2020年1月発行

映画のイコノロジー飛行新聞 Die ikonologische Flugzeitung des Kinos Vol.9-1


(飛行新聞 Die Flugzeitung とは、グーテンベルクの活版印刷によって宗教改革時代以降、カトリックとプロテスタント両派が宣伝合戦を繰り広げたビラに由来する。つまり現在のフライヤーのこと)


映画のイコノロジー飛行新聞9号

ヒッチコック「裏窓」・「見知らぬ乗客」 ― 鏡、窓、レンズ ―


今日のテーマ、鏡とか窓とか、これはヒッチコックの重要なテーマですから、前回、前々回の作品も順にみていきます。

「鳥」学校から走って逃げる子供に鳥が襲いかかるシーン

⇒ この子は度の強い眼鏡をかけていて、襲われて眼鏡が壊れてしまう。これは前にも言いましたが子どもが襲われて血だらけになる場面があるなんて、それまで考えられない事でした。

「鳥」町に鳥が襲来。主人公は電話ボックスに隠れるが、鳥がぶつかりガラスが大きくひび割れる。

⇒ スクリーンに正面から鳥が当たるシーンです。

「断崖」眼鏡をかけて列車の一等室に座る主人公、児童心理学の本を読んでいる。

⇒ 彼女は、この列車で出会った男と結婚して後に、その相手に疑惑を抱くわけですが、彼女が眼鏡をかけているのは、何かを読む、そして疑惑のある場面です。

「断崖」これは新聞を読んでいます。夫が事業をするのにお金を工面した友人が、レストランで亡くなったという記事です。
「断崖」夫が隠した書類をこっそり見ています。妻にかけた生命保険の書類です。

⇒ 保険金は妻が死亡した時のみ支払われますと書いてあります。

「断崖」夫妻の友人である女性推理作家の家で、彼女の弟も交え一緒に食事をしている。

⇒ この分厚い眼鏡をかけた作家の弟は検死解剖医なので、鶏を食べる時もナイフとフォークをメスと鉗子の様に使っています。

「断崖」推理作家の姉と検視医の弟

⇒ 痕跡の残らない毒が存在するについて聞かれた時に顔を見合わせています。

「バルカン超特急」駅のホームで眼鏡を落とした老婦人に主人公が眼鏡を渡そうと近付く。

⇒ この老婦人がミス・フロイといって消えてしまう乗客です。

「バルカン超特急」フロイという文字が曇った列車の窓に浮かび上がる。

⇒ 主人公が名前を尋ねた際に音がうるさく聞こえなかった為に指で窓に記した。(彼女が存在した証拠)

