2019年12月発行

映画のイコノロジー飛行新聞 Die ikonologische Flugzeitung des Kinos Vol.8-1


(飛行新聞 Die Flugzeitung とは、グーテンベルクの活版印刷によって宗教改革時代以降、カトリックとプロテスタント両派が宣伝合戦を繰り広げたビラに由来する。つまり現在のフライヤーのこと)


映画のイコノロジー飛行新聞8号

『サイコ』 『バルカン超特急』

前回の女は「不穏な女」でした。

『鳥』では論理的な説明をしていた鳥類学者が突如として魔女狩りを先導してしまう。

『断崖』では女性推理小説家が、殺人の動機となるような情報を漏らしてしまう。

『サイコ』は「見えない女」です。存在が見えてはいる、カーテンの影とかシルエットで。

映画を観る側には見えているように思うのですが実は見えない。そこがヒッチコックの上手いところです。最後まで居るのか居ないのかわからない。観客が揺れる所です。

『バルカン超特急』は消えた女、いたはずの女が見えなくなる。

『サイコ』で見えるのは、どういう時かと言うと、冒頭のシーンでフェニックスの町の俯瞰からカメラがパンして行ってホテルの窓へ、そして寝室が見える。観客は覗いていく訳です。

それはノーマンがマリオンの入浴シーンを覗く所につながっていきます。

ノーマンと絵

壁に絵が掛かっています。「スザンナ」という絵です。これは聖スザンナといってダニエル書にある。預言者ダニエルが書いたものですが、その第13章の付録に3つの物語がありますが、そのうちの一つです。カトリックでは第二聖典ですがプロテスタントでは偽書となり入れません。カトリックでは主題として取り上げられることが多いです。ユダヤ教では聖典には入りませんが教訓物語として取り上げられます。

ジャン=バティスト・サンテール「スザンナ」

どんな話かと言うと長老2人が人妻であるスザンナの水浴びを覗き見します。

彼女が家に帰る時、2人は我々と関係を持たないとスザンナが庭で若い愛人と密会していたと告発すると脅します。スザンナは拒否したので長老たちに訴えられ逮捕されます。当時の掟では人妻が愛人と密会しただけで死刑でした。そこに預言者ダニエルが現れます。そして2人の長老を1人ずつ呼んで尋ねます、庭のどこでスザンナは密会していたかと。1人は庭の低い木ですね、乳香樹のところで会っていたと。もう一人の長老はオーク、樫の木ですね。日本では水楢(ミズナラ)というブナ科の高い木のところで密会していたと言う。この事で長老たちが嘘をついている、つまり偽告が発覚して逆に処刑されるという話です。

フランス・ファン・ミーリス「スザンナ」
絵を指さすヒッチコック

この貞淑な妻であるスザンナを描いた絵画はルネサンス期に多く見られます。色々な画家が描いています。この絵はノーマンがマリオンの入浴を覗く穴を覆うように事務所の応接室の壁に掛けられていて、その左側には「鏡を見るヴィーナス」が掛けられています。

覗くノーマン
ティツィアーノ「鏡を見るヴィーナス」

この絵も自らの裸を鏡で見ています。まさにノーマンが1号室に若い女を泊めて、マリオンは3人目の犠牲者なわけですが、覗く所にある。またここには鳥の剥製が多くあります。もう一つ楕円形の絵、聖母の被昇天の絵があります。マリオンが応接室で食事を貰った時、座った場所の上部に掛かっています。これらの絵は当然意味を持って配置されています。

ノーマンと絵

聖母の被昇天(?)の絵から、おそらくカトリックがベースにあることがわかる。そしてノーマン・ベイツは母親に強く支配されている。最後の方でライラがノーマンの母親を探して、母親の部屋に入りますね。そこにブロンズ製の手がある、死者という事ですけど、これを記念として置いておくのはカトリックでプロテスタントにはない。

ブロンズの手

これは母親の支配の背景にカトリックがあるという暗示です。

もう一つの暗示は、ノーマンがマリオンに「母親は無害である、まるで剥製の鳥の様に」と言う場面です。母親の死体を剥製の様に保存していることにつながっている。ノーマンは母親とその愛人を毒殺しています。彼は言っています、「剥製はすごく安く作れる、使うのは針と糸とおがくずと薬品だけだ」と。薬品とはおそらく防腐剤ですね。これで毒殺した。

殺虫剤を買う女

サムの金物屋の場面でおばさんがカウンターで殺虫剤について色々と言っていますね。「虫も人間も死ぬときは穏やかでないと」と言っているのに一番強い殺虫剤を購入する。一番最後の場面でノーマンが母親になっていて、手にハエが止まりますね。「私はハエも殺せない人間だと見てもらいましょう」という所にこの話はつながっていく。剥製や殺虫剤など色んな伏線があります。アメリカで1960年に公開した時、アメリカはプロテスタントが主流ですが、そこに聖母像などカトリックの外典が出て来た時に、無意識ですが心の中にざわつきが生まれます。カトリック的な抑圧を予感させるお膳立てがある。

シャワーシーン

マリオンが裸でいる時に襲われる。ただ母親は、影であったりシルエット、カーテン越しで見えない。なぜか、結局実際はいなかったからです。

次は『バルカン超特急』ですが、邦訳が変ですが。原題は『消えた女』です。

今度は実在の見えていた女がいなくなってしまう。これは1938年の映画です。

この2人の英国人はクリケットの試合を見に来ていたんですね。ところが足止めされて泊まらなくてはいけなくなった。ここは架空の国なんですけどね、東ヨーロッパの。

ホテルでの英国人とミス・フロイ

ミス・フロイという人でこの国で6年間音楽の先生をしてこれからイギリスに帰国するところだという。

民族音楽を階上で記録しているという音楽研究者がいて、この男です。

ギルバート

翌朝になって列車に乗ります。眼鏡が出てきます、これも重要です。この2人は不倫なんでバレたくないから、そんな乗客はいなかったと言ってしまう。

不倫の2人

この2人の英国人はイギリスであるクリケットの試合に遅れたくないから関わりたくない。この人は医者でハートという人ですが途中で患者が乗ってくると列車に。その手術をする。脳の専門家だと。

