。いろいろの姿あらわる。何の絵にてもこの箱の内なる目がねに絵描き入れしおくときは、何を映してもその絵のと おりのもの見ゆるなり—後略」とあり、「影絵眼鏡にて白壁に絵を写す図」と題して、金棒を持った鬼が幻燈器で壁に映写さ れている図が掲げられている(注 1)。蘭学者大槻玄沢もその著『蘭説弁惑』(寛政十一年、1799 年)で幻燈について述べて おり、岩本憲児によれば「オランダ語で『とうふる、らんたある』とあるのは、tover lantaarn で、『悪魔のランタン』を意 味している。この言葉は本書の西洋編で述べたラテン語の lanterna magica(魔法のランタン)に由来する。大槻玄沢はこれ を『妖燈』と呼んだようだが、その師杉田玄白は『現妖鏡』または、オランダ語から『トーフルランターレン』と呼んだ」 という(注 2)。いずれにせよ幻燈から出現するのは、洋の東西を問わず幽魂幽鬼や悪魔といったあやかしの類いであり、人 間の怖いもの見たさの欲望にかなう者共であった。忘れてならないのは、当時の光源が現在の電気によるものとは違い、た えずゆらめく炎であって、映し出される像も生きているかのように動いていたことである。

図 1 は 19 世紀末ドイツ製の家庭用幻燈で、レンズ筒を支えている部分は典型的なグロッタ模様、色彩は赤と黒の意匠となっ ている。魔法や悪魔を連想させることで、幻燈そのものの持つ文化コードに沿うものとなっている。図 2 は古い人形劇でお なじみのトリックスター的存在であるアルルカンが、体をバラバラにされたり、元に戻ったりする仕掛けの幻燈スライドで ある。オランダ渡りの幻燈は享和三年(1803 年)に、江戸の都屋都楽によって幻燈ショーと云える「写し絵」(上方では錦 影絵)へと発展した。図 3 はその幻燈芝居のワンシーンを構成する仕掛種板(スライド)で、棒を持つ右手が上下に動くよ うに、片方をマスクする黒く塗ったガラス板がこの図に組み合わされる。幻燈華やかなりし時代には、東西共に人は暗闇に ゆらめきつつ出現する妖しの像の動きに幻惑されることを喜んでいた。 だが同じ動く幻にも、東西の事情が反映しているのは当然であろう。図 4 は明治期の面被り人形で、西洋服姿の人形の背 中を押すと、両手に持ったハンドバッグ、実はオカメの面を被る。文明開化に必死な自らへのパロディーとも、また素直な 和魂洋才への賛辞とも云える玩具である。同時代英国の幻燈会(図 5)では、西欧列強に蹂躙される中国の戯画が、教育的ツー ルとしての幻燈によって子供達にも与えられるのである。


注 1:山本慶一『江戸の影絵遊び』草思社 1988 年刊 139 頁

注 2:岩本憲児『幻燈の世紀—映画前夜の視覚文化史—』森話社 2002 年刊 88 頁




図版 所蔵:松本夏樹

撮影:原田正一

デジタル制作:福島可奈子



図1

図2

図3

図4

図5