「バルカン超特急」列車の窓にゴミとして投げ捨てられたお茶の袋が張り付いているのを男が見る。

⇒ 男はハリマン・ハーブ茶の袋を見て主人公の言うことを信じ一緒にミス・フロイを捜す。

「バルカン超特急」貨物車で金縁の眼鏡を発見する主人公と男。

⇒ ミス・フロイが掛けていた眼鏡である。

「バルカン超特急」眼鏡は自分のものだから返してくれと言うイタリア人奇術師。

⇒ 眼鏡を取り合うシーンです。

「サイコ」主人公が『スザンナ』という絵が掛かっているホテルの応接室です。

⇒ これはスザンナの水浴を覗き見する老人の絵ですが、この絵を外すと覗き穴があり、隣の1号室を覗ける。 裏窓にもつながる、覗くという行為です。

「見知らぬ乗客」主人公に交換殺人を持ちかけた男ブルーノの母親が描いた絵。

⇒ この絵を母親は聖フランシスのつもりだというのですが、ブルーノは父親だろうと言って笑う。

奇妙な母子関係というか、お父さんの方は息子を早く施設に入れないといけないと言っている。それが父を殺す動機になっています。

「見知らぬ乗客」主人公の妻(ミリアム)を殺そうと狙っている場面。

⇒ 眼鏡をかけている女性です。殺す瞬間も眼鏡に映った映像となっている。眼鏡が記憶装置になっているという事です。

「見知らぬ乗客」主人公の恋人の家のパーティーでその妹(眼鏡をかけた)を凝視する場面。

⇒ 妹はブルーノの殺意を感じます。

「見知らぬ乗客」のラスト近く、猛スピードで廻るメリーゴーラウンドが急停止し皆が放り出されるシーン。

⇒ ここのシーン大好きなんです、カタストローフが。カメラワークがホントいいですね。ずっと回っている間の馬の撮り方とか。

今まで見てきた第1回、『不穏な女』は「鳥」におけるバンディ夫人と「断崖」のイゾベル。

第2回『消えた女』「サイコ」「バルカン超特急」、そして今日の「裏窓」や「見知らぬ乗客」でもそうですが、だいたい窓や鏡、レンズ、眼鏡といったものに一瞬映って消えてしまうものを媒介として不安や恐怖を強調していく。ヒッチコックの映画はストーリーテリングがあって面白いですがイコノロジーという観点からみると、それらが小道具としてではなくイメージが現れてくるメディアとして使っている。裏窓では特に典型的です。レンズを通して一つ一つの部屋が拡大されたり、細かく仕切られたりする、オムニバスの形式です。

まるで顕微鏡でプレパラートを眺めるようなレンズ式の映画という様な。もちろんカメラアイはありますが、それ以上に映画全体のフレームの中で細かく仕切られていたものが拡大されたり、あるいは俯瞰されて並列に並べられたり、更には移動したりする。レンズそのものがプレパラートとして窓を変えながら見ていく、その意味で「裏窓」は一番機械学的、光学的な典型といえるものです。ストーリーを作る際に時間経過そして空間、どこに何が起こっていくかを考えるわけですが、「裏窓」ではいつも決まった同一空間なのでイメージの拡大や縮小、並列化、移動といったレンズそのものの在り方、つまり映画を作る時のレンズの在り方を、そのまま扱っている。ラッシュを見るっていう事とか、マルチで作る場合とかいろんな画面がずーっと動きますね。

そうして一つ一つの画面に注視していく、違うものを拡大していく、映像のマルチスクリーン化の映画である。ヒッチコックは様々なサスペンスを作りますが、「裏窓」は映画術、映像術を光学的に示しています。

それぞれのものを引いて見ると、違う物語が展開している。例えば売れない音楽家の物語とか、色んな物語を組み合わせていく。


主人公のカメラマンは戦争中に偵察機に乗って撮影していた(友人の刑事はそのパイロット)、つまり映画冒頭のヘリコプターが屋上で日光浴をする女たちを「覗く」のと同じです。戦後は進駐軍として日本にいたか、或いはインドシナ地域の戦乱を取材するために日本にいたことが、ギプスの中を掻く孫の手、部屋の桐箪笥や中国の花瓶を使った電気スタンド、窓の簾などから分かるようになっている。彼はいつも対象のアクションを覗く立場なんです。

「裏窓」屋上近くにホバリングするヘリコプター
「裏窓」主人公がギプスをした足を掻くのに孫の手を使う。
「裏窓」夕方、各アパートの窓に明かりが灯る。
「裏窓」作曲家の家で時計のゼンマイを巻くヒッチコック
「裏窓」主人公のカメラマンが双眼鏡で不審なセールスマンの家の中を覗く。
次に望遠レンズをカメラに付けて更に拡大して覗く。
「裏窓」主人公の部屋の家具 桐の箪笥を上下で分けて使っている。すだれ・シノワズリーの電気スタンド
「裏窓」主人公がビュアーを覗き2週間前の写真と今の庭を比較する。(時間の中の二重の覗き)
「裏窓」ソーワルドが主人公のカメラのフラッシュに目を眩まされる。