ハート博士

アイリスが主張している、いたはずの女性客については脳震とうの幻覚だとギルバートは半ば思っていたのが、ここで窓に張り付いたお茶の袋を見て、彼女の言うことを信じる様になる。

お茶の袋

あちこち貨車とかを探し始める。奇術の道具があり同室のイタリア人の客が巡業をしている奇術師だと判る。ここでアイリスとギルバートはミス・フロイの眼鏡を見つけます。

フロイの眼鏡を見つけた2人

ブランデーに薬を仕込んでいます。同じような黒い服装の婦人ですね。これが男爵夫人です。結局全員グルだった。広報大臣の奥さんですから国の陰謀に関わっている。

男爵夫人

ミス・フロイは、ここで捕えられ患者の代わりでぐるぐる巻きにされている。

2人に助けられました。薬を盛られたはずだったのですが、この尼さんが実はイギリス人で、2人を助けた。この車掌もグル。国を挙げての陰謀でフロイを留めておこうとする。ギルバートともう一人は何とか列車を戻そうとする。

機関車とギルバート

ギルバートはフロイから頼まれていた、音楽家なので。宿の辻音楽師が奏でていたメロディを覚えて、イギリスの外務省に届けてほしいと言ってフロイはまた消えてしまう。

アイリスは婚約を破棄してギルバートと結婚しようという話になったので、外務省に来ている。でもメロディを忘れてしまったという。

ここで聞こえてくるこの曲が実は暗号になっていて先程のバンドリカという国がドイツと連合するという秘密の条約の内容だったという話です。ここで再びミス・フロイが現れます。

この映画は1938年で、ちょうどナチスドイツが政権を取って枢軸国を増やそうとしていた。これはハンガリーで、当時ファシストの国だった。そことの秘密条約にイギリスは非常に危険を感じていた。それを背景にしています。ナチスと秘密条約で東欧の国が枢軸国になるという背景です。ミス・フロイは現れたり消えたりしますが、結局スパイで、彼女は音楽で暗号を送ろうとしていたという話です。

最初に、駅で落ちた眼鏡をミス・フロイに渡そうとしたアイリスにフロイを狙った植木鉢が当たってしまうのですが、汽車の中で見たことが現実なのか幻覚なのかわからなくなる。

見ている観客も迷わされてしまう。でもすべては仕組まれていたことである。

この様なシチュエーションは後に似たような話がいくつも作られますが、これが最初だと思います。

ここで非常に重要なのは眼鏡、ヒッチコックの映画にはよく出てくるのですが、名前を書いた窓とか、カーテン、覗き穴とかレンズなどです。

いつも映る、覗く、何かを通して見る。それがヒッチコックの場合、表立って出てくるのでなく、ちょこっと出てくるだけですが、重要な道具として出てきます。

次回は裏窓ですが、ここにも出てきます。

今日は「見えない女」という事で2つの映画を取り上げました。細部としては鏡、覗き穴、眼鏡とかがテーマになって、そこで消えたり現れたりする。

最初の女は、窓にシルエットは映るんだけど見えない。こちらの女、ミス・フロイは眼鏡を持っているし窓に字も書くんだけど消えてしまう。すり替え劇ですね、途中で患者にされてしまったりする。そのトリックには奇術師の消える魔術が使われる。

覗く、ピーピングというのはよくあって、このモチーフがゴディバにも使われていますね。ゴダイヴァ夫人の話です。ある領主が国の税金を上げると決めたのを奥さんが反対する。税金を下げてくださいと頼むが夫は聞き入れてくれない。

そこで、もし税金を下げてくれたら私は裸で町を馬に乗って歩きますと言う。税金は下げられゴダイヴァ夫人は約束通り裸で馬に乗り町を行くのですが、市民は皆、彼女のおかげで税金が下げられたのだから見るのは失礼だとブラインドを降ろし見ないようにした。でも一人トムという男だけが、こっそり覗き見た。これがピーピング・トムと言って覗き屋の語源になっています。

アルテミスの裸を見てしまう男と言う絵画もありますね。このような絵画は結構ありますが、スザンナが最初でしょう。他に日本のイザナギ・イザナミの話もそうです。好色な老人が若い女を覗き見るという主題がルネサンス期に好まれたかもしれない。



映画『オリエント急行の殺人』(1974年)との関連、類似性


男爵夫人 ⇒ 公爵夫人

探偵のアーボガスト(マーティン・バルサム) ⇒ ポアロに事件解決を依頼する

鉄道会社の重役ブック氏

アンソニー・パーキンス ⇒ 殺される人の秘書役。キャラクター造形がサイコの役と似ている。

『サイコ』で画期的なのは、映画で初めてトイレを画面に登場させたことである。


画面に日付を入れたのも最初である。


シャワーシーンの場面 ⇒

実際に裸ではないが、そう見える。

刺された所は映っていないのにカットバックで観客は実際に刺されるシーンを見たと思う。音の効果。


事切れていく時の様子 ⇒

シャワーノズルからの水流。

排水口への血の流れ方。

シャワーノズルからの水流
排水口への血の流れ方

目を中心にカメラが回転。瞳孔の固定。



下着の色の変化 ⇒

盗みをする前と後で、色が白から黒に変わる。

あえてモノクロで撮っている など。