イメージ・コレクション其之二

『中国の影 ( オンブル・シノワーズ )』と水兵服 ( セイラー )


「中国の影」Ombres chinoises とは 18 世紀後半以降フランスに流行した影絵ショーの謂で、実際は中国ではなくトルコの 影絵芝居や、ヨーロッパ独自のシルエット画に由来すると云われる。19 世紀中頃には家庭用玩具としての影絵セットが販売 されたが、その箱や紙製舞台にも、多くの中国風の意匠が施されていた。同時期にヨーロッパ各国の幻燈製造業者によって、 大型の劇場公演用と共に、家庭用の小型幻燈が作られ始める。

1895 年、リュミエール兄弟が幻燈の技術を基にシネマトグラフを製作・公開するや、僅か 3 年後にはセルロイド・フィル ムに直接リトグラフ印刷したカラー・アニメーションとセットで、家庭用小型映写機がこれら幻燈製造業者によって売られ 始めたが、ほとんどの映写機は幻燈と兼用であった。上映時間数秒のアニメーションの両端を接合してループ状にしたエン ドレス・フィルム数本と、リトグラフ転写のガラススライド 1 ダースが兼用機と共に箱に収められるのが通常であった。図 1 は、20 世紀初頭のフランス製セットの蓋に貼られたリトグラフで、少年が映写機の把手を回してループ・フィルムを上映 し、家庭教師と覚しい指棒を持った婦人が子供たちに、映し出された競馬の情景を示すさまが描かれている。画面上部には CINEMATOGRAPHE、下には LANTERNA MAGICA と書かれ、左右の窓には提灯が吊り下げられて、それぞれから中国風 の男と女が顔を出している。画面外枠や提灯に描かれた模様も漢字を意識したものである。シネマトグラフは純然たる自国 の発明品であり乍ら、先行する光と影の遊戯文化の表象「中国の影」をなお纏 ( まと ) い続けているのである。 画面の少年の幾人かは水兵服姿だが、図 2 の同時代のドイツ製幻燈スライド紙箱にある幻燈を操る少年も、図 3 の家庭幻 燈会を描いた明治の引札(広告用チラシ)の少年も同様である。水兵服は当時の裕福な家庭の子息を示す表象であった。明 治 30 年(1897)、映画つまりシネマトグラフとエディソンのヴァイタスコープが日本で初上映されると、程無く国産の巡業々 者用もしくは富裕層向け家庭用映写機が売られ始めるが、ほとんどは明治 10 年代に再渡来した幻燈の製造・販売業者による ものであった(注)。

図 4 は 2005 年に発見した現存する日本最古のアニメーション・フィルムで、黒赤 2 色の「合羽 ( かっぱ ) 刷り」(型紙 ( ス テンシル ) 印刷)50 コマにより、水兵服の少年が登場して背後に「活動写真」と書き一礼する、というループ状の作品である。 コマ撮りも西洋式の多色石版刷りも高価な為に、安価な家庭用幻燈スライド作りの技法「合羽刷り」によった日本最古のア ニメーションは、映像それ自身の終りなき自己紹介なのである。


注:岩本憲児『幻燈の世紀—映画前夜の視覚文化史—』、森話社、2002 年。 松本夏樹・津堅信之「国産最古と考えられるアニメーションフィルムの発見について」、『映像学』76、2006 年 5 月 25 日、日 本映像学会発行、86 頁以下。




図版 所蔵:松本夏樹

撮影:原田正一、松本麻野

デジタル制作:福島可奈子


図1

図2

図3

図4

図5

